親切な授業 | Bein' aware of wisdom

Bein' aware of wisdom

高認取って大学受験した人のブログ

オリンピック。
現在のところ、日本の成績は 金メダル1つ 銀メダル4つ 銅メダル5つ。

本当に素晴らしい成績です。選手達にはひたすら脱帽です。

天才的な才能を持ちながら、それに甘んじることなく、4年間血の滲むような努力をしてきた結果がこれですよ。
ただ、中には「自分は金メダルのみを目指して頑張ってきたんで、銀(銅)では、応援してきた方々に申し訳ないです。」と涙を流しながら仰る選手もおられます。

正直一般の人々には理解しがたい感覚ですよね。ズバリ、「銀(銅)でもいいじゃん」と。
やはり、目指す所が違うのだということが、ひしひしと感じられます。

銀メダルや銅メダルで、それどころかたとえメダルを取れなくても、どうして選手が申し訳ないと思うべきであろうか。

言葉で表せない程のプレッシャーの中、日本という国を背負って戦っている方々です。
どんな結果であれ、胸を張って日本に帰ってきてもらいたいですね。



さて、勉強ブログということもあり、話は勉強へと移ります。

Youtubeを見ますと、東進の授業のサンプル動画があります。
僕は結構そういった授業動画を見るんですが、先生方の個性のある教え方に、中々面白さが見出せます。
そして、板書からも人となりが見られるというものです。

ただ、一つ疑問なのが、その授業があまりに親切すぎるという点。
「ここまでの内容は、最早予備校で扱う必要がないのではないか。」ということです。

予備校というのは、自学でやった結果どうしても補い切れなかったり理解できない部分などを補完的に履修するために通う教育機関だと僕は認識しています。

それを、解の公式や解と係数の関係などという、いわば「最初に覚える基本事項」まで懇切丁寧に教えて、一体何になるというのか、ということです。

解の公式がそのまんま書かれた板書を写すぐらいなら、参考書の解の公式を暗記した方が早いです。
授業としては面白いのですが、果たしてそれがお金を払ってまで行くべきものなのかと考えると、聊か疑問符が付きます。


教わる側が怠慢しすぎではないか。
予備校側がごまをするようになってからというもの、生徒は成績が上がらなければ、自分の怠慢など省みずに「講師のせい」「予備校のせい」などとのたまうようになりました。

生徒=お客様 という資本主義的認識が、かえって学力衰退に繋がるのではないかと危惧しているのはこのためです。
「知の享受」という恍惚たるプロセスまでも、競争経済にさらわれて、それ自身の輝きを無くしてしまっているのではないでしょうか。

ちょうど芸術が世俗化するにつれて、スペシャリティの沸点が低くなり、芸術そのものの高揚さが失われた経緯と同じように。
(僕自身、芸術論についての知識は皆無なので、この程度の表層的なことしか言えませんが、ご了承を。)