一日遅れてしまったけれど、どうしても触れておきたいので書いておきます。


昨日、8月6日は原爆の日でした。


私の中にある原爆の日のイメージは、強烈な日差しの中にゆらゆらと立つ原爆ドームと、世界中から集まるたくさんの人々と、日が落ちてから元安川に流れる無数の灯籠。


福岡に来てからそれらの光景を自分の目で見ることはかなわないので、テレビでの数分のニュース映像や友人のブログの画像であの異様に暑く静かな雰囲気を感じました。


もちろん、8時15分には1分間の黙とう。


今はどうか分かりませんが、私の世代の広島県人は小学生のころからこの日は登校日。


黙とうや平和学習を行う特別な日なので、黙とうが習慣づいている人も多いんじゃないかな。


広島に住んでいる頃はなるべく8月6日は毎年平和公園に行くようにしていたので、福岡に越してきて4年経つ今も平和公園に行かないことに大きな違和感があります。


ささやかだけれどあの場所に自分の足で立って、消えずの核の火を見つめて、記念碑や園内のあちこちにある慰霊碑の前で手を合わせたい。


戦争に関する記憶が日本人の中から消え去ろうとするのは年月の経過でしかたないことかもしれません。


けれど私たちの世代は幸いにも、戦争や被爆を経験された方々から直接お話を伺うことができる世代。


たとえ戦没者名簿に記載されることが決まった方々の数が減っていこうとも、直接語り部の方たちからのお話を聞く機会が失われていこうとも、メディアで取り上げられる時間がどんどん短くなろうとも、一瞬にして命を奪われた罪のない方々を静かに弔うこの日は大切に過ごしたい…毎年そう思います。


とはいえ私自身、広島にいた頃何をしたかといえばせいぜい記念式典に参加するとか折鶴を奉納するということぐらいしかしたことがありません。


毎日原爆ドームの前を通っているとその風景が当たり前のようになってしまう。


年々原爆の日関連のニュースが少なくなっていくと嘆くけれど、広島在住者がはたしてこの日のことをどれだけ強く意識し行動しているでしょう。


もっと積極的に何か活動すればよかったな…と思ってしまいますね。


私の兄は大阪から息子2人を連れてヒロシマを見せたいと言っていましたので、おそらく昨日行ったんじゃないかな。


あらためて、原爆の犠牲になられた10万人超の方々のご冥福を深くお祈りいたします。