破られないであろうボクシング記録の話。 | Go↑kunの海外ボクシング記♪

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ボクシング…勝者と敗者のあまりにクッキリとしたコントラスト…。魅力的な選手達のバックグラウンド、ボクシングビジネスの側面、プロモーター達の思惑、選手の声、あまり入ってこない海外ボクシング情報を書きたいと思います!宜しくお願い致します!

こんばんは。

リー・グローブスさんという方の記事で興味深いものがありましたので、
頑張ります!

【以下ニュアンス訳】
記録は破られる為にあるとはよく言われることである。多くの場合このことは事実であり、志の高いアスリート達はある記録に向かって自分を奮い立たせ努力をすることも多いだろう。記録というものは全てが同じ条件で作られたものではないが、幾つかの記録の中には単純に考えても絶対に破られないと思われるものがある。

野球で例えてみよう。ピッチャーの記録では、サイ・ヤングの通算511勝、ノーラン・ライアンの通算5,714奪三振、あるいはウォルター・ジョンソンの通算110度の完封勝ち等だ。これらの記録は永遠に変わらないと思われる。何故なら現代野球の先発投手は、登板回数にしても、イニング数にしても、球数にしてもこれらの記録に近づけるだけの機会を得ることがないからである。ジョニー・バンダー・ミーアの2試合連続ノーヒットノーランも破られることはないだろう。破るには3試合連続で達成しなければならないのだから。バッターの記録では、タイ・カッブスの通算打率.367、ピート・ローズに通算4,256本のヒット、そしてジョー・ディマジオの56試合連続ヒット等はかなり難しい記録だ。勿論、カル・リプキンの2,632試合連続試合出場も同じ類に入るだろう。

NBAで考えてみる。ウィルト・チェンバレンの1試合100得点や55リバウンド、そして年間の平均得点50.4は先ず破ることが出来ない記録だろう。NHLではウェイン・グレッツキーの保持する様々な記録、2,856得点、1,982アシスト、51試合連続ゴールなども難しいだろう。

最後にNFLでは、オット・グラハムの10連続でスーパーボウルに出場や、ドン・シュラのコーチとしての347勝、そしてブレット・ファブレの309試合連続クォーターバックとしての出場などもアプローチするのは難しそうだ。ペイトン・マニングが近づいてきてはいるが。

ボクシングにも勿論、登れないであろう山々がたくさん存在している。どれだけ集中しようが、ファイターがどれだけエネルギーを注ごうが、どうにもならない記録がありそうだ。その理由は安全性の観点や法規上の観点から不可能なものもあるが、現代のスーパースター達は年間で2試合程度しか試合をしないこともあげられるだろう。

脱線し続けても仕方がないので先ずボクシング界での破られないであろう記録の持ち主を一人ご紹介しよう。

■ アーチー・ムーアのKO数:
長年に渡ってムーアのKO数は129、131、あるいは141という諸説言われているが、いずれにせよ絶対に破られない記録であろう。ボクシング業界の財政面が大きく変わったのが理由の一つである。現代のエリートボクサー達は1試合で数億円を稼ぎ出す。彼らが年間に20試合も行う理由はない。もしムーアが現代にいたとしたらこんなに試合数をこなすことはなかっただろう。27年間のキャリアで220試合、1,479ラウンドをもこなした理由は彼がボクシングを愛していたからではなく、生きる為に行っていたのだから。ムーアの記録自体がこのことを物語っている。L.ヘビー級王者として君臨した9年間では52試合行っており年間5.7試合の計算だが、その前の16年間では160試合こなしており、年間10試合となる。これは王者となってからファイトマネーが上がったことを示しており、その為、試合数を減らしたと見るべきだろう。勿論ムーアは対戦相手のことを良く研究し長所や短所を知った上で的確なパンチを的確な個所へ打ち込む技術を持っていたからこそ、彼が偉大なボクサーであったからこそ成し遂げられた記録であることは疑い様のない事実だ。この記録は永遠に破られることはないと見るのが普通だろう。

