※この記事は観劇とは関係ありません
7月28日~29日までの観光や食事について綴っています。
■7月28日
米原駅から北陸ルートを通った私。
近江前津で25分くらい待機しました。
新幹線延伸などの関係で米原~敦賀間は減便されているんですよね。
敦賀まで辿り着いて
さらに北陸線で福井駅まで乗り継ぎます。
なぜこのルートを通ったかというと
来年3月以降は使わなくなると思ったからです。
東京からなら新幹線で行けるようになりますからね。
恐竜王国福井へ。
福井駅は恐竜を推しています。
日本の恐竜の化石の大部分が福井で発掘されています。
8割くらい。
なぜ発掘に成功しているのかというと
早期から発掘事業に力を入れてきた点と地質的なものが関係しているからと思われます。
翌日に行ったある名勝も地質学的にも興味深いですしね。
目的地に行く前に1時間近く時間があったので昼飯へ。
福井駅前にある福そばです。
ミニソースカツ丼と焼き鯖寿司、おろしそばセットにしました。
福井県の名産品を一気に堪能できる欲張りセット!
美味しかったですね~。
食後はすぐ近くにある北ノ庄城跡地へ。
今は神社と公園になっています。
織田 信長に仕えていた柴田 勝家の居城でした。
柴田 勝家像。
『かかれ柴田』の異名で知られる猛将。
一度は織田 信秀の後継者問題で信長の弟・信行(信勝説あり)側につき、信長に弓を引きましたが
以降は忠臣として各地を転戦しました。
後述の加賀百万石物語の主人公も仕えていたのですが、
豊臣 秀吉との板挟みになり、寝返ったことが賤ヶ岳の戦いや北ノ庄城最終決戦での敗因の一部になっています。
お市の方像。
絶世の美女として知られていますね。
信長の妹で浅井 長政に嫁ぎましたが、後に勝家に嫁ぎました。
勝家を破った秀吉がぞっこんだったらしい。
姉妹像。
長政とお市の娘達。
長女は後に秀吉の側室となった淀君だったりします。
福井県庁付近へ移動します。
ここには福井城跡地があります。
福井県庁は守りが固そうである。
結城 秀康像。
秀吉亡き後、天下人となった徳川 家康の次男坊です。
家康の長男は信康。
彼は謀反の疑いで切腹させられました。
生きていたら、そのまま将軍になっていた可能性もあったかもしれません。
秀康は信康の腹違いの弟となります。
家康に冷遇されていたらしく、結城家の養子になった後、
関ケ原後は越前が福井の地に来たという。
ちなみに弟の二代目将軍・秀忠の奥さんはお市の方の三女・江という。
謎のつながり。
秀吉に寵愛されており
『秀』の字を授かったとか。
1時間で福井を見回った後、早々とあわらへ移動しました。
■7月29日
あわらミュージック観劇翌日。
ホテルで朝風呂しました。
あがってから向かったのは三国競艇場。
ボートレース会場の一つ。
あわら湯のまち駅からだと20分くらい掛かると思います。
栗橋のボートピアみたいにバスとかあったのかな?
競艇をやりたいところですが、急ぎ移動。
あわら湯のまち駅発のバスで西進。
東尋坊行きに乗車します。
基本、車がないとあんまり観光できないかな?
雄島。
一周したり、上陸したかったですが、時間都合でパス。
20分くらいで
東尋坊へ。
東尋坊タワー。
登らず。
日本の名勝の一つ。
地質的に美しい場所です。
断崖絶壁・まさに崖っぷち!
前日のロミジュリを思い出しちゃいますね。
昼間は観光客が多く賑わっています。
有名な話で、日が沈むと状況が変わるのが東尋坊。
いわゆる上述の美しい場所から離れたところに
ひっそりと一人で進み……後が絶えません。
サスペンスドラマの最後だったりで使われているせいなのか。
かつて東京だと高島平の団地や新小岩駅のホームが有名でした。
いずれも柵ができて改善されています。
この地には公衆電話が置かれています。
ボックス内には10円玉硬貨複数とある連絡先が記されています。
また、昼夜見回りの人が巡回しています。
曰く、夕方~夜がとのことでした。
思いとどまってほしいですね。
東尋坊名物のイカスミブラックを。
味は内緒。
暑い日に食べると美味しすぎます。
東尋坊から南下します。
炎天下だったので暑い暑い。
日本海はきれいですね。
海の幸も美味しいに違いない!
そう考えた私は三国港近くにある魚志楼へ行きましたよ。
キリン一番搾りプレミアム!
