雑記ブログの整理をしていたら、10年前(2015年)の記事が残っていた。

 

 たまたま、42年前の卒業アルバムを見つけた。教え子からの私へのメッセージを読んでいる。生徒にとって、4年間という定時制の時間がとても長く、卒業するまで大変な道のりであり、私という一人の若く未熟な教員と出会い、苦労しながら卒業できた喜びが伝わってくる。涙が出てきて止まらない。卒業の時のみんなの喜びの涙を思い出している。本当に喜んでいた。ここに、私の「教員の原点」がある。感慨深い。

 一人の教え子からのメッセージを留めておく。私をよく見ていた生徒である故に。

 「相川先生へ 先生3年間、色々ありがとうございました。今となっては、短く感じられます。4年間、色々な事がありましたが、泣いたり笑ったり色々な思い出があります。遠足、体育祭、文化祭、球技会、修学旅行などたくさんあります。もう少し、学校にいたい気持ちです。卒業してからの事が少し不安です。倒れるまでリレーの練習をしてくれる先生、私たちのために、一生懸命色々なことをしてくれた先生、先生であり、友だちでもあった先生、私は口が悪いから先生にだいぶ失礼な事を言ったけれども、ごめんなさい。2年の時、初めて、学校に来た先生よりもだいぶ先生らしくなりました。でも、どこにでもいるような、つまらない、ありきたりの教師にならないで下さいネ。いつまでも、今のような先生でいてください。先生に長い間、お世話になりました。クラブでも、3年間顧問で、担任であり、かなりわがまま言ったけれども、私のいい思い出です。明日がある。明日やればいいと思うことはやめます。でもできるかどうか、私も私なりに目標を見つけて頑張ります。4月には、赤ちゃんが生まれるそうですね。男の子がいいですか。女の子がいいですか。先生がいなかったら、今の私たちのクラスはどうなっていたか、出来の悪い生徒で、苦労・心配の種ばかり作ってしまいましたけれども、先生のおかげで、これまでになりました。私は努力という言葉が好きです。努力は、平凡を非凡にすることができます。何でも一生懸命やりさえすれば、出来ることを信じます。いつまでも、私たちの相川先生でいてください。3年間、本当にありがとうございました。体に気をつけてください。Y子」

 このY子は、当時の私の最大の理解者であり、私の方こそ「ありがとう」と伝えたい。教え子たちも、もう還暦が過ぎている。

どうしているだろうか。Y子を含めて、当時の顔が浮かんでくる。とても懐かしい。

 <追記>

2019年6月12日(雑記:妻の誕生日に)に、下田へ行った。その時に、再会することができた。8人の教え子と楽しい語らいの時間を過ごすことができた。1975年以来、44年ぶりだった。お互いに歳を重ねたが、印象は変わっていない。この日以来、彼女は毎年lineで誕生日メッセージを送ってくれている。