この一週間日本のマスコミは他国である韓国の話題がヘッドラインを飾っています。

確かに隣国の問題は日本にとっても重要ですがその政治はその国の方々が行うもので私達がどうこうできるものではありません。

 

民主主義を語る言葉に以下のような一文があります。

 

※民主主義諸国のあり方は多様であり、それぞれの国の独自の政治・社会・文化生活を反映している。民主主義諸国の基盤は、画一的な慣行ではなく、基本的な諸原則の上に置かれている。

 

但し、一つだけ言えることは韓国の民主主義は民意が法律さえも抑え込むポピュリズムを民主主義と考えているのではないかと思える傾向です。

確かに韓国の民主主義は韓国の方々が独裁政治との戦いの中で勝ち取ったものであり日本の民主主義の根付き方とは大きく異なります。

 

日本では国民が為政者と戦い勝ち取った民主主義ではなくアメリカを中心とした戦後の占領政策の中である意味与えられた民主主義です。

その中で最も国民に根付いたことが法治国家であることです。

日本人は法律に素直であり統治しやすい国家体制が国民に共有されていることは素晴らしいことです。

 

では、日本は海外からどのように見られているのでしょうか?

 

戦後政治を簡単に振り返ってみましょう。

 

戦後、日本人が作成した憲法の草案はことごとく連合国により却下されました。

その結果、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が作成した草案を基に日本国憲法が制定されました。

その憲法を制定したのは衆議院と1947年5月3日に日本国憲法が施行されるまで存続していた勅選議員で構成されていた貴族院です。

 

日本はポツダム宣言を受諾してから1952年4月28日にサンフランシスコ講和(平和)条約が発効するまでは完全な独立国家ではなくGHQによる統治が行われていました。

そのため、その発効までの期間はGHQにより日本から外国に輸出する製品の全てにMADE IN OCCUPIED JAPAN (占領下の日本=連合国最高司令官総司令部により占領統治をされている日本)と刻印することが命ぜられていました。

 

日本には国会も地方政治もありましたが、GHQは日本国の最高機関以上の権力を持っていましたので1947年のGHQによるゼネスト中止指令のように憲法により保障されている国民の権利さえも停止したことがありました。

 

よって日本が再独立した際に日本の自主憲法を制定すべきであるとの意見が多くありましたが独立を急ぐ吉田内閣は憲法を改定することなく日本独立を優先しました。

もちろん吉田首相自身もその矛盾を十分理解していらっしゃいましたがアメリカの日本駐留や憲法と矛盾する軍備を保持することを両国の間で日米安全保障条約締結に基づき決定しました。

 

吉田首相はその矛盾から責任は将来にわたって自分一人が負うとの決意もあり日本からアメリカに派遣されていた他の委員にはその書類に署名をさせず吉田首相一人の署名に留めました。

 

その頃、隣国韓国では朝鮮戦争が行われており、日本は壊れた兵器の修理や休暇で日本を訪れる国連軍兵士が落とすお金による朝鮮特需で急速に経済的に立ち直ることが出来ました。

そのような戦後復興の陰には朝鮮戦争終了後に日本人女性との間に生まれた子供たちを日本に残したまま母国に帰国した兵士も多く子供たちは「あいのこ」などと蔑視されるような状況も生じました。

 

韓国(朝鮮半島)では日本人は朝鮮人の血と苦痛により戦後復興をしたと仰る方もおいでになることも事実です。

 

私は、韓国やフィリピンで日本が行った蛮行を直接お聞きしたこともありました。

またインドネシアではいつ自衛隊が来てくれるのだと言われ驚いたこともありました。

感情は、個々人や教育によってイメージづけられるものであり近代史を恣意的に避けて教育を行っている日本ではそれらの事柄を知らないことが普通なのかもしれません。

しかし、他国ではあくまでその時の為政者にとって有利に解釈をされてはいますが国史はとても大事な学びであり日本のことを知らない日本人は無知と決めつける方々も多くおいでです。

 

戦後史をまともに子供たちに教えれば国を嫌いになるかもしれません。

日本の戦後史を外国から見るとどう見えるのかを戦後政治の一部を切り取って述べてみます。

 

