生きていていいのは「生きる価値」のある者だけ、それが『自然』 | ヨッシーの真実語りII

ヨッシーの真実語りII

機種変に伴い新たに始めました。健康・波動・自然科学・スピリチュアルその他、様々な分野における【真実】のみを、既成概念を情け容赦なくぶった斬りながら(笑)伝えていきます

『命に「尊厳」など自然界には始めから存在しないことを知れ』

コロナ禍の時に、日本の医療「壊滅」の瀬戸際に追い込まれた際、しきりに議論されるようになってきた『トリアージ』(医療的な命の優先順位)。

こうなったのは完全に日本人の自業自得なわけなんですが、何をそんなに騒ぐ必要があるのか、理解に苦しみます。

むしろ何十年も前から日本は、《「命の選別をしなかったから」社会がここまで歪んでいる》って、ハッキリしてるわけです。

大学時代から自分は常に、《認知症や病気で完全に自力で動けなくなったような、要介護が必要な「社会の役にまったく立てなくなった高齢者や障害者」と刑務所に入っている犯罪者は「全て速やかに間引くべき」》と考えていますが、

【それをまったくしなかったから、「少子高齢化」などという呆れるにも程がある、実にくだらない状況になったのは当たり前のこと。《「無用な者」をダラダラと生かす限り、ムダな人口増加を招くのは必定》なのは、考えるまでもなくわかるはず】

それもこれも全ての原因は、多くの人間が抱く《『命の尊厳』というバカげた「幻想」》がそうさせているわけです。

冷静に考えてほしいのですが、

【たとえそれが自分の血の繋がった家族だとしても、自我や知性や意識を失った、家族とも認識できなくなったほどに「自分を失った者」を、しんどい思いをしてまで介護したり、家と切り離した施設に入れっぱなしにしてまで生きていてほしいなどと、「本気で思えるのか?」】

ということです。そこまでして「生かす価値」など無いでしょうに。

【「自然を大切にしよう❗️ 」、「自然に則した生き方を心掛けよう」などと、エセ自然主義者たちやクソヴィーガン信者たちはよくほざいていますが、それを掲げていながら《「命は大事❗️」などという《矛盾》を抜かしていることに気付いていない》という、実におお粗末な笑い草としか言いようがない】

何回も言ってるじゃないですか、

【大自然は「命に尊厳など一切与えていない」。ゆえに自然は使えない者・生きる力の無い者は《容赦なく切り捨てる》・《容赦なく差別する》・《容赦なく淘汰する》】

のです。

自然界ではごく普通に『生きるに値しない者』は、たとえ子供だろうが何だろうが、簡単に殺して捨てて先に進む。役に立たなくなった者は群からはじき出される差別を受ける。「それが自然の当たり前」なのです。《そうやって自然は「自然界のバランスを維持している」》ということを理解しなければいけません。

ついでに言えば、

【大自然に則して生きている生物は《ハーレム》だからこそ成り立っている】

ということ。

【「不倫や浮気が許せない」という実にバカバカしい《狂信的な思い込み》も、しょせんつまらない単なる『人のエゴ』】

なだけです。

その当たり前をみんな知っていながら、なぜ「命は大切」だとふざけたことを平気で口にできるのか、教えてあげましょうか?

【人は「自分が一番大事だという『理由』」を美化して、『「命の尊厳」という大いなる身勝手なエゴ』を生み出して盲信するようになった】

もっと簡単に言えば、

【死ぬのが怖いから。他人に認められないのが怖いから、《人間だけ特別視するようになった》ということ】

要は大事にされたい構ってちゃんの理屈とまったく同じなんです。

だから「宗教や信仰や供養」という、この世で最大最悪な『絶対悪』を作り出したんです。それによって戦争が生まれたんです。

【「競争心」や「闘争心」が戦争を生み出したのでは断じて無い】

これはしっかりと理解しましょうね。なぜなら、

【自然界に存在する全ての生物は、競争心と闘争心が無ければ、それはもう「生物ではない」から。それは《生き物が生き物として成立するための最も大切な「生存理由」》であり、生物の「進化に絶対必要不可欠な最大の要素」】

だからです。それは人間も例外ではありません。

【戦争は常に「『嫉妬』というエゴ」のみによって引き起こされるもの】

です。

自然の営みの中における「生存競争」とは、根本的に異にするのです。だから、あくまでも《戦争は絶対的に愚かしいこと》といえますが、あらゆる意味と場合における『競争』は決して無くしてはならないことなのです。

だから《人は大いに競争し合わなければならない》んです。互いの心の理解を得るために殴り合いのケンカしなければならないんです。それを抑止しようとすることは明確な『悪』です。

【人間はずっとこの「命が大切だという間違った思い込み」に踊らされ、信じているからこそ、こんな破綻した矛盾だらけの世界になっているんだということを、一度よく考える必要があります】

トリアージ、大いにやればいいじゃないですか。皆さんは「断捨離」が大好きなんでしょう? 《物は捨てるのに、命は捨てないなんて虫が良すぎる》んですよ。

【誰でも彼でも全部を救おうだなどと「ふざけた戯れ言」を抜かすべからず。《不要な者は速やかに断捨離してこそ正常な自然は保たれる》のだ。《死のスムーズな循環》をさせることこそが『大自然と宇宙の摂理』であり、人間にとって「最も欠けている」大切なことなのである】

《『命の倫理』などという幼稚なまやかしに惑わされるな》

そう考えられないのなら、ハナからから「自然が大事」だとか軽々しく口にするな。そんな上っ面だけの安っぽい「お花畑の理想」しかほざかない者ほど《最も「自然に反している」》ということを改めるべきです。

【「命が一番大切」だというのは、単に《死を最も恐れてるだけの腰抜けが勝手に生み出した『自己中心的エゴイズムの極み』の1つ》】

その「自分本意の都合」で生まれたのが『宗教』や『スピリチュアル』という「つまらないもの」であると、いい加減に「気付き」ましょう。

《『命』は自然界にとってみれば、『ただの石ころ』と何も変わりはしないもの》

それくらい、ちょっと考えればわかるはずです。

【問題は、無機物は形を変えるだけで「増えはしない」が、有機物は放っておけば「際限なく増える」といえこと。だからこそ《『間引き』をしてバランスを保たなければ自然は崩壊してしまう》】

ということ。

愚かしい人間は、自分の都合で《動物は間引くが、自分達はそうしない》から、こんな歪みきったバランスの地球になってしまったのだということを、しっかりと省みなければいけません。

#自然は命などに何の価値も与えていない
#命が大切というのは人間が自分勝手なエゴで生み出した概念

#争いが無ければ人も生物も滅ぶだけ