悲惨たる全統マーク模試から一夜明けました。
本当なら、今頃悔しさで憂鬱になっている筈なのですが、今回はそんな感情すら沸きません。
今の自分にはこれが精一杯の点数。
実力通りの結果が出て、悔しさなどがあるわけがない。
そこには、不気味な爽快感と、向こうからやってくる漠然とした危機感しか存在しません。
以前の全統記述模試の自己採点の時には悔しさはあったものの、不思議と危機感というものは皆無でした。
「自分ならまだまだ伸びる」「これは自分の本当の実力ではない」と思っていたからです。
でも今回は違う。
散々たる結果なのに、なぜか清々しい。物凄くやりきった感がある。
そして、この「やりきった感」が最高に気持ち悪い。
例えるとすれば、ベテランのスポーツ選手が、引退試合で不甲斐ない結果に終わっても清々しい気持ちになるのと同じものかもしれません。
引退どころかまだまだ合格すらしていないのに、一体なんということでしょうか。
このことが、僕をして焦燥たらしめてるのかもしれません。
その危機感に駆られて、書店で買ってきたセンター数学対策の本をやってみました。
確率の部分の講義だけは一日で終わらせました。
確率・・・・それに出会ったのは、高1の秋ぐらいかな。
ちょうど学校に行かなくなる前のことですね。
学校に行かなくなって、全てが真っ暗でした。
このままじゃ絶対に大学に行けない気がしました。やっても受からないんじゃないか、という気持ちが強くありました。
高校中退で終わって、毎日工事現場や土方で働くところも想像しました。
だからこそ、必死になって勉強しました。学校に通う同級生の何倍も勉強してやろうという気持ちでした。
勉強が不安材料であった筈なのに、勉強しているときだけその不安から逃れられる、というパラドックスにすら陥りました。
それから半年以上経って模試でB判定、A判定などを取れるようになりました。
もちろん不安は全く払拭されませんでした。
ですが、何となく、「俺ってこのままいけば受かるんじゃないか?」という気持ちが心の底にあったように思います。
要するに、天狗になってたんですね。たかが模試でA判定を数回取った程度で。
1年以上前の緊張感が、少しずつ無くなってきたように思います。
ただ、あの時は確かに緊張感もあったけど、何よりも、何やかんや言って楽しかった。
受験なんてものはもっと先のことだから、とりあえず自分の勉強をしようと。そう思ってました。
立場的に、完全にチャレンジャーからの挑戦でした。
自分で自由に計画を立てて、ダメな勉強法だったらまた考え直せばいい。
要するに時間の問題ですね。時間が沢山あった。
でも、今は違う。
「この勉強法で効果が無かったら、もう他を試す時間はない」なんて考えちゃうんですよ。
センター試験なんて、あと5ヶ月ですよ。半年も無いんです。
あと5ヶ月で点数を上げなければならない。全然楽しくない。
「確実に点数をもぎ取っていくための勉強」という合理主義的な勉強を強いられるのは、非常にしんどいです。
気付けば、過去問でひたすら一喜一憂するだけの毎日。
まともな受験勉強歴が半年程度だったらそれはそれで割り切れるんでしょうが、長いこと勉強をやり続けてると、そういう辛さっていうのがありますね。
でも、そういう時こそ、初心に帰るべきなのかもしれません。
辛かった、お先真っ暗な状況にあって、ただがむしゃらに勉強をした。
今は、変に悩んでしまって勉強の邪魔をしてしまっている。
プライドだけが高くなって、行動が伴っていない。
本当は悩む暇もないくらい勉強すべきなのに。
事実、あの時はそうだった。
あの時のように、「チャレンジャー」の気持ちでいくべきなんだ。
自分も部活引退した現役生のように、これからもっと上げていくべき人間なのだから、残り約半年貪欲に勉強しないと。
今日確率の問題集をやって、突然「確率って、こんなに面白いんだ」って気付きました。
今までは、確率の問題集は、解説を読んでも意味が分からず、敬遠してました。
だから出来ないままだったんですね。
出来てるようで、全く出来てなかった。
でも、今日やってみて、本当に楽しかった。
「なるほど」って思えた。高1の冬を思い出しました。
危機感をもちながらも、勉強を楽しんでいこうと思います。