仕事が大変ではありつつ、
週末は週末らしく過ごしております。
ロブ君は今サンフランシスコにいるけど、
こっちはこっちで
屋外ビアガーデンで友人と愚痴をこぼしあったり、
深夜(過ぎ)までビリヤードをして腹かかえて笑ったり、
週末っぽい二日酔いをしてみたり、
しばらく前に出会った某写真家さんとバーゼルで熱い芸術論を戦わせたり、
家の掃除をして気持ちもすっきりさせたり、
プッチーニを聞きながら長風呂したり、
昼夕食とも冷蔵庫にあるものでちゃちゃっとご飯をつくったり、
ピアノ弾いたり、
がばがばワインを飲みながら映画観たり、
そんな週末。
―――――――――――――――――――――――――――
さて、その映画観賞。
しばらく友人に貸していた
“フォレスト・ガンプ”のDVDが帰ってきまして
(いや、貸していたことも完全に忘れていたけど笑)、
仕事でてんやわんやかつ
自分のプライベートも色々わちゃわちゃかつ
人生の転機である
ということで日曜の夜に久々に鑑賞したのであります。
トム・ハンクスの常軌を逸した名演のお陰で、
もう、始めのフォレストが自分の人生を語りだすシーンから
すでに号泣スイッチが入るんですが、
とりあえず130分間、
とにかく各シーンでいちいち泣かされっぱなし。。。。
終盤の重大な別れのシーンでは
もう過呼吸で脳が思考ストップで笑
なにが泣かせるって、
人生の重要な出来事・転機に
なんにも抗わずとにかく受け入れたフォレストの姿が
とにかく何と言うかものすごく示唆に満ちていて、
いろいろ迷いだらけの今の僕に
“まあ、今は苦しいかもせんけど、まずは状況を受け入れなよ”
って言ってくれているようでね、
心に自分で課してるもろもろのストレス・プレッシャーから
すっと解放してくれるようなそんな気分になったのです。
で、
過去にこの映画の感想文を書いた記憶もあって、
過去の記事をさかのぼってみたら、
チューリッヒに越してきて2週間もたたないうちの記事が
ありました→ 時間が経つのは止められない
これを読み返して何が驚きって、
基本的にその時理屈で考えたことと
今考えてることにそれほど大きな違いはないということ。
と同時に、
今の僕は
当時の僕が想像だにしなかった経験を
4年とちょっとかけてしてきたという、
その事実。
あたりまえかもしれないけど、
この事実って本当に衝撃的で。
だって、この4年半で自分の人格は
そりゃあもうものすごく大きく変化したって思ってたからね。
色々大事な人生の経験も経て。
でも当時言ってることと
今思うことは大して違わない。
端的に言うと、
ある程度大人になってしまったら
もうはやそれほど人格は変わらない、
ってことなのかもしれないけど、
それよりも面白いのは、
そんなこと言いつつ、一つ一つの経験は
自分自身の生活の楽しみ方を確実に変えている、
って部分です。
本当に振り返れば素直に驚くほど、
いろんな、ほんとにいろんな経験をさせていただいていて、
明らかな自分の変化っていうのはあって、
それについてまさに昨日バーゼルに行って話してきたし、
その変化がなきゃそもそもそんなことを話しに
わざわざバーゼルなんて行きもしなかったはずやし、
でもその変化も実は枝葉末節でしかないと。
その枝葉末節が
日々の楽しみ、日々のポジティブ/ネガティブを左右するけど、
結局ものごとの本質を
意味あるものかそうでないかをジャッジする自分は
もうずっと前にほとんど出来上がっていると。
これって実はものすごくおもしろいことですよね。
だって、
もう根本的には変わらない自分はいても
物事を楽しむその楽しみ方は
まだまだこれからももっと変化していけるってことだから。
その根本に自分を肯定してい続けられる限り、
どんな楽しみもどんな苦しみも
その根っこの自らが肯定する自分に還元されて、
正当化できるってことだから。
あー、なんだか頭でっかちな記事になっちゃいましたね。
失礼。
でもこの4年と半分のチューリッヒでの生活の自分の変化を
なんとなく言葉にできた気がして、
少しすっきり。
