こんばんは、ゆうりです。
先日、イルミネーションを見に行ってきました。
光と水を使う物ってなんだかひかれてしまいます。
耳を塞いで見ると魅力は70%くらいになるんじゃないかな・・・
噴水ショーは聴覚と視覚にくるからこそ、
同じ光でも感じ方がちがいますね。
ところで、その日私は泣きました。(帰ってから笑)
振られたでもなく感動したでもなく思い出し泣きです。
そうそう、このイルミネーション、よみうりランドなんですが、
アトラクション乗るのに身長を確認されてた時ぶりなので
おそらく小学校以来の来園だったんです。
そのころの私には何もかもが大きくて、何でもすごかった。
いざ、大学生になった今来ると、・・・
思っていたより何もかも小さい。なんだか…しょぼい。
あれ?こんなんだったっけ?って感覚に襲われます。
少し大人になった時に小学校に行く時も
こんな感覚になりますよね。
一年生の椅子の小ささに驚くんです。
そこで思ったことは、私をよく連れてきてくれた私の親は
私が喜ぶためだけにここに来てくれていたんだということ。
父と母は、私が喜ぶと思って、それだけのために
何度も連れてきてくれたんだ・・・と。
恋人と初デートの時、何時に集合でどこへ行って何を食べて…とか
プランを一生懸命練りますよね。喜んでほしいから。
そういうことを両親は約20年間ずっとしてきてくれたんです。
両親ってどこかへ出かける事や家族旅行を考えたり、
ちょっとしたものだったりプレゼントを用意してくれたりもします。
その度にちゃんと喜んでいるかどうか、考えたことはありますか?
両親でなくても、誰かが自分のために考えてくれた楽しみ事は何でもです。
これからクリスマス、もしかしたら自分の好みではないものを貰うかもしれない。
幹事、企画者、ちょっとどうなってるのよと思うことがあるかもしれない。
家族からちょっとした、ちょっとしすぎたものをもらうかもしれない。笑
それでも、その結果に注目するのではなくて、過程に大いに喜ぶべきではないでしょうか。
(喜ばなければならない理由 もあります。
これが私が泣いた理由に繋がってくるんですが。)
小さい子が折ってくれた折り紙は、折ってあげようと思ってくれた過程に大いに喜ぶんです。
そんなことは当たり前にできても、
実際に家族と出かけたり、なにかもらったりした時
意外ときちんと喜ぶことってできていなかったりしますよね。
