寒さも一旦やわらぎ、
随分過ごしやすくなりました。
ていうか、気温が5℃を越えただけで、
なんか春が来たんじゃないかくらいの体感です笑
そういや、
初めてとある雑誌に投稿された論文の
査読を依頼されました。
そんな立場になるのはまだもうちょっと先と思ってたから、
びっくりというのが正直な感想。
自分の知らないところで
自分の論文が読まれてるってことですね。
気持ちが引き締まる思いです。
査読については
不相応かとも一瞬は思ったけど、
内容的に的確なコメントができそうなものだったから
引き受けることにしました。
誠実さと丁寧さを忘れずに取り組みます。
さて、放置気味やったスイス国内旅行記を続けますよ。
11月21日(日)
昼過ぎにKleine ScheideggからGrindelwaldへ戻り、
そのまま電車を乗り換え、
Interlakenを経由して15時辺りにBern(ベルン)に到着。
ベルンは知名度こそ高くないものの、
実はスイス連邦の首都だったりします。
この日は結局ユングフラウの上まで行けなかったため、
時間がちょっとできたってのもあって、
チューリッヒへの帰り道にベルンで寄り道したのでした。
これまで何度も電車で通過はしてたけど、
街に降り立ったのは実は初めて。
ベルンの旧市街は中世以来の街並みが良く保存されてて、
世界遺産にもなってたりもします。
軒の高さとディテイル、建物の面、
ファサードの素材等々、
とにかく統一感溢れる重厚な街並み。
アーケードがずーっと続いていて、
アーケードの空間も非常に面白い。
天気が悪くて、かなり陰鬱な感じですが笑
そんな旧市街の中に、
かつてアインシュタインが特許局(といっていいの?)で勤めてたときに
3年程暮らした家が残ってます。
今はちょっとした博物館(というより展示スペース)になってます↓
こちら、アインシュタインの家、内観。
ここで暮らしてたときに
彼は有名な「奇跡の年」1905年を迎えました。
光電効果、ブラウン運動、特殊相対性理論について、
次々論文を発表したと。
それぞれの理論の証明が詳細にされた訳ではなく、
「こうこうこういう理論が成り立つはずだ」的な
いわば予想を示すような論文が多く、
その詳細は後年に検討されていくことになったようです。
(ざくっとだけ展示を見ての印象なので、嘘かも)
つまり、
びんびんに研ぎ澄まされてた物理屋の感が、
ぴーんと働いた年といった感じだったはず。
一般人にはとてもじゃないけど計りかねる
職人の勘的なものが働く程、
彼の物理センスがいい具合に磨かれていたと、
そんな感じの印象です。
ポイントは一つの理論にどっぷり没頭という訳ではなく、
いろいろ思いついてたってことね。
光電効果も、特殊相対性理論も、
実は理屈を頭で理解するのは大して難しくはないのです。
光電効果なんて高校物理の教科書で出てくるからね。
でも全く目に見えない誰も知らない世界の話を、
ぴんぴんにとがった感覚で
つかみ取ってしまい、
しかもそれを証明するっていうだからとんでもない話。
卑近な例で言ったら、
「パソコンを使えるようになるのは簡単やけど、
果たして自分が一生かけてゼロからパソコンを開発できる?
いや、無理でしょう。」
っていう感じか。
ちょっと誇張しすぎかもせんけど。
でね、
何より僕がショックを受けたのは、
この1905年、
アインシュタイン先輩(実はETHの卒業生)は26歳だったそうで!!!
今の僕と同い年ではないかと!!!
それに気付いた時は少しばかり気が遠くなったのでした。
自分と比べるなんておこがましいにも程がありますが、
それでも偉人の偉人たる部分を
自分をスケールに初めて感じた貴重な感覚。
そんなアインシュタイン先輩の家を後にして、
ふらふらウィンドウショッピング。
橋を渡り、クマ公園へ。
クマはベルンの町のシンボルなのです。
で、ずーっと昔から(15世紀)から伝統的にクマが飼われてきたそうで、
現在の物はリニューアルされてまだ間もない物。
よりクマらしい生活ができるようにと
いろいろ配慮されているとのこと。
実はここでちょうど一年ほど前に
柵内に人が入ってしまって、
気持ちの高ぶったクマが人を襲い、
やむなくクマが射殺されるっていう事故があったのです。。
この人は結果無事だったそう。
入った人に悪意はなく(安全性の判断がつかない方だったそう)、
もちろんクマは侵入者に対して
本能に従った行動をしただけで、
人間の都合に振り回されて死んだクマを思って
何とも言えない気持ちでチューリッヒにて感じたりもしていました。
ちなみに事故の一番の原因は、
柵の一部がかなり簡単に乗り越えられる状況になっていた点。
自分も設計ごとに携わってる故、
全てのリスクが設計段階でクリアになるとは思えないのですが、
でも、この設計ミスはちょっとつらい。
ちなみに今この個所は
鉄条網が設置されています。
この無機質な対策が当時の事故をむしろ思い出させる雰囲気。
なんてことを思い出しながら、クマを眺め、
街へ戻り夕食を食べ、
電車に乗って無事チューリッヒへ夜中に戻って来たのでした。