"Measured Against All Time" ラファエル・マルケス! | Go↑kunの海外ボクシング記♪

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久々に"Measured Against All Time"を書きましょう!

http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=70208#ixzz2gjRpVdnc

歴史的に見て…その選手の評価は!?みたいな感じでしたっけねぇ…。

2年位前に書いたのが最後でしたかなぁ…(笑)その時は"Tito"トリニダードで…
評価は…All-Time-Great!でしたな。

今回は…ラファエル・マルケス。

対戦相手の質が最も評価の分かれ目となるこの手の記事ですから…
色々なご意見がありそうですね。

パッと思い浮かぶのは…"Magnifico"バスケスとの3戦(実際は4戦)…、
"Too Sharp"ジョンソン、ティム・オースティン辺りですかなぁ…。

晩年はファンマ、西岡さん、ミハレス等ですが全て負けてますしね…。

取りあえずスタートです。

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勝利の殆どがノックアウト勝ちも納得のヒッティングマッスル!

【以下テキトー訳】

年老いたチャンピオンが若手に敗北を喫するのを辛いというファンも多くいるだろう。確かにそうかも知れない。しかし"Going out on their shield"というフレーズはたくさんの特別な意味も持っている。ファイター達は衰えても尚、その生き様を多くのファン達に見せつけ、特別な存在になりたいと思うものだ。

元バンタム級、S.バンタム級王者のラファエル・マルケスは、ここ2戦で限界を見せてしまった。ファイティングスピリットは健在だったが、戦う能力は衰え過ぎていた。2013年9月7日、エフレイン・エスキバスが38歳になったラファエル・マルケスを9Rでノックアウトしたのだ。デビュー戦で元世界王者と試合が組まれ、8Rでストップ負けを喫してから、18年の歳月が経過していた。

それでも、ラファエル・マルケスは、以前と同じウォリアーのままだった。殴られても前に出続け、ストップされるまで、戦い続けたのだ。

悲しいと感じたファンも数多くいるのではないか。

しかしマルケスは素晴らしいキャリアを残した。終わり方も見事だったと言える。エスキバスに敗れたリング上で引退を匂わせたマルケスは、9月20日、正式に引退を表明したとされている。このまま引退をしたとしたとしたら、素晴らしい幕引きだと思う。

個人的に復帰は意味が無いと考えているので、彼のエキサイティングなキャリアを観続けてきたものとして、以下の質問を考えることを誇りに感じる。

ラファエル・マルケスはボクシング史上で考えて、どの程度評価されるべきか?

答えを出すには、以下の点を考慮する必要がある:

1.達成したこと
2.拳を交えた強豪選手
3.試合が実現しなかった強豪選手
4.逆境での強さ
5.他に証明すべきこと

先ずはラファエル・マルケスの基本情報から書いていく。

1975年3月25日、メキシコ、メキシコシティ生まれ
身長: 5'5"、オーソドックススタイル
デビュー: 1995年9月14日(ビクトール・ラバナレスに8RKO負け)
戦績: 41勝37KO9敗(7KO負け)
タイトル戦績: 9勝7KO4敗(2KO負け)

破った王者:
イスラエル・バスケス(7RTKO、3RTKO)、マーク・ジョンソン(10RSD)
ティム・オースティン(8RTKO)、マウリシオ・パストラーナ(12RUD、8RTKO)
エリック・アイケン(1RKO)

敗れた王者:
イスラエル・バスケス(6RTKO、12RUD)、ビクトール・ラバナレス(8RKO)
ファン・マヌエル・ロペス(12RUD)、西岡利晃(12RUD)、クリスチャン・ミハレス(9RTKO)


■ 達成したこと

プロデビュー24戦で3度の敗北を味わった後、7連勝(6KO)で、当時世界最高のバンタム級と言われていた、1992年のオリンピアン、ティム・オースティンに挑戦する権利を得た。強打が飛び交うチェスマッチの末、序盤の逆境を乗り越えたラファエルは、8Rでオースティンをストップし、IBFバンタム級のベルトを奪取した。2003年2月のことだ。2007年、階級を上げ、WBC王者のイスラエル・バスケスに挑むまでの間、7度の防衛(5KO)を果たしている。

バスケス戦では、3Rにダウンを奪われたものの、濃密な打ち合いを支配したマルケスが、バスケスの鼻の骨を粉砕。バスケスがギブアップし、2つ目のタイトルを獲得した。このWBC世界S.バンタム級が、マルケスが獲得した最後のメジャータイトルになる。