暑い日のビールは格別!
おまかせ丼にしましたよ。
北陸の海の幸を堪能!
鮮度がよくて美味しい!
肉の日に食べる魚という。
私は肉よりも魚が好きなんですよ。
午後に向けて移動します。
三国港駅から福井駅へ向けてえちぜん鉄道乗車。
いずれまた乗るかな?
福井駅到着後は北上しました。
北陸線に揺られます。
次回は使わなそうなので。
海岸風景が最高!
午後2時くらいに金沢駅到着。
駅が豪華!
加賀百万石の地。
やはり前田 利家が有名でしょう。
『槍の又左』という異名があります。
織田 信長に仕え、一度は離反したものの桶狭間の戦い後に帰順。
各地を転戦後は、前述の勝家の陪臣として北陸方面で活躍します。
本能寺の変後は、勝家に従うも
秀吉との友情を捨てられず、寝返ります。
以降は加賀の地に移り
加賀百万石の治世を作りました。
大河ドラマの主人公にもなっていますね。
秀吉と違って、正室・まつ一筋で子宝にも恵まれました。
利家が長生きしていれば
家康の天下はなかったかもしれません。
駅からだと20~30分歩いたところに金沢城公園があります。
城郭は残念ながらなし。
このすぐ近くに有名な兼六園があります。
日本有数の庭園ですね。
料金もそんなにかかっていません。
全部を載せず
一部画像抜粋。
心地の良い場所でしたよ。
観光客も大勢。
歩き疲れた私は
庭園の横にある通りで金箔ソフトを食べました。
無茶苦茶値段高かった……。
ゴージャスなソフトクリームでした。
バニラと抹茶のダブルにしています。
その後は急いで金沢駅に戻って新幹線に。
かがやきとはくたかがあります。
はくたかに乗車して帰京。
ぎゅうたまきしめん。
前の記事に載せた住よしの系列店である爽亭のもの。
都内だと池袋や上野にあります。
こちらも本家に違わず美味しい!
始まりと終わりを合わせました。
■感想
せっかく来たので北陸を巡りましたよ。
あわただしかったのでもっとゆっくり観たかったですが……。
北陸新幹線が開通したら
行かなそうな地を通ったり、行った感じですね。
福井だと有名な寺や城跡がまだまだあるので
巡ってみたいものですね。
お読みいただきありがとうございました。
7月28日~29日までの観光や食事について綴っています。
■7月28日
米原駅から北陸ルートを通った私。
近江前津で25分くらい待機しました。
新幹線延伸などの関係で米原~敦賀間は減便されているんですよね。
敦賀まで辿り着いて
さらに北陸線で福井駅まで乗り継ぎます。
なぜこのルートを通ったかというと
来年3月以降は使わなくなると思ったからです。
東京からなら新幹線で行けるようになりますからね。
恐竜王国福井へ。
福井駅は恐竜を推しています。
日本の恐竜の化石の大部分が福井で発掘されています。
8割くらい。
なぜ発掘に成功しているのかというと
早期から発掘事業に力を入れてきた点と地質的なものが関係しているからと思われます。
翌日に行ったある名勝も地質学的にも興味深いですしね。
目的地に行く前に1時間近く時間があったので昼飯へ。
福井駅前にある福そばです。
ミニソースカツ丼と焼き鯖寿司、おろしそばセットにしました。
福井県の名産品を一気に堪能できる欲張りセット!
美味しかったですね~。
食後はすぐ近くにある北ノ庄城跡地へ。
今は神社と公園になっています。
織田 信長に仕えていた柴田 勝家の居城でした。
柴田 勝家像。
『かかれ柴田』の異名で知られる猛将。
一度は織田 信秀の後継者問題で信長の弟・信行(信勝説あり)側につき、信長に弓を引きましたが
以降は忠臣として各地を転戦しました。
後述の加賀百万石物語の主人公も仕えていたのですが、
豊臣 秀吉との板挟みになり、寝返ったことが賤ヶ岳の戦いや北ノ庄城最終決戦での敗因の一部になっています。
お市の方像。
絶世の美女として知られていますね。
信長の妹で浅井 長政に嫁ぎましたが、後に勝家に嫁ぎました。
勝家を破った秀吉がぞっこんだったらしい。
姉妹像。
長政とお市の娘達。
長女は後に秀吉の側室となった淀君だったりします。
福井県庁付近へ移動します。
ここには福井城跡地があります。
福井県庁は守りが固そうである。
結城 秀康像。
秀吉亡き後、天下人となった徳川 家康の次男坊です。
家康の長男は信康。
彼は謀反の疑いで切腹させられました。
生きていたら、そのまま将軍になっていた可能性もあったかもしれません。
秀康は信康の腹違いの弟となります。
家康に冷遇されていたらしく、結城家の養子になった後、
関ケ原後は越前が福井の地に来たという。
ちなみに弟の二代目将軍・秀忠の奥さんはお市の方の三女・江という。
謎のつながり。
秀吉に寵愛されており
『秀』の字を授かったとか。
1時間で福井を見回った後、早々とあわらへ移動しました。
■7月29日
あわらミュージック観劇翌日。
ホテルで朝風呂しました。
あがってから向かったのは三国競艇場。
ボートレース会場の一つ。
あわら湯のまち駅からだと20分くらい掛かると思います。
競艇をやりたいところですが、急ぎ移動。
あわら湯のまち駅発のバスで西進。
東尋坊行きに乗車します。
基本、車がないとあんまり観光できないかな?
