昨朝、カイル・リッテンハウス」(18)さんに無罪判決が下りたと昼のストレートニュースで報じられました。
が、しかしカイル・リッテンハイムと言う名前だけ聞いても殆どの日本人はその存在を思い浮かべる事は出来ないでしょう。
彼は二人のデモ参加者を射殺し、同じ銃で一人に重傷を負わせました。
報道では容疑の中で最も重い殺人と傷害のみに言及していましたが、実際の裁判はそれらを含む五つの容疑が審理にかけられていました。
今回、彼はそのその全てに於いて無罪の判決を勝ち取ったのだそうです。
彼の殺人は陪審によって正当防衛と認められました。
彼はInocentです。
しかしそのニュースは、彼を何かの手違いで無罪になった悪質な人殺しだとに思わせたがっているようでした。
”デモ参加者を射殺した白人青年が無罪になった”
噓ではありませんが、この情報には生命の危機を感じたカイルと、彼に脅威を感じさせたデモ参加者の姿はありません。彼は正当防衛を認められたと言うのに。
ニュースは最後に、この裁判結果に対して不満を露わにしたと取れるバイデン大統領のコメントを添えて締め括られました。、
「評決は私も含めて多くの米国人に怒りと懸念をもたらすだろうが、陪審が決めたことは認めなければならない」
まるでこの裁判に疑問を持たない人間はこの世に居ないとでも言いたげな様子。
その後、ネットニュースを幾つか検索したのですが、どれも程度の差こそあれ方向は同じ。
重大なのは、彼が黒人擁護団体(BLM)のデモ参加者を射殺した事。
自警団を”名乗って”殺傷力の高い自動小銃を携えていた事。
無罪になった事。
白人である事。
陪審員の過半数が白人だった事。
左派政治家が判決に不満を露わにしている事。
ドナルド・トランプが彼を擁護している事。
どの記事を見ても白人贔屓の不当判決で正義が捻じ曲げられたと言わんばかりです。
本当にそうなのでしょうか。
一つの出来事を別の立ち位置から見る意味で、二つの記事を並べてみました。
上はハフィントンポスト。
日本で見られる記事は殆どこのタイプのコピーです。
下は、日本からアメリカへ帰化した女性が日本に向けて発信されているブログ記事です。
アメリカ保守の視点で裁判をリポートしています。カイルの裁判は正当であると言う主張です。
読み合わせると、一つの事象が二つの視点によって真反対の物語に引き裂かれている様がよくわかります。
最後に。
ハフポストの記事で判事の携帯音が”ドナルド・トランプ前大統領が選挙集会で好んで使う”『God Bless the U.S.A.』であった事が恰も思想的偏りの表われであるかのように仄めかしています。
私には、こんなんアメリカ人全員好きな奴やんとしか思えないのですが、トランプと趣味が被る事さえもアメリカでは批判の的にされかねないのでしょうか。