最初の防衛戦で、バスケスにリベンジを許し、タイトルを失い、更に3度目の対決でも敗北を喫する。この3度に渡る死闘は、ボクシング史上最もエキサイティングなシリーズとしてもお馴染みだ。

獲得した賞は以下の通り:

- リング誌年間最高試合: 2007年、2008年
- BWAA年間最高試合: 2008年
- リング誌年間最高ラウンド: 2007年、2008年
- Boxingscene史上最高のバンタム級: 25位


■ 拳を交えた強豪選手

マルケスのキャリアはハード路線だった。プロデビュー戦は、元WBCバンタム級王者のラバナレス。しかもタイトルを手放して僅か2年後のラバナレスだ。8Rノックアウト負けでのデビューとなるが、その後も浮き沈みがあった。1998年、無名のフランシスコ・マテオスに、そして2000年には後に世界チャレンジャーとなるヘナロ・ガルシアにもKO負けを喫している。


※ガルシア戦!髭面ラファエル(笑)

ガルシア戦の敗北を最後に7年間、無敗で走り続けたマルケス。ガルシア戦後、4連続KO勝ちで元世界王者のマーク・ジョンソンと戦った。2001年10月のことだ。2012年に世界ボクシング殿堂入りを果たしたマーク・ジョンソンはこの時40勝1敗。1990年のプロ2戦目以来負け無しの強豪だった。両者ダメージを負う熱戦は、議論を呼ぶ減点も手伝い、マルケスはスプリットデシジョンで勝利を拾った。


※vs"Too Sharp"ジョンソンI

そして再戦も行なわれる。

序盤、ジョンソンが好スタートを切り、リードを奪うも、マルケスの強打が火を噴く。ジョンソンにキャリア初のストップ負けを与えたマルケスは世界王者、オースティンへの挑戦権を得る。ジョンソンはその後、フェルナンド・モンティエルに初黒星を与え、115ポンドの王者になった。


※vs"Too Sharp"ジョンソンII (1/4)


※vs"Too Sharp"ジョンソンII (2/4)


※vs"Too Sharp"ジョンソンII (3/4)


※vs"Too Sharp"ジョンソンII (4/4)

オースティンは1992年の銅メダリスト。アメリカチームでバーノン・フォレスト、クリス・バード、そしてオスカー・デ・ラ・ホーヤらとチームメートだった強豪王者だ。当時、25勝無敗1分、9度の防衛中だった。その王者をストップして世界王者に。


※vsオースティン(1/3)


※vsオースティン(2/3)


※vsオースティン(3/3)

マルケスがバンタム級で達成した7度の防衛戦の相手レベルは様々だった。ピート・フリッシーナはチャレンジャーの権利があったのか疑問だし、リカルド・バルガスはどちらかと言えばジャーニーマンだ。エリベルト・ルイスは35戦で1度もストップ負けが無いタフなベテランだったが、マルケスは3Rでストップ。元108ポンド王者のマウリシオ・パストラーナは2度挑戦している。初戦は判定、2戦目はストップ勝ち。これもパストラーナにとっては初のストップ負けだった。

最もタフだったチャレンジャーは2度チャレンジしてきたサイレンス・マブザだろう。2005年の第1戦の時は18勝無敗。しかし両試合ともマルケスはストップしてみせた。第1戦は4R、第2戦は9Rだ。そしてバンタム級を去ることになる。


※vsマブザII(Highlight)

S.バンタム級では何と言ってもバスケスとの一連の戦いだ。最初の3度は122ポンドのタイトルマッチだった。結果は2勝2KO2敗(1KO負け)。バスケスはこのシリーズに入るまで9連勝中で、その中にはオスカー・ラリオスやジョニー・ゴンザレスから奪った勝利も含まれている。バスケス戦後、マルケスは再び階級を上げ、2010年11月、当時無敗だったファン・マヌエル・ロペスに挑戦するも敗れている。

2戦挟んだ後、2011年10月、マルケスは122ポンドへ舞い戻り、日本のWBC王者、西岡利晃にチャレンジするも、西岡が判定で勝利。これがマルケスの最後のタイトルマッチとなっている。その後、元王者のエリック・アイケンに1RKO勝ちをするも、クリスチャン・ミハレス、そして前述のエスキバスに連続ストップ負けとなっている。


