最近巷で話題のNHKの発達障害をテーマにした番組を親が録画したというから見てみた

私の感受性の低さからか分からないけど娘の場合、参考になる事1割(かそれ未満。。。←ゴメンなさい
)って感じだった
←あくまで私の娘の場合。
)って感じだった
←あくまで私の娘の場合。というのも、発達障害は社会での「理解のなさ」や「生きにくさ」が論点。
娘も多少生きにくさを感じるとは思うけど、娘の場合は知的障害のためにとにかく言葉が遅く、言葉の意味の理解もなかなか深まらず、それゆえ自分の名前も言えず、「パパ」や「ママ」すら正しく理解して言えてない(おうむ返し)状態。
私が娘を見る限り、周りとの違いや周りから自閉症スペクトラムの特性の理解が得られず苦しむという段階に娘は現状いないと感じる。
もし将来、通常学級に娘を通わせる事になったらきっと私も娘が周りとの違いに苦しんだり、周りから何か言われないかな?ってすごく心配すると思う。
ただ、娘はこのままいくと小学校はおそらく特別支援学級か特別支援学校で、これから就学までの3年間での娘の療育の目標は通常学級か特別支援学級かどちらに通うか選べるレベルまで行けたらいいよね、そこまで行けたらすごいよね、という感じだから、みんなとの違いに苦しむっていうのは今すぐに考えるべき娘の悩みではないと思う

そんな状況だから発達障害を取り扱う番組を見ててもたいがい土俵が違う感じ。
皮肉な事に(?)娘は周りとの違いに悩むレベルに行けることが目標なのかな。。。

番組でしてた自閉症の特性の説明とかはためになると思うけど、これはすでに自閉症セミナーで聞いたり本で読んで知ってた

私はもっと知的障害を伴う自閉症スペクトラムについての話が聞きたい、知りたい

知的障害を伴う自閉症スペクトラムの人がどのように成長していくのか知りたい。
どんな大人になるのか知りたい。
どんな子供だったのか知りたい。
立派に成長した中度知的障害を伴う自閉症スペクトラムの人を見て、娘を重ねて安心したい。
大丈夫って誰かに言われたい。
番組を見てそんな事を思った

日本は最近やっと発達障害について世の中の理解が少し進んで来たって聞いた。
発達障害の娘をもつ私としてはみんなの足並みを揃えることが良い、美徳、とされる日本でこれは嬉しい流れ。
でもアメリカとか西洋ではもともと個性を尊重し合う文化だから最近では「発達障害を理解する」というのをさらに越えて、「発達障害がそもそも問題でなくなる」という状況になって来てるみたい。
すごいなぁ