第二次世界大戦後、満州国建設や日本の戦争に加担したとされた政治家の多くはGHQにより巣鴨プリズンに収監されました。

結果、文民としては二二六事件以降に内閣を組閣した広田弘毅元首相が死刑となりそのほかの政治家のほとんどは1948年12月24日以降に保釈されました。

 

もちろん嫌疑が晴れた訳ではなく、アジア地域が急速にソ連と中共(毛沢東)軍による赤色化が顕著となりアジア地域、特に中国地域に精通した満州国の経済フィクサーと称された政治家はアメリカにとって赤色化を防ぐために大事な知恵袋となったことも保釈理由の一つであったと推察されます。

 

日本では戦後真っ先にA級戦犯として逮捕されたのは主に戦争を始めた責任者である東條内閣の閣僚でした。

世界からこの事実を見れば東條内閣はナチスのヒトラー内閣とイタリアのムソリーニのファシスト党内閣と並び称されています。

 

日本の方々もナチスの内閣やファシスト党に否定的又は嫌悪感を持っていらっしゃる方もおいでだと思います。

東條内閣は特にアジア各国から見ればそのように見られても仕方がない側面もあります。

歴史は主に未来の人々が決めることであり東條内閣の閣僚で満州国を経済的に仕切っていたフィクサーとなれば未来の人には怖いと思われるかもしれません。

 

満洲国総務庁次長を務め、第二次世界大戦開戦時に東條内閣で商工大臣を務めていた岸信介氏は戦後真っ先にA級戦犯として拘束されました。

 

岸信介氏はA級戦犯被疑者として3年半拘留され公職追放もされましたが日本の再独立と同時に公職追放も解除されました。

もちろんその理由には共産主義の台頭に対する岸信介氏の中国大陸に関する知識がアメリカにとって必要であったからであることも否めない事実です。

 

岸信介氏は戦犯からリリースされて僅か9年後には日本のトップである首相となりました。

 

岸首相の前任者であった石橋湛山元首相が岸氏に宛てた私信には「石橋が示した閣僚名簿に対し昭和天皇は「自分はこの名簿に対して只一つたずねたいことがある。どうして岸を外務大臣にしたのか、彼は先般の戦争に於いて責任がある。その重大さは東條以上であると思う」と述べた資料があることが今に伝えられています。

 

岸信介氏の孫が凶弾に倒れた安倍元首相ですので中国、韓国からは安倍首相は決して良くないイメージを持たれていました。

安倍元首相は中国の政治の本質をしっかりと理解し中国の弱点なども見極めながら過去を払しょくするような強さで臨んだことは将来の歴史に残る政治家であったと思います。

又、安倍首相は韓国では嫌韓を政治に利用したとされ、韓国では最も忌み嫌われた指導者でした。

 

日本では政治を学校で深く学ぶことはありません。

55年体制以後日本の政治は現在の政治へと大きく流れを変えることなく脈々と続いており、教育に於いても現代史を深く切り込み学習することはありません。

国家が自国を嫌悪するような事実は教育に取り入れるわけもないからです。

しかし、判断材料として事実を教えることは重要です。

 

しかし、その傾向は他国でも同様です。

WASC加盟のインターナショナルスクールのアメリカ史の教科書には「原爆により戦争終結が早まり多くの命がすくわれた。」と記述されています。

 

それだけに多くの国の若者同士が意見を交換しお互いの妥協点を見つけることが必要だと思っています。

※WASC(ウエスタン・アソシエーション・オブ・スクールズ・アンド・カレッジズ)アメリカのカリフォルニア州に本部がある国際的な評価団体認定外国人学校。

 

小論文はそのような知識を背景に本質を述べます。

 

民主主義という言葉は4文字の漢字だけで表すことはできません。

日本の教育に於いても本当の民主主義とは何かをしっかりと教育し理解を促し民主主義の本質に基づいた政治理念を持つ若者が増えることを願っています。

 

最後に、私が大事にしている民主主義の本質を表す一文を記します。

 

”民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。マハトマ・ガンジーはこう述べている。「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。”

 

原文は以下のとおりです。

”Democratic societies are committed to the values of tolerance, cooperation, and compromise. Democracies recognize that reaching consensus requires compromise and that it may not always be attainable. In the words of Mahatma Gandhi, “intolerance is itself a form of violence and an obstacle to the growth of a true democratic spirit.”