■ 試合が実現しなかった強豪選手

そしていつも存在するのが試合が実現しなかったライバル達だ。ここでは理由は重要ではない。

マルケスが最も長くキャリアを過ごしたのがバンタム級である。しかしながら1度も統一戦は実現しなかった。マルケスの王者時代に同階級にいたチャンピオン達は以下の通りだ:

- ウィラポン・サハプロム(WBC王者、98年12月29日~05年4月16日)
- 長谷川穂積(WBC王者、05年4月16日~2010年4月30日)
- ジョニー・ブレダール(WBA王者、02年4月19日~04年10月11日※引退)
- ウラジミール・シドレンコ(WBA王者、05年2月26日~08年5月31日)
- クルス・カルバハル(WBO王者、02年3月15日~04年5月7日)
- ラタナチャイ・ソー・ウォラピン(WBO王者、04年5月7日~05年10月29日)
- ジョニー・ゴンザレス(WBO王者、05年10月29日~07年8月11日)

この中でも特に3人との対戦が実現していればマルケスの評価は大きく変わっていたかも知れない。先ずはタイのウィラポンだ。WBCのベルトを強豪相手に14度も防衛したこの男との戦いが実現していれば、階級最強の座を争う素晴らしい試合になったはずだ。長谷川はそのウィラポンを破り王座に就く。日本の戦術家はその後長く防衛ロードを歩むことになる。

ゴンザレスはマルケス政権の後半に対抗王者になった。試合が実現していれば、素晴らしいアクション満載の試合になっただろう。アメリカでは最も実現が望まれたカードかも知れない。両者とも信じられない破壊力のパンチを持っている為、目の離せない試合になっただろう。ゴンザレスは現在も尚、フェザー級王者として君臨している。

S.バンタムでは、クラス最強だったバスケスと何度も戦った為、これ以上は望めないか。次点では当時のWBA王者、セレスティノ・カバジェロがいたが。バスケスと交わらなかったら、カバジェロとの対戦は観てみたかった。

しかしバスケスとの3戦は、マルケスのキャリアで絶対に外せないものだ。その後もフェザー級最強のファンマ、S.バンタム級最強の西岡と戦い濃密なキャリアを積んでいる。

敗北が続いたが、特にフェザー級での実績は殆ど無い為、戦わなかったライバルの存在は割愛しよう。


■ 逆境での強さ

マルケスはキャリアを通じて苦しい場面が少なかったファイターではない。彼は打たれることも少なくなかったし、効かされることもあったからだ。ガルシア戦のKO負けから、スキルを上達させ耐久性も上がったのは確かだが、その激しいファイトスタイルがファンの心を掴んだのは間違いないだろう。

ジョンソンとの第1戦は爆発的な試合だった。両者とも激しい試合の中で効かされたが、マルケスが倒れることは無かった。このサバイバルを制して勝利を収めたことで、マルケスは多いに自信を持ったと思われる。その自信がオースティン戦でも活かされたのだろう。オースティン戦でも苦しい場面を乗り越え、ノックアウト勝ちをして見せたのだ。

そして勿論、バスケスとの激闘だ。ダウンを挽回して勝った初戦、簡単に諦めなかった第2戦、そしてこの時代最高の試合の1つと称される第3戦は、両者ともに2試合の経験を活かし、更に凄まじい試合になった。序盤にダウンを奪ったものの、最終Rに倒し返され判定で敗れている。


※年間最高試合、バスケスvsマルケスIII!

マルケスの逆境での強さはシンプルだ。耐えて戦い続けることだ。キャリアの最後の2戦、ミハレスとエスキバスにストップ負けを喫した試合でさえ、マルケスをストップする難しさは明らかだった。戦い続ける心の強さとプライドの高さは素晴らしかった。顎の強さは落ちていただろうが、心の強さで戦い続けた。


■ 他に証明すべきこと

エスキバス戦後、マルケスが本当に証明しなければならないことは、本当に引退出来るかどうかだ。全てのボクサー、特にマルケスの様な真のグラティエーターが引退を決意するのは、そう簡単ではないだろう。全盛期の面影も無いマルケスが今後復帰をして、若手に痛め付けられるのを観るのは耐え難いことだ。


