紙の辞書と電子辞書 | Bein' aware of wisdom

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高認取って大学受験した人のブログ

自分は、思いっきり電子辞書派です。


まぁ、「紙の辞書じゃないとダメ!電子辞書なんて邪道だ!捨てろ!」とか宗教じみた先生の前では仕方なく紙の辞書を使うことにしてますが(笑)

(意外なことに、こういった先生が非常に多くいらっしゃいます。特に年配の先生に。)



僕は「電子辞書が良くて、紙の辞書はダメだ」とは思いません。

わざわざ紙の辞書で調べて、付箋を貼ったりするという物理的努力により記憶定着率が高まることも事実ですしね。

ですから、「紙の辞書を使うべきだ」と言う人は、それはそれできちんとした理念をもっていると思います。



ですが、それは人によりけりではないか、と思います。

僕は「紙の辞書を使うべきだ」と主張する人には異議はないですが、「電子辞書を使うな」という人には異議があります。


電子辞書は、確かに紙の辞書ほど物理的努力は無いですけど、その分手軽に調べやすい。

「あれ、この言葉の意味ってなんだっけ」という風になったときに、すぐに調べられる。

即ち、辞書を引くことに対して億劫じゃなくなります。


したがって、それは単に「面倒さゆえの記憶定着性をとるか、手軽さ故の利便性をとるか」の違いだと思うんです。


そう言うと、「最近の餓鬼は辞書すら素早く引けないのか・・・これだからゆとり教育は・・・」って言われそうですが、僕が言いたいのはそういうことではありません。

いくらゆとり教育の平和ボケしたバカな餓鬼でも、辞書ぐらいは引けますよ(失笑)


僕が言いたいのは、「紙の辞書で引くと時間がかかるから嫌だ」「紙の辞書は引き方がよく分からない」というよりは、「どう考えても電子辞書で調べたほうが早い」ということです。


確かに合理性を追求した果てにはついに何もなくなりますが、少なくとも「こっちの方が早い」と思う道を選ぶのは間違いではないと思いますね。




頭ごなしに電子辞書を否定する人は、自分が紙の辞書で勉強してきたから、そこにしか価値を見出せなくなっているのではないか、とすら思います。


でも、それじゃあビスマルクの名言「愚者は己の経験に学び、賢者は他人の経験に学ぶ」のとおりになってしまいます。

(ちょっと語弊がありますので訂正すると、

「愚者は己の経験に学び、賢者は他人の経験に"も"学ぶ」ですね。)




また、結局は「辞書は調べてなんぼ」だと思います。

どんなに「紙の辞書を使うべきだ」と主張しようが、結局使わなければ意味がないんです。


わんこら式の畠田先生のブログから引用すると、


「学問的に正しいことをやるんじゃなくて、現実的に出来ることをやる」


ということ。

紙の辞書で調べることが嫌になって勉強に挫折するぐらいなら(実際これはかなり極論ですが)

電子辞書で調べて勉強を持続できたほうが結果としてはいいと思います。


実際、僕が高校に入学した時の入学説明会で、ある英語の先生が、

「いいか君達。今日から電子辞書は使うな。あんなものを使ってる奴は俺は怒るからな。」

みたいなことを新入生に向かって仰りました。


それから、学校の授業が始まって、もちろん英和辞書は紙じゃないとダメ。

当時予習復習全部紙の辞書でやっていて、1つの単語ごとに、類義語、派生語、用例、発音記号を全部書き出し、プラス教科書の英文を全文書き写し、和訳することが宿題になっていたので、英語の予習だけで3時間ぐらいかかりました。


今思えばあの時の努力はクソみたいなものだったと思っています。

辞書で引いて、書き写すことだけに捉われて、結局何も覚えられないじゃないか。


と、当時は思った記憶があります。

電子辞書を使ったほうが、よっぽど効率的だし、発音も再生してくれるし、例文も豊富にあるし。

これは僕の主観的な意見ですが、どう考えても電子辞書を最初から使っておけばよかった、と思います。


今となっては紙の辞書を使わないといけないなどという制約は全くないので、自由に電子辞書ばかりを使ってますが。



まぁつまるところ、たまには理想論よりも、現実を追求した方が上手くいくときもある、ということでしょう。

(まぁ、何もかも現実路線で行き過ぎるとそこには進歩がなくなりますが。)





というわけで、辞書のお話でしたw