しばらく前まで日本に出張で2週間ほど出ていた
プロジェクトパートナーのReneさんが、
「はいこれお土産。これがあればしばらく日本に帰らなくて済むね。スイスでいっぱい働けるね。」
と、笑顔で渡してくれたもの。
高級日本米2キロ、
カレールー(新しいタイプのちょっと凝った製品)
いや、いつも日本から帰ってくるたびに、お土産を渡してくれて、
今までは漬物、ラーメンセット、生そば等々、
チューリッヒでは手に入りそうで入らないものを頂いていたのです。
さすが日本で暮らしただけのことはある。
今回もバッチリそのラインナップ。
米は買えても特別な米はもちろんないし、
手に入るカレールーも、おそらく一番メジャーであろう某●ーモン●カレー程度なので。
週末はスーパーに買い物に出るのも面倒なので
(日曜に買い物しようものなら電車に乗って市内まで出なきゃなのです)、
金曜に買いだめ、その夜か土曜の昼に食事を作りだめして
週明けまで食いつなぐという日常なのですが、
カレーなんて打ってつけではないですか!?
なんで今まで一度もカレーを作ろうという発想にならなかったか、自問自答しながら、
金曜日の夜にいそいそとカレー調理開始。
具材は牛肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ナスビと、わざとシンプルに。
市販のルーを使ったカレーなんて特に作り方を意識する必要もなく、淡々と調理は進み、
良い具合に煮立った野菜スープ状態のところへ、ルーを投入。
ルーを開封した習慣にむわんと漂う濃厚なスパイスの香りに、
「ん、さすがは新製品。某●ーモン●カレーのような、煮え切らない中途半端な雰囲気がないねー。」
と、リアルにひとりごちながら、ぽいぽいとね。
さらにしばらく煮込んでいたところで、
絶妙なタイミングで米が炊きあがり(今回は欧州では一般的ないわゆるタイ米)、
丼に米をよそい、カレーを盛り出来上がり。
煮込むのって平日諸々済ませて帰宅してからだとなかなか待つのもつらいもので、
煮込み待ち中に箸安め用のキュウリの浅漬けまで作ったりしていて、
すっかり腹減りの僕は、一口ビールで喉をうるおすなり、おもむろにバクリとカレーを口に運びます。
ほんの直前まで
「おー、カレーやー。日本を感じるぜー。食べて幸せにならないわけがないとも。」
と、本気で思ってたんですが、、、、
実際の感想は、
「うん、、、カレーってこんなものやったね。
このなんとも形容しがたいつかみどころのない味、香。
あんまりうれしいタイプの懐かしさでは絶対ないっす。
つか、なんかシャバシャバやね。もしかしてまさかの調理ミス?」
という結果に。。。。。
久し振り過ぎて(いや東京に住んでた時も市販ルーのカレーは1度しか作っていないんですよ)
しかも、なんだかハイテクを感じさせる新製品ルーだったせいもあって、
幻想を抱きすぎた上に、
普段は絶対に料理を失敗しないはずがこの体たらくで。
一気に気分は通常通りに戻ってしまいましたとさ。
で、市販ルーの何が僕をイライラさせるかというと、
ズバリ、
「この程度の味って、誰でも好きだよね。
大量生産型カレールーの求めるところはやっぱり『大衆受け』でしょう。
まあ、辛さ設定くらい選べれば消費者は文句ないんじゃない?」
と感じさせるあの味・香・調理の手軽さなのです。
大人数の合宿に行けば、昼食の一回は必ずカレーとか、
「国民食カレー」的アイデアとか、
「うちは隠し味にこれを入れます」に代表されるカレー文化とか、
「カレーを一日3食食べても平気です」とか、
どれもこれも没個性的な気持にさせられるのが、嫌なのです。
(昨日の記事と矛盾してるという指摘は無粋ですよ!今日の話題は次元が一つ下です笑)
好きじゃない味を、軽い調理ミスと、ひねくれた自分の感情とともに味わった時の
一気に現実に引き戻された感は、なかなか味わえるものではなかったですな笑
というわけで、
いつ誰に言っても珍しがられるアンチ市販カレールー派の
独り言でした。
ちなみに残ったカレーは
土曜の昼にシャバシャバっぷりを生かして、カレースープとしてパンとともに、
日曜夜と月曜夜には昆布だしと酒で溶いてカレーうどんにして、
これらのアレンジはそれぞれ美味しく頂きましたよ。
やっぱりカレーライスの安易さが許せないのですね。