雄島。
一周したり、上陸したかったですが、時間都合でパス。
20分くらいで
東尋坊へ。
東尋坊タワー。
登らず。
日本の名勝の一つ。
地質的に美しい場所です。
断崖絶壁・まさに崖っぷち!
昼間は観光客が多く賑わっています。
有名な話で、日が沈むと状況が変わるのが東尋坊。
いわゆる上述の美しい場所から離れたところに
ひっそりと一人で進み……後が絶えません。
サスペンスドラマの最後だったりで使われているせいなのか。
かつて東京だと高島平の団地や新小岩駅のホームが有名でした。
いずれも柵ができて改善されています。
この地には公衆電話が置かれています。
ボックス内には10円玉硬貨複数とある連絡先が記されています。
また、昼夜見回りの人が巡回しています。
曰く、夕方~夜がとのことでした。
思いとどまってほしいですね。
東尋坊名物のイカスミブラックを。
味は内緒。
暑い日に食べると美味しすぎます。
東尋坊から南下します。
炎天下だったので暑い暑い。
日本海はきれいですね。
海の幸も美味しいに違いない!
そう考えた私は三国港近くにある魚志楼へ行きましたよ。
キリン一番搾りプレミアム!
暑い日のビールは格別!
おまかせ丼にしましたよ。
北陸の海の幸を堪能!
鮮度がよくて美味しい!
肉の日に食べる魚という。
私は肉よりも魚が好きなんですよ。
午後に向けて移動します。
三国港駅から福井駅へ向けてえちぜん鉄道乗車。
いずれまた乗るかな?
福井駅到着後は北上しました。
北陸線に揺られます。
次回は使わなそうなので。
海岸風景が最高!
午後2時くらいに金沢駅到着。
駅が豪華!
加賀百万石の地。
やはり前田 利家が有名でしょう。
『槍の又左』という異名があります。
織田 信長に仕え、一度は離反したものの桶狭間の戦い後に帰順。
各地を転戦後は、前述の勝家の陪臣として北陸方面で活躍します。
本能寺の変後は、勝家に従うも
秀吉との友情を捨てられず、寝返ります。
以降は加賀の地に移り
加賀百万石の治世を作りました。
大河ドラマの主人公にもなっていますね。
秀吉と違って、正室・まつ一筋で子宝にも恵まれました。
利家が長生きしていれば
家康の天下はなかったかもしれません。
駅からだと20~30分歩いたところに金沢城公園があります。
城郭は残念ながらなし。
このすぐ近くに有名な兼六園があります。
日本有数の庭園ですね。
料金もそんなにかかっていません。
全部を載せず
一部画像抜粋。
心地の良い場所でしたよ。
観光客も大勢。
歩き疲れた私は
庭園の横にある通りで金箔ソフトを食べました。
ゴージャスなソフトクリームでした。
バニラと抹茶のダブルにしています。
その後は急いで金沢駅に戻って新幹線に。
かがやきとはくたかがあります。
はくたかに乗車して帰京。
ぎゅうたまきしめん。
前の記事に載せた住よしの系列店である爽亭のもの。
都内だと池袋や上野にあります。
こちらも本家に違わず美味しい!
始まりと終わりを合わせました。
■感想
せっかく来たので北陸を巡りましたよ。
あわただしかったのでもっとゆっくり観たかったですが……。
北陸新幹線が開通したら
行かなそうな地を通ったり、行った感じですね。
福井だと有名な寺や城跡がまだまだあるので
巡ってみたいものですね。
お読みいただきありがとうございました。