会いに来るアイドルV6 | それがいつまで続くかな

それがいつまで続くかな

だらりと始めます。

恐らく私はV6を知ること無く一生を終えるのだろう。

そんな確信に近い未来予想は結構あっさり覆されました。

 

我が家で『学校へ行こう!』(TBS)の視聴が習慣化されたのです。

 

見始めた時期ははっきりわかりません。

 

『学校~』の放送が始まったのが1997年。TBSでは木曜7時台。

しかし私の住んでいたローカルエリアは1999年まで同枠で別番組を流していました。

1999年にTOKIOメインの『ガチンコ!』が始まる時に放送枠が火曜になり、

 

20:00~『学校へ行こう!』

21:00~『ガチンコ!』

 

の縦軸が出来てから見始めた筈―と思っています。

 

先に『ガチンコ!』の視聴習慣があって、『学校~』の方は「V6かー」と思いながら暫くスルーしていました。

何かのタイミングで二部構成の一番組のように視始めましたが、最初は『ガチンコ!』の見逃し防止で点けておくのにいいね。くらいの気持ちでいました。

 

えらいもので視始めてしまえば知る気が無くても情報が刷り込まれます。

徐々に個人の見分けがつくようになりちらほらと名前も一致していきました。

 

とは言うものの基本V6に興味の無い私。なかなか彼らの名前を覚えず、割と長らく自分の中にある既存のイメージをを貼り付けて記憶の整理をしていました。

その時6人に貼っていたタグは以下の通りです。

 

(●●)=この中で一番西城秀樹に似ている人

(^▽^・)=どこかで見た事のある人

(´ε`)=イノッチ

(仝_仝:)=ヤンキー

(・△・)=伊東さんちの子

(゚―゜)=顔キレイ

 

あまり興味が無い様ばかり書いていると誤解を受けそうですが番組は毎週とても楽しんでいました。

もちろんV6への愛着も次第に強くなって、この番組以外でも名前を聞けば意識が向くようになり、耳に入る情報も記憶に留まり易くなりました。

 

ただ、『学校~』は振り返ると当時のアイドルバラエティとしてはかなり特殊な番組だったと思います。

多くのアイドルバラエティはアイドルの個性ありきで初期設計されているけれど、『学校~』にはその節が全く伺えない。

 

SMAPがSMAP²を始めた頃はアイドルが作り込んだコントを演って、料理を作って、楽屋トークを聞かせてくれるだけでも新鮮で有難味がありました。

現実味の無いアイドルではなく等身大の男性として彼らを想像してもらう形で従来アイドルにハマらなかった層にアピールできる。

バラエティはアイドルの魅力を伝える為のツールになりました。

 

TOKIOの『鉄腕DSH!』はグループカラーもあって、初期からメインターゲットを男性に絞ったと思しき体を張った企画が多かった印象です。が、しかし、これもTOKIOの身体能力の高さや男同士のヤンチャなノリを知って貰う為のバラエティです。

 

Kinki Kidsの『LOVE²愛してる』『堂本兄弟』は、音楽性とトーク力を売る、一番本業に近い番組でした。

幅広い年齢の音楽を消費購買する層に訴求力がありそうな、アイドルバラエティとして一番洗練された理想のトークバラエティだったと思います。

 

どれも彼らの能力や個性をわかりやすく売る形のもので、大抵の企画はグループで、或いはスタジオ内で完結していました。

 

それに比して『学校~』は殆どの企画がロケ。そして第三者をサポートする内容。

V6のメンバーは多くの場合オブザーバーとして見守る立場です。

 

ではメインで動かない彼らの仕事が楽なものかと言えばそうとも見えない。

 

街中で通行人にインタビュー。

一般人のお悩みを聴いて解決。

学校へ出向き学生をいじっておいしく見せる、

学生アスリートに挑戦してその種目の醍醐味と選手の技量をプレゼンする。

 

街録絡みのものはかなり演出が入っていそうでしたけれど、基本、学生と絡む企画でV6がやっていた仕事は『~ナイトスクープ』の探偵さんと同じです。

あくまで主役は素人。

少なくとも構造的にはV6を売る為の番組ではありません。

 

他の誰かがやっても成功していた気もするし、V6でなければいけなかったような気もします。

 

でも、最後の最後これが世間に於けるV6の代名詞的番組になってしまいました。

 

アイドルはバラエティによって崇拝の対象からその頑張りを身内の様に応援する相手になり、ついに皆の傍に寄り添って励ましてくれる存在へ。

 

そしてこの番組とV6の成功が後輩嵐を追い込み、5人をより過酷な深夜の受難バラエティへと導いていくのですが、それはまた別のお話。