歩いて繫ぐ中山道 馬籠宿~大湫宿 後半
前半につづき
大井宿に入った我々を出迎えてくれたのは
明治天皇行在所。(岩井屋)
旅籠であった岩井家は、明治13年の明治天皇巡行の際にご宿泊所となり、
現在でも当時の座敷、風呂場、便所がそのままの姿で保存されている。
しかし、その中途半端な外観は何だか違和感を感じる。
画像は当時の面影深いが、写されてない半分はトタン張り。
「これはちょっと興ざめだなぁ~」と通り過ぎようとした3人は
待ってましたとばかりの勢いで案内人に呼び止められ中に入る事となった。
どうやらラテン親父が先に立ち寄り記帳を済ませ、
岐阜市の3人が後で通る事を伝えていたようだ。
記帳を済ますと、明治天皇がお泊りになった部屋を案内してくれるという。
靴を脱ぎ座敷に上がらせて頂きました。
あれあれ?甘利大臣、辞任後はこちらでしたか?!
口利き疑惑の説明は今一つでしたが、甘利案内人は説明が大好き!
一部屋一部屋丁寧に説明してくれます。
大湫宿のラテン親父を待たせてはいけないと、
のんびりもしてられない父ちゃんは気が急いて思わずフライング![]()
奥座敷の天皇がお休みになられた部屋に入ってしまいましたが
写真の説明を聞いた上での入室が順序のようです![]()
この写真は昭和10年。
奥座敷に入る襖には御簾に紙垂(しで)が掛かっています。
しめ縄や玉串に着ける紙垂がかかっている先の部屋は神の領域
戦前、天皇は神であったとこが伺える興味深い写真です。
母ちゃんが思わず身を乗り出し写真に見入ってしまいました。
天皇が使用されたお風呂や便所も興味深く拝見しました。
外観以上に見応えのある岩井家、興味のある方はぜひお出かけください。
商店街に残る銅板のレトロな看板。
踏切手前に御影石の大案内が設置。
恵那は花崗岩の産出地。恵那SAにも御影石のオブジェが目立つ。
踏切を渡ると農道に入り、中央高速をくぐり山越えに入る。
是より西 十三峠 いよいよ峠越えが始まる。
この時三人はまだ十三峠の意味すら知らなかった。
14:00 七本松坂でようやく遅い昼食を済ませ西行の森。
桜百選から恵那山を眺望。ずいぶんと歩いてきたなぁ。
中山道を上街道と言い、ここで別れて下る道を下街道と呼んだ。
現在の土岐市、多治見市を経て名古屋に行く道である。
名古屋への距離は上街道より4里半近い為、
商人や一般旅行者、伊勢神宮参拝者で大変賑わっていたようだ。
しかし幕府が中山道の宿場保護の為に下街道への商人の通行を
厳しく取り締まっていたが、それもなかなか難しかったと記載されています。
ここまで幾つもの峠を越えて、疲れもピーク。
午後3時には着けるだろうとの軽い考えが、全くの間違いだったことを
思い知らせれながら、ブツブツ文句言い放題(笑)
乱れ坂を下る。大井宿から大湫宿は本当に長く辛い。
出発当初は子供のように池の氷を踏んでみたり
凍った石畳をわざわざスケートのように滑ってみたりと
余分な動きをしていた徳さんの足裏には水膨れが出来始めたようで
「 姫御殿跡だって。見てきたら? 」と言えば
「 姫がいないなら見てもしょうがない 」と答える。
無駄な歩きは一切したくないようだ(笑)
「ここ左だよね。右の登りだったら怒るよ!」
誰だ? 馬籠から大湫は下りだから楽だと言ったのは?
大井から大湫までの十三峠、登ってばっかりの気がする。
もう峠越えは本当に勘弁しておくんなせい。
その時の記事はこちらをクリック → 天空にそそられ
ここは二度目の紅坂一里塚。古木が切られスッキリしていた。
ぼたん岩も二度目。下見の時に歩いた道です。
藤村高札場
15:20 深萱立場
大井ー大湫は3里半と長く中間に立場が設けられていた
えーーーー! ちゅ、中間!!???
父ちゃんはここが終点と思いつつ歩いてきたのだ![]()
まだ5.2km先だと・・・・・・・・。
さらに幾つもの峠が有り、1時間以上かかるが行くっきゃない。
テンションどん底の三人。ただ無口に進む。
ばばが茶屋? 当時の茶屋に興味有り。
中山道 樫の木坂の石碑 すぐ傍に権現山の一里塚。
陽も傾きかけ、寒さも増す。
手も顔も疲労でむくみ、まさに薄墨ウォーク60キロの後半状態。
3日前に30キロ走をしたばかりで参加した母ちゃんでしたが
今日の30数キロウォークは30キロジョグよりもずっと辛かった。
尻冷やしの地蔵尊
今はジメジメしていてイマイチ伝わらないが
夏場はひんやりして心地良いかも。
大湫宿まであと1キロの道標! ようやく先が見えてきた。
八丁坂 これでもう本当に最後かと全力で登りきると
ラテン親父が迎えに来てくれてた♡
この時の親父は道中数々出会った馬頭観音様に勝る
慈愛に満ちた表情をしていた。
夕日が背後に差し、まさに観音様のよう。思わず合掌。
4:30 大湫宿の入口となる寺坂で、今日の旅は終了。
ゆっくりのんびりで3:00には着けるだろうとの父ちゃんの読みは
大きく外れ、ラテン夫妻をずいぶんと待たせる結果となりました。
是より東 十三峠
「十三峠におまけが七つ」と言われ、
アップダウンが20以上ある美濃路の難所中の難所。
中津川宿で頂いたパンフにしっかりと書いてあるのに
誰一人読んでないお気楽な3人は深く考えずに峠越えをしたのでありました。
本日の歩行距離は約33キロ。
幾度かの峠越えで、かかった時間は約9時間。
馬籠~大湫は、なかなか厳しい旅でしたが、
情緒豊かな宿場町、のどかな田園風景、そして木立の森の中
全てが当時の面影を感じる素晴らしい街道でした。
江戸時代に整備された中山道は江戸と京都を結ぶ重要な街道で
全長534kmに69の宿場が置かれました。
そのうちの17宿、126.5kmが岐阜県の美濃地方を東西に横断しています。
岐阜県人にとって中山道歩きは、身近に気軽に始められる旅です。
そんなわけで父ちゃんのスイッチがオン!
百名山完登の次なる目標は、歩いて繫ぐ中山道
江戸~京都まで繫ぐぞ~ と言っております。
どうなる事でしょうね。






















