秋晴れを感じられる清々しい朝ですね。晴れ

 

ここ数日、私の住む地域は日中は観測史上最高気温とかで暑いくらいですが、朝晩はしっかりと秋を感じられて嬉しいです。もみじ

 

さて今日からしばらくの間は、私の幼少期からの生い立ちを身バレしない程度に掻い摘んでお伝えしたいと思います。キメてる

 

私は、某都市圏で生まれ育ちました。団地ほどではありませんが、比較的世帯数の多い大型マンションの一室で家族と暮らしていました。

 

両親はエホバの証人同士のお見合い結婚で、祖母、叔父、叔母、従兄弟全員皆エホバの証人という筋金入りのエホ証一族です。一番最初にエホバの証人になった祖母は確か1960年代には宣教を始めていたようなので、私でエホバの証人3世となります。

 

2世である父はやはり終わりが近いので高等教育は必要無いと祖母に諭され、未信者である祖父には反対をされた様ですが高校卒業後は就職をする事にしたそうです。

 

その時点ではまだバプテスマも受けていなかった為、親元を離れ一人暮らしをしながらフルタイムの仕事をしていた父は忙しく、当然集会にも行かなくなり自然とフェードアウト状態となって行ったようです。しかしその数年後、北国のとある地方都市へ転勤となった時に転機が訪れました。

 

父が祖母に転勤後の住所を知らせた数週間後のある日、自宅のドアをノックするので開けてみると、そこには初老のご夫婦が凍えるような寒さの中、微かに白い息を霞ませ微笑みながら立っていらっしゃった様です。ここで2世3世の方にはもう状況が手に取るように分かると思います。真顔はい、そうです。親の手回しでその地域のエホバの証人に勝手に連絡先を知らされ、訪問されてしまったのです。

 

冬はマイナス何十度にもなる地域です。そんな中、「お母様からご連絡をいただきましてお訪ねしました」という初老のご夫婦を追い返せる筈もなく、父は狭い独り住まいのアパートにお二人を入れてしまいました。その時の事を以前、父は「こんな所まで来られたら、もう逃げられないと思った。」と正直に言っておりました。父もやはり2世としての葛藤を抱えていたのだと確信した言葉でした。

 

その後、親元を離れ慣れない北国に一人で暮らしていた父にそのご夫婦はそれはそれは親身になってお世話をしてくださったそうです。聖書研究という名目ですが、毎週訪れてくれるそのご夫婦のお陰で会社の人以外に知り合いもいない父にとっては寂しい思いもせずに新天地で心穏やかに過ごせたと言っておりました。また、風邪などひけば温かい雑炊などを作っては持って来てくれ、手厚く看護してくれる本当の家族の様に接してくれたと言っておりました。この辺の仲間意識と強烈な飛び出すハート助け合いの精神の強さは、エホバの証人の中で過ごした事がある方の多くはご経験済みでは無いでしょうか。時にその善意が痛いほどに感じられ、逃げ場を失う事も、、、。

 

そのような状況の為、父はその後集会にも定期的に出席するようになって行った様です。そして数年後、めでたくはてなマーク献身水没してしまったのです。

 

生い立ち:家族の事(父編)以上です。次回は、母編へと続きます。

 

みなさん、良い一日をスター