しかし現代ボクシング界にもとんでもない記録を持ったものがいたことをご存知だろうか。バック・スミスである。彼の戦績は…ボックスレックによると179勝120KO20敗2分というとんでもないものだ。オクラホマシティを主戦場に戦ってきたスミスは最後の17戦全てが負けかノーコンテスト。彼最後のKO勝利は97年まで遡ることになるし、元々はウェルター級ファイターだった彼が最後にリングに上がった時、2009年の4月にはクルーザー級になっており43歳だった。そして1RKOで敗れたのだ。世界タイトル等との絡みは皆無。ローカルリングに上がり続けたがここが限界だったのだからムーアの偉大さが分かる。

■ ジョー・ルイスの25度連続防衛(11年間8ヶ月に渡って王者):
一つの王座を長年に渡り守り続けることは支配を意味する。特にヘビー級、ミドル級、ウェルター級等の強豪ひしめく階級で王者でい続けることは並大抵のことでなはい。ファン達の注目度も上がる。防衛回数を幸運にものばすことが出来た王者達はその能力を賞賛されるべきである。その考えが変わり始めたのは、ウィルフレド・ベニテスとアレクシス・アルゲリョが奇しくも1981年の5月と6月に3階級制覇の王者となった時からだ。現代では何度防衛したかではなく、何度王座に就いたかを競っている様に見えるし、現代のスター達は誇らしげに何本のベルトを掲げているものだ。言い方を変えれば今はいかに派手に見せるかの時代なのだ。ルイスの時代は、きらめきよりもより内容や実体が重要であり、彼の記録はその最たる例であろう。1937年6月22日から1949年3月1日まで彼はボクシング界の象徴であった。25度の防衛の内、21度は王者になってから最初の57カ月の間に行っており、判定はたったの3回。正に褐色の爆撃機だったのである。

その後何人かの猛者達がルイスの記録に迫ったことがある。ダリウス・ミケルスキーはWBOのL.ヘビー級王座を9年間23度防衛したし、リカルド・ロペスはWBCストロー級王座を約8年間で22度防衛している。ジョー・カルザーギとバーナード・ホプキンスはお互いに10年以上、それぞれ21回と20回の防衛を果たしている。S.ミドル級のスベン・オットケは友好的なジャッジにも助けられたが21度の防衛をきろくしている。この中で興味深い点は、負けてタイトルを失ったのはミケルスキーとホプキンスだけだということだ。他は自ら返上している。未だにルイスの記録は破られていない。現代ボクシングの評価の方向性が大きく変わらない限り、ルイスの記録はまだまだ何十年も破られそうにない。

■ センサク・ムアンスリンのプロ3戦目で主要団体の世界王座獲得:
センサクは1974年11月にルディ・バーローを1RKOで下しボクシングの世界王者に就く前にムエタイの王者であった。しかしWBCがこのボクサーに目を付けたのはセンサクが2度のタイトル挑戦をしていたライオン古山をプロ2戦目に7RTKOで下した後のことだった。古山はタイトルマッチでは敗れたもののスプリットデシジョンという善戦をしていたからだ。この勝利でWBCはタイトル挑戦権があると判断し、タイトルマッチを容認。ゴングと同時にセンサクの強烈な左が炸裂し、番狂わせの8RTKOで王者となったのである。この後3年間に渡って質の高いチャレンジャー達を撃破し実力を証明。退けたチャレンジャー達は古山との再戦、ミゲール・べラスクエス、モンロー・ブルックス、ガッツ石松、フェルナンデス、マイク・エベレット、サオウル・マンビー等を含んでいる。

