先日、自己肯定感の問題(https://ameblo.jp/gobodiary/entry-12649974002.html)を取り上げましたが、
今日はさらにそれを深堀したいと思います。


私が特に苦手意識を持っているのは、相手から「No」を突き付けられる事態です。
「No」と言えない日本人、なんて表現をよく聞きますが、

私は言うなれば「No」と言われたくない日本人です。
自分の意見をはっきり言えないのも、自分の意見を言う前に

相手の意向がどのあたりか探りを入れてしまうのも、
すべて「私はそうは思わない」という言葉を聞きたくないためなのです。

なぜそこまで頑なに

「自分と相手の意見が違う」

という状況を恐れているのかなと考えてみました。
すると、自分と相手が互いに、元のオリジナルの意見から

譲歩や妥協を重ねていくプロセスに居心地の悪さを

覚えるのだということに気が付きました。


自分の意見の方に譲ってもらってしまったなと想像するのも、
自分が譲った感じが恩着せがましくなっちゃうなと想像するのも苦痛に感じます。
そうなるくらいなら最初からお互い近めのアイディアを持ち寄って

負担を少なくしましょうよ、というのが私が無意識にとってしまう戦略なのです。

しかし妻はそれを良しとは思いません。
「それはあなたが本音を隠して嘘の意見を私の本音に寄せているだけで、
もともとの私とあなたの本音の距離は1mmも移動していない。
まがい物の意見の距離が近いことを喜んでいるのはあなただけ。
そんなことをされているのだと思うと、2人で出した折衷案が

本当にお互いの納得の上で導いたものなのか信用ができない。
あなたが余分に妥協するという自己犠牲を払っても、

私はちっとも嬉しいとは思いません。」

「私にとっては意見を譲歩したり事情を勘案したり

条件を交渉するのは負担でも何でもありません。
むしろ積極的に本音を開示し合って

相手の居心地の良い環境を作ることを喜べるのがパートナーではないだろうか。
本心を言わないのはあなたのために行動するチャンスを相手から奪うことであり、
私との関係に心理的安全性を感じていないというメッセージにもなるため、

そっちの方が傷つく。」

そう妻は言います。

私は内心納得がいってなかったのですが、

練習と思って私から自分の本心を言うようにしてみると、
「自分の本心が言えた」ということ自体に満足感を覚えて、
その後の話の結論がどこに着地しようとも、

その結論は自分の意見が反映された結果である、

という不思議な感覚を味わうことができました。
私が冒頭に書いた意見を融通する居心地の悪さなど、妄想に過ぎなかったのです。
 

それとともに、一つ気づいたことがありました。

それは、相手の意見が見えていない状態で

自分から意見を述べるのは相手がどういう反応を示すかわからず

勇気のいることだということです。
この負担をずっと妻が背負っていたのだなと反省をしました。


自分から意見を表明することが相手を助けることになるのだと

日々強く意識したいなと思います。