「志村、後ろー!」
30年以上前、お茶の間の小学生はみんな、テレビに向かってそう叫んでいた。
げらげら笑いながら。
後ろには、竹ほうきを持ってこわい顔をした長さんが仁王立ちしていた。

 

もし半月前に戻って、全国の小学生が「志村、コロナ!」と叫んでいたら
未来は変わっただろうか。
やり場のない思いは、なかなか撹拌されずいつまでも春の夜に漂っている。

この思いを、だけど今は負の感情として誰かに向けたくない。
政府の振る舞いややり方にストレスを感じたとしても、僕ら命は僕らのものだ。
僕らで守りたい。そのために何ができるか、考えなければならない。

 

昨日は桜が満開のなか、大粒の雪が降った。
街じゅうに、高いビルよりももっと上のほうまで、桜吹雪が舞っているみたいで
きれいだった。
今日にはもう雪は溶けてしまっていたけれど、記憶にはずっと残っている。

 

ミュージシャンの斉藤和義さんは、月光という曲の中でこう歌っています。

 男の価値は何で決まるか、そんなの家族に決まってるでしょ。

これを聴いた時、僕はカミナリに打たれたような気がしました。

 

結婚式の挨拶のような書き出しになりましたが、隣の芝生がすぐ青く見えちゃう
僕にとって、この曲は電撃でありレメディでした。
それなら僕にもいます。いつも笑顔の耐えない、なかなかの家族です。
そして彼女たちがもたらしてくれた素敵な友人たちもいます。
みんなかなりなかなかです。

 

いつも楽しませてくれてありがとう。
今日という日に感謝できることに感謝したい気分です野球ボール

 

おしまい

 

 

食べるのが好きなとこはん。
風邪を引いても、元気になったらあれを食べる、これを食べると言って、
文字通り、食べ物を糧に乗り越えます。
ラーメンが何より好きなとこはんは、ラーメン屋さんで「餃子も食べる?」と聞くと
「いい、ラーメンに集中したいから」と言って断ります。

 

先日、テレビでタコが魚を食べるところをやっていて、魚がかわいそうに
みえるような演出だったので、僕はまんまと「タコって悪いねえ」と
とこはんに話したところ、「しょうがないじゃん、タコも生きるために
食べてるんだよ。人間だって食べてるじゃん」と言われました。
さらには、「人間なんて、焼いたり煮たりして、もっと悪いよ」と言います。
そうだよね、とこはんも成長しているなーと、嬉しいやらびっくりやら
感心していたところ、さらにひとこと。

「ま、とこはんは刺身が好きだけどね」

 

ありゃま、結局食べ物の話になっちゃったコドモ:G・

 

おしまい

 

 

4歳の誕生日からしばらく間があいて、さすがに誕生日には
書いておきたくて、去年の誕生日からずっと、何を書こうかと
考えていたんだけど、どうも4歳までと勝手が違う。

 

それは何だろうとずっと考えていました。ずっと考えて考えて、
考えているようで、日々に追われてすっかり忘れていて、
でも喉になにか引っかかっているような感触を常に感じながら
気づいたら2年。ほんとにあっという間です。

 

ちょうど去年の今頃は、自転車のコロを取っても乗れるようになって、
おなじ頃に絵本を考えて、一輪車の練習をして。ドラムも始めたし、
あいかわらず本が好きで、ピアノもがんばっていて。
こうした分かりやすいものだけでなく、日々成長しているのに、
日記に書こうとするとどうもしっくりこない。

 

どうしたんだろうと思っていたのですが、これはどうやら
見守るというスタンスがもう合わなくなったんじゃないかと。
もちろんこれからも成長を見守っていくのですが、感覚的には
一緒に考えて、一緒に遊んで、一緒に楽しんでいるというほうが
しっくりくるのです。
そうか、それで書けなかったのか。

 

と、わけの分からない言い訳も済んだところで、これからも引き続き
たまにはこうして書いておきたいと思っていますロボコン

 

おしまい

 

とこはん、6歳の誕生日おめでとう。

去年は「誕生日おめでとう」の日記すら書いていなかったね。
とこはん、5歳の誕生日もおめでとう。

 

一緒に変な歌を歌ったり、おちゃあちゃんと一緒に
朝ごはんを作ってくれたり、あいかわらずぷうちゃんと
仲が良かったり。
2年前と比べて、あれができるようになった、こんなことも
できるようになったと驚かされることは減ったけれど、
一生懸命、挑戦する姿や、心も体も全部使って楽しむ姿に
心がふるえるのは今も変わりません。

とても寒く、とても晴れた冬の日から始まった小さな物語は
静かに力強く続いています。

 

(2018.01.18記 やっぱり今年も遅くなってごめん!)