この記録に続くのが同じタイ出身のウィラポンである。プロデビューの僅か10カ月後、プロ転向第4戦目の1995年9月、ウィラポンは当時のWBA王者であったダオルン・チュバタナを下し王座に就いた。初防衛戦でナナ・コナドゥにタイトルを失うものの、その後16戦のキャリアを積んで王者、辰吉丈一郎を下し今度はWBCのベルトを巻く。その後6年間以上に渡り14度の防衛を重ねた。41歳の今も現役で勝利を続けている。彼の現在の戦績は67勝48KO4敗2分という恐るべきものだ。

デビュー戦でタイトル挑戦をしたボクサーが2人いるのをご存知だろうか。ラファエル・ロベラとピート・ラデマッハーだ。ロベラのルイス・エスタバへの挑戦を何故かWBCが容認し実現したが、結果は4Rでストップ負け。このパラグアイ人は二度とリングに上がることはなかった。ラデマッハーは五輪の金メダリストでカリスマ性も持ったボクサーだった。彼の性格と$350,000のギャラによってカス・ダマトを納得させフロイド・パターソンへのデビュー戦で挑戦が決まったのだ。2Rにダウンを奪うもパターソンに7度倒し返され結果は6RTKO負け。現代ボクシングも指名挑戦者の選び方等に多いに疑問はあるが、プロ1戦や2戦のキャリアでタイトルマッチに挑むボクサーは恐らく出てこないだろう。センサクの記録は暫くボクシング史に刻まれそうである。

■ ミゲール・カントの12連続15R判定防衛
この記録が破られない理由は明確だ。世界戦15R制というルールは1980年代半ばに終わっているからだ。しかしながらカントの記録は、彼の安定性や抜群のテクニックとジャブ、そして数々の幸運があったからこそ成し遂げられたものだ。高田二郎を11Rでストップした後、この記録が始まるわけだが思えばカントのKO防衛は5年間14度にもなる防衛ロードで高田戦だけだった。1976年10月3日~1978年11月20日まででカントは9度の防衛に成功しており、そのうちの8つはホームではなく、更に6つは敵地での防衛戦だった。ベネズエラ、日本、チリ…各地でテクニックを見せつけたのだ。興味深いのは防衛戦の内4つはスプリットデシジョンだった点だ。パワーを欠いたカントは、卓越したディフェンス、フットワーク、そしてカウンターパンチを毎ラウンド見せていくことによって敵地でもポイントを重ねることが出来たのだろう。遡ること数十年、ウィリー・ペップが見せたテクニックをカントは再現してみせたのだ。

他には元WBAフライ級王者のヒラリオ・サパタが6連続、ニコリノ・ロッチェとファイティング原田は5連続を成し遂げているが、現代は12R制ということもあり、カントの記録は永久に破られることはないだろう。

ここまで難攻不落と思われる4つの記録を見てきた。他に脳裏を過ぎる記録と言えばヘンリー・アームストロングが1938年に記録した1年間で27戦全勝26KOであるとか、ウィリー・ペップが保持するキャリアで2度の60連勝以上とか、フリオ・セサール・チャベスのタイトルマッチ31連勝、ラマー・クラークの44連続KO等がある。他にもバトリング・レビンスキーの1日3試合等もあるが。

これらの記録は破るのは難しいだろうが現代のファイター達にも作れる記録はたくさんあるだろう。経済的な要素では特に多くのチャンスがあると感じる。マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーJr.が戦えば、PPVの記録や価格、リングサイドチケットの価格やファイトマネー、開催地によっては動員数もチャンスがあるだろう。

記録を追い求めることは確かに素晴らしいことではあるが、全てのスポーツにはあるべき姿というものが存在する。それらはスポーツの本質であり、時代を繋ぐ架け橋となるものだ。多くの記録は年月と共に塗り替えらる。しかし幾つかの記録は永久に続く。こうして語り告げる記録があるのは良いことじゃないか。

以上

あぁ疲れた…。誤訳、誤字脱字ご容赦下さいね^^読み返してもないです(爆)

チャオ♪♪