お目汚しご勘弁。
週末は週末らしく過ごしております。
ロブ君は今サンフランシスコにいるけど、
こっちはこっちで
屋外ビアガーデンで友人と愚痴をこぼしあったり、
深夜(過ぎ)までビリヤードをして腹かかえて笑ったり、
週末っぽい二日酔いをしてみたり、
しばらく前に出会った某写真家さんとバーゼルで熱い芸術論を戦わせたり、
家の掃除をして気持ちもすっきりさせたり、
プッチーニを聞きながら長風呂したり、
昼夕食とも冷蔵庫にあるものでちゃちゃっとご飯をつくったり、
ピアノ弾いたり、
がばがばワインを飲みながら映画観たり、
そんな週末。
―――――――――――――――――――――――――――
さて、その映画観賞。
しばらく友人に貸していた
“フォレスト・ガンプ”のDVDが帰ってきまして
(いや、貸していたことも完全に忘れていたけど笑)、
仕事でてんやわんやかつ
自分のプライベートも色々わちゃわちゃかつ
人生の転機である
ということで日曜の夜に久々に鑑賞したのであります。
トム・ハンクスの常軌を逸した名演のお陰で、
もう、始めのフォレストが自分の人生を語りだすシーンから
すでに号泣スイッチが入るんですが、
とりあえず130分間、
とにかく各シーンでいちいち泣かされっぱなし。。。。
終盤の重大な別れのシーンでは
もう過呼吸で脳が思考ストップで笑
なにが泣かせるって、
人生の重要な出来事・転機に
なんにも抗わずとにかく受け入れたフォレストの姿が
とにかく何と言うかものすごく示唆に満ちていて、
いろいろ迷いだらけの今の僕に
“まあ、今は苦しいかもせんけど、まずは状況を受け入れなよ”
って言ってくれているようでね、
心に自分で課してるもろもろのストレス・プレッシャーから
すっと解放してくれるようなそんな気分になったのです。
で、
過去にこの映画の感想文を書いた記憶もあって、
過去の記事をさかのぼってみたら、
チューリッヒに越してきて2週間もたたないうちの記事が
ありました→ 時間が経つのは止められない
これを読み返して何が驚きって、
基本的にその時理屈で考えたことと
今考えてることにそれほど大きな違いはないということ。
と同時に、
今の僕は
当時の僕が想像だにしなかった経験を
4年とちょっとかけてしてきたという、
その事実。
あたりまえかもしれないけど、
この事実って本当に衝撃的で。
だって、この4年半で自分の人格は
そりゃあもうものすごく大きく変化したって思ってたからね。
色々大事な人生の経験も経て。
でも当時言ってることと
今思うことは大して違わない。
端的に言うと、
ある程度大人になってしまったら
もうはやそれほど人格は変わらない、
ってことなのかもしれないけど、
それよりも面白いのは、
そんなこと言いつつ、一つ一つの経験は
自分自身の生活の楽しみ方を確実に変えている、
って部分です。
本当に振り返れば素直に驚くほど、
いろんな、ほんとにいろんな経験をさせていただいていて、
明らかな自分の変化っていうのはあって、
それについてまさに昨日バーゼルに行って話してきたし、
その変化がなきゃそもそもそんなことを話しに
わざわざバーゼルなんて行きもしなかったはずやし、
でもその変化も実は枝葉末節でしかないと。
その枝葉末節が
日々の楽しみ、日々のポジティブ/ネガティブを左右するけど、
結局ものごとの本質を
意味あるものかそうでないかをジャッジする自分は
もうずっと前にほとんど出来上がっていると。
これって実はものすごくおもしろいことですよね。
だって、
もう根本的には変わらない自分はいても
物事を楽しむその楽しみ方は
まだまだこれからももっと変化していけるってことだから。
その根本に自分を肯定してい続けられる限り、
どんな楽しみもどんな苦しみも
その根っこの自らが肯定する自分に還元されて、
正当化できるってことだから。
あー、なんだか頭でっかちな記事になっちゃいましたね。
失礼。
でもこの4年と半分のチューリッヒでの生活の自分の変化を
なんとなく言葉にできた気がして、
少しすっきり。
お目汚しご勘弁。