■ ボクシング史上で考える

マルケスのキャリアを大まかに振り返ったところで、又、最初の質問に戻ろう。マルケスはボクシング史上でどの程度評価されるべきだろうか?答えを出すのは簡単ではない。

マルケスには有名な兄がいる。ファン・マヌエル・マルケスはフェザー、S.フェザー、ライト、S.ライトと4階級を制した名王者だ。兄の成功は弟の評価を変えるものではないが、マイナスの効果はない。スポーツ史上、最も成功した兄弟アスリートの1組と言えるだろう。

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若き日のマルケス兄弟(笑)

マルケスを評価する上で一番やり易い階級はバンタム級だ。間違いなく当時のバンタム級ではトップクラスだった。全盛期はオールタイムグレートの強さに匹敵していたのではないか。彼に欠けているものは、シンプルだ。より質の高い対戦相手と、質の高い勝利だ。マブザは強いチャレンジャーではあったが、その勝利だけでオールタイムグレートとは言えないだろう。

ウィラポン、長谷川、あるいはゴンザレスとの統一戦が実現していれば、結果如何で評価は大きく変わったはずだ。不幸にもバンタム級での統一戦は1973年から2010年の長谷川vsモンティエルまで行われなかった。一番近かったのは、1977年のサラテvsサモラのノンタイトル戦であろうか。

統一戦が実現していたとしても、ルーベン・オリバレス、エデル・ジョフレ、あるいはカルロス・サラテと比較するのは無理だろう。更に1920年代の偉大なファイター達、ピート・ハーマン、ジョー・リンチ、そしてバド・テイラーより上に評価するのは難しい。

レジェンド達はともかく、統一戦が実現して、当時のバンタム級を制覇してさえいれば、16度防衛のオーランド・カニザレスや、9度防衛し3人のチャンピオン達を下したジェフ・チャンドラーより評価される声もあったかも知れない。オースティンやジョンソン戦の勝利は評価すべきものなのだ。

統一戦が実現しなかったものの、バンタム級での大きな3勝は素晴らしいものだった。当時40勝1敗のジョンソンに連勝、しかも実質初の敗北を与えたのはマルケスだった。オースティンも又、破格の才能を持つファイターだった。結果的にマルケス戦が最後のタイトルマッチとなったが、まだ強かったし、全盛期の力を誇っていた。タイトル戦績は当時10勝8KO無敗、試合前のオッズはオースティンに傾いていた。しかしジョンソン同様、最高の力を持ってオースティンも下したのだ。

そして122ポンドでのバスケス戦である。最初の3試合は2000年代最高のシリーズだった。しかも毎試合内容が良くなるという稀なケースでだ。

殆どのトリロジーシリーズは、良くない試合が1戦はあるが、マルケスとバスケスに関しては1度も無かったのだ。

第1戦、第2戦と激しさを増し、第3戦では122ポンド史上紛れもなく最高の試合の1つとなった。ウィルフレド・ゴメスvsルぺ・ピントール、エリック・モラレスvsマルコ・アントニオ・バレラと並ぶ最高の試合だろう。

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激闘を物語る…顔力!

タイトルを失った両者がフェザー級で対峙した第4戦はエピローグだったが、最初の3戦は全てタイトルマッチ、しかも当時のS.バンタム級で最強の2人が戦い続けたことに意義があった。2007年3月~2008年3月の1年間は本当に凄かった。

2010年のファン・マヌエル・ロペス戦の時はまだ余力があったと思う。マルケスがトップ戦線で戦ったのは、ジョンソンとの第1戦からファンマ戦までの9年間であったと考える。

キャリアの中で何度か経験した痛烈なKO負けと、対戦相手の質が、マルケスをオールタイムグレートと呼ぶのを難しくさせている。しかし、完璧な戦績や対戦相手だけがボクシングではない。ファンの記憶に刻まれた選手も偉大なのだ。

ジョンソン、オースティン、バスケスとの戦いでマルケスはそれを達成している。2階級制覇、バンタム級で長く王座に君臨、トータルで考えても素晴らしいキャリアを過ごしたと言える。

マルケスの戦いはパッションに溢れ、いつでもリングで全てを出し尽くしてくれた。今後、殿堂入りするかどうか、評価は分かれるかも知れない。しかしもしその時が来ても驚く人は少ないのではないか。彼はそれに値する選手のはずだ。

評価:
オールタイムグレートではないが、殿堂入りには十二分に値する選手。

― 以上 ―

…。

"Too Sharp"ジョンソンとの激闘は勿論、初めて王者になったティム・オースティン戦も、
もはや10年以上前なんですなぁ…。

懐かしくて…動画を見返したりして…面白かったです。

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チャオー。