とってもお久しぶりの
投稿になってしまいました。
今日のブログはちょっとディープ…
なんとなく何処かで
まだ私には無縁だと感じていた事
無縁だと感じていた事が
急に目の前に現れると
何ができるのかどうしたらいいのか?
頭の中が整理がつかなくなりました。
私が無縁だと感じていた事。
それはおじいちゃんの
死が迫っているという事実
おじいちゃんの死が迫っている
この事実を知った時でさえ
まだこの現実に向き合えてなかった
父と母がおじいちゃんの
病室でテレビ電話をしてくれたの
昔戦争に行った影響で
耳の遠いおじいちゃんに大きな声で
「早く元気になってね!」
なんて ありきたりな言葉しか
かけてあげられなかった
後日お見舞いから帰ってきた母に
その時の話を聞いたら
おじいちゃんは癌で
モルヒネを使って痛みを和らげている
モルヒネを使うということは
もう何もでが施せない
最終段階に来ているという事
おじいちゃん自身も
自分の命が後わずかだとわかっている
それを理解した上で
もう会えないかもしれない
父と母に帰る最終日に
「みんな元気でね」
と言ったそうです
この話を聞いた時
おじいちゃんに
生きているうちに会いたい
そう思いました。
なので5/21.22で急遽
九州のおじいちゃんに会いに
行くことを決めチケットの手配を。
自分の最後を覚悟している
おじいちゃんに
「早く元気になってね!」
なんて言ってしまった…
実際おじいちゃんに会ったら
なんて言葉をかけてあげたらいいのかな?
最近さとう式でも良く聞くようになった
終末ケア
それをするのは私ではなく
もっとおじいちゃんの身近にいる
誰かがいいのかもしれないけど
私にできるのは
おじいちゃんに寄り添って
おじいちゃんの痛むところが
あってもなくても私の手の温もりから
少しでもこの世に生きている時間を
幸せに有意義に過ごしてもらえたら
そんな風に考えています
その一方で
それは私のエゴなんじゃないか?
ともう1人の私が感じています。
正解はないかもしれないけど
抜け殻だけになってしまった
おじいちゃんに会うより
話ができるうちに
この世にいてくれる間に会いたい
終末ケアというものに
無縁だと思っていたのに
ここに来て目の前に現れた。
さとう式を学んでなかったら
こうゆう想いにはならなかったかもしれない
普段会うことはなく
遠く離れた九州と東京
小さい頃遊んでもらった楽しい記憶が残る
明るいおじいちゃん。
孫の私でさえ何かできることはないか?
そう感じました。
もしあなたの周りで
同じようなことがあった時
エゴかもしれないけど、
何もしてあげられなかったと悔やむより
命を伸ばすことはできないかもしれないけど、
ただそっとその人に
あなたの手の温もりを感じてもらえたら
それだけできっと安心してもらえる
そう思います。
だから私は
おじいちゃんに会いに
そして少しでも心地よく
過ごしてもらえるよう
手の温もりをとおして
痛みのあるところがあれば
優しくなでなでしてこうよ思ってます。
なんかまとまらないけど
今日はここまで^_^