 

おしまい

 

2016/3/6 01:30


ここ最近、空気が急に春めいている気がする。
今年は寒い日も多かったし、自転車に乗る機会も増えたので、春が待ち遠しく感じている。
そういえば昔は春が苦手だった。
春の持つ独特の雰囲気、新しいことが始まる高揚感と、それが長く続かないと分かっている感じが
霞んだ風景と重なって、現実味がなくふわふわした雰囲気が苦手だった。
でも気がつけば、そんな気持ちも今はない。
歳も取ったし、そのときが楽しければ、それが終わってしまっても、楽しかったときを
思い出しながら、何度でも楽しめることを知ったのだ。
難しいことは考えず、そのときが楽しければ楽しめるようになったということだ。
今や年々、花見や夏の花火、秋のさんまなんかを前のめりに想像して、始まる前からにやにやと
楽しんでいるのだ。


2016/3/6 01:52


おしまい


すごいスピードで成長しています。
あっという間に平仮名を覚えて、カルタや神経衰弱も本気でやっても勝てないぐらい
強くなって、子どもってすごいなあなんて呑気に思っていると、今年に入って2ヶ月で
身長が3センチも伸びていて、もっと驚かされました。


先日、とこはん、僕、理恵ちゃんと立て続けにインフルエンザになったときのこと、
僕は病み上がり、理恵ちゃんが寝込んでいるときに、いつもよりとこはんが言うことを
聞いてくれないことがありました。
そのときは余裕がなくて「こんなときはもうちょっと大人しくしてー。」と思いましたが、
今になってみると、それが子どもにとっては当たり前の行動だったんだと気がしています。
僕らに余裕がないときほど、手がかかるように行動する。大人だったら手がかからないように
遠慮すると思います。でも子どもは、そんなときほどかまってもらおうと、ここにいる
ことを必死でアピールします。それはきっと、そうしないと、僕らが忘れてしまうからです。
ついつい都合が良いときだけ子どもをかまうようになる。それが分かっているんだと、
そんなことを思いました。


とこはんと一緒にいると、「子どもは分かってない」なんて高をくくることは、
もうさすがにありませんが、こっちが思っているよりもっと分かっていて、だからこそ
必死でど真ん中の直球を投げてくるんだと気づかされました。


何はともあれ3人とも元気になりました。
季節も少しずつ春めいたものが濃くなってきたように感じます。
春の穏やかな光のように、心には常に余裕を持っておきたいと反省する今日この頃でした。



おしまい


とこはん、4歳の誕生日おめでとう。

我が家の中はとこはんがいるだけでなく、とこはんの作ったもの、描いた絵、
脱いだままの靴下など、とこはんにまつわるものがあちらこちらに散らばっていて、
空気が濃密になっていくように、それらのものからいとおしさが溢れだしています。
発表会の練習といって毎日踊っては、手足を動かすたびに金平糖のような
小さな星をきらきらと降らせ、部屋を埋め尽くしてくれます。


みんなが寝静まった夜中、そうしたものを眺めながら流れていくゆっくりとした
時間に、明日へと続いていく確かな力をもらっているのです。

(2015.03.02記 今年も遅くなってごめん!)

おしまい


2月の終わりに幼稚園の発表会がありました。
発表会は、とこはんが幼稚園に入る前から楽しみにしていたイベントです。
本番の日が近づいてくると、家に帰ってからも本番さながらのパフォーマンスが
連日繰り広げられていました。


さあ本番。
力の限り歌い、力いっぱい踊るとこはん。少々の間違いはなんのその、
目の前のもの全てをなぎ倒す台風のような力強さで演目を披露してくれます。
そりゃあそうです。何せ1年も待ったのですから。緊張している場合ではありません。
1年分の楽しみを全て注ぎ込んで、勢いはとどまるところを知らず、
あっという間に演目は終了しました。


観ている間、感動して涙するよりも、ついつい笑顔がこぼれてしまう、

そんなほほえましい発表会でした。
それでも発表会が終わってしばらくすると、台風一過の爽やかな晴れ間のように、
静かな感動が心を満たしてくれるのでした。


おしまい


とこはん、3歳おめでとう。


この1年の成長は、目を見張るものがありました。
というより、1年という期間は子どもにとってはとても長いものなのだと
つくづく実感させられます。
今ではすっかり当たり前のように絵を描いていますが、1年前はまだまだ
描けなかったと思います。
いつも楽しそうに何かおしゃべりをしていて、ほんとに楽しそうに笑う、
そのことは、ずっと前から変わっていませんが、それだけじゃなく、
描いた絵や作ったもので、僕らを圧倒してくれます。


顔を洗いなさい、早く着替えなさいと、日々の小言をまさに右から左へと
見事に聞き流し、そうかと思ったら、もぞもぞと膝にのってくる姿(生態?)は
まるで猫のよう。3人でひとつのベッドで寝るのは、ときどき落ちそうになるほど
狭いけれど、すぐそばで眠る猫の寝顔は、あたたかくてやわらかい宝物なのです。


(2015.03.14記 遅くなってごめんね!)


おしまい