「育児は育自」
 

子育て中のパパママ界隈では、こんな言葉を耳にすることがたまにあります。
子どもを育てているようでいて、実はそのプロセスが自分の成長にもつながっている。
おおむねそのような意味だと思います。


私はあまのじゃくなので、
「子どもは親の成長のための道具じゃない!」
なんてつい斜に構えて受け止めてしまうフレーズなのですが、
今日はあえて「育児体験を自分を育てるもの」という言説に

乗っかってみようと思います。

この5年間を振り返り、育児を経て成長した部分を強いてあげるとすれば、
「成長と自己満足の違い」が分かったことかなと思います。

子どもが生まれるまでの私は、自分の利益のために能力を伸ばしていたなと思います。

「以前の自分よりも同じことがよりうまくできる」
「以前の自分にはできなかったことができる」
ということが自分自身を喜ばせる目的であったということです。

それが家族と生活を共にする中で、

家族の利益のために能力を伸ばす必要に駆られました。

「食材が無駄にならず買い出しの手間が増えないように、

一週間の献立をあらかじめ決めておこう」


「夫婦の出勤に支障が出ないように、

朝食から出発までの段取りを改善しよう」


「子どもの自尊心が傷つかないように、

しつけやお願いの言い方を工夫しよう」

行為の一つ一つは、自分ができるようになっても特段嬉しいものではない
(だからこそ能力が低いし、成長も遅い)のですが
ちょっとでも以前より気の利いたことができるようになると、
妻と子どもの喜びや快適さ、前向きな気持ちを目にすることが増え、
それで間接的に自分の幸せも増大するというサイクルを体験するようになりました。


誰かの幸せを増やすために自分の能力を伸ばし、
結果として誰かの幸せの増加に繋がったものだけが

「成長」と呼べるのではないか。


逆に言うと、自分の幸せを増やすことを目的とした

能力伸長を「成長」とは呼ばない。
それは単なる「自己満足」である。

そう私は整理しました。

もちろん自己満足の行為は人生に潤いをもたらす

必要不可欠なものですし、
副次的に他のだれかの幸せを生み出すことはありますが、
子どもならまだしも、いい大人がまだそれを

「成長」

と誇るのは少々虫がいいのだろうと思っています。


この線引きで考えると、私の試行錯誤のほとんどが
「自己満足」

に仕分けられてしまいました。


もっと妻と子どもの声に耳を傾け、

「育自が育児」

の精神で自分の独りよがりを緩和していこうと思います。