済んだことをずるずる引っ張っても
良いことなんかないから、
さらりと流さなきゃねってことは分かってて。。

でも、小さな曲がり角は曲がったから
備忘も大事。
そして未熟なじめじめした自分に
それではいかんよと言い聞かせるために
夜中1時半にパソコンに向かうのです。



人との衝突というか
「ちょっと意見したい」って言う気持ちを
単純な怒りで対処していた時期も随分前に過ぎ、
過去と現在の両方の僕を知る方々からは
「随分角がとれたね」なんて言っていただいて久しいのです。

それは事実。

でも文化も言語も違う環境で
しかも建設的な人間関係を築きたいとすると
やはりかつて経験したタイプのネガティブ感情と
望まない再会をしてしまったりもするものなのです。

イライラに任せて
機嫌の悪い態度を取るのは簡単で、
でもさすがに30歳間近のおじさんがそんなことしてても
なんにもクールじゃないってことは客観的には分かるから、
じゃあどうやって自分をイライラさせないか
あるいはどうやってそれを解決・解消するか
真剣に考えなきゃいけない、
となる訳で。



踏み出すべきは
人とのコミットメントを避けないという部分。
要らないプライドは要らないものやし、
インタラクティブな関係から発展する自分もいると
本当に遅ればせながら最近になってようやっと知りつつあるし、
そろそろそれとがつっと面と向かわないと
偏屈な人間になってしまうぞと
そういう危機感。

頭でっかちに生きてる悪い癖で、
体を動かすより先に考えが及ぶもので、
でも問題解決はもはや自分一人のものではないと
そんなことになってしまっている限りは
単純に「話して前進」が大事な訳でね。
自分の考えと人の考えは絶対に違うものやからね。


そんなにシンプルな事を今更確認している
本当に未熟な自分にびっくりしつつ、
でも「話す」事によって生まれる
3次元の波動的なうねりがあることも事実やし、
実際そのうねりに身を置いて
経験したことのない感情・考えのスウィングに
単純な「おー新鮮」って印象も持つし。



英語で話すと自分の素に戻る感覚は常にあって
「三つ子の魂百まで」を地で行っている昨今、
だからこそリスペクトを以って大事にしたいと思うものは
大事に育てなきゃいかんし、
「育てる」事には何かしらの投資が必要やし、
多少の痛みはないことには動くものも動かないと、
そんな事を思う
スーパー天気の良い週末のBBQ上がりなのです。



自らへの念押し。
ないものねだりはせず、
後腐れはなく、
スウィングに乗る時はあくまでも客観的視点を失わずに。
もがいて溺れるのはもったいない。
「泳げる」と思えば泳げるもの。
水をかく感覚は十分すぎるほど身にしみているはずやから。

観念と行動がこうして符合し始めている今は
むしろとても面白い時期だということなんですな。