3.11 14:46 | Bein' aware of wisdom

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高認取って大学受験した人のブログ

今日で、あの未曾有の大惨事から1年。

悪夢となったあの日、原発事故や津波を初め、様々な震災が東北の方々を襲いました。


今でも東北には、苦しい生活をされている方々がいらっしゃると思います。

正直僕はテレビ越しに津波を被害を目の当たりにしただけであって、実際に被害を受けたわけではありません。


ですから、いくら僕達が「苦しいけれど、頑張れ、東北!」と言ったところで、「あなたに何が分かるんだ。」と思われるかもしれません。

ですが、それでも僕は東北の方々にエールを送りたい。


確かに本当の苦しみは被災者の方々にしか分からないのかもしれません。

でも、できないなりに、分かろうとする努力はできます。

僕は無力な存在ですが、10年経とうが、50年経とうが、「2011年3月11日」の出来事を、一生忘れない。

そして、「震災」はまだ終わっていないんだ。「震災があった」ではない。決して過去の出来事ではないんだと、後世の人たちに語り継ぐことは出来るはずです。




今日は、震災で亡くなられた方々への追悼の意を込めさせて頂くとともに、僕の視点からもあの「3.11」を振り返りたいと思います。




2011年3月11日。

僕が学校に行かなくなってちょうど2ヶ月ころぐらいでした。


当時は、毎日毎日ゲームや漫画、ネットに浸る毎日。勉強は好きな英語と数学をちょこっとやる程度。

それまで勉強や家の事などで、毎日毎日忙しい生活を送っていたので、逆転した生活になっていました。



で、いつも通りネットサーフィンをしていると、yahooメールの画面に地震速報が出ました。

その時期といえば、毎日のように震度2~3の地震速報が出ていたので、正直あまり目には留まりませんでした。

今でこそ地震速報が出たら、すぐに震度、津波の影響を見る習慣がつきましたが・・・。


そのままテレビもつけずにしばらくPCの前に座っていると、当時付き合っていた彼女から「地震やばいことになってるね」というメールが。


急いでテレビをつけると、最初に目に飛び込んできたのは、津波でも原発でもなく、コンビナートが真っ赤な炎を出して燃えている映像でした。

どこの局だかは忘れましたが、今でもその恐ろしい映像を鮮明に覚えています。


で、テレビに食い入るように何時間も見つめていると、お腹が減りました。

僕はそのとき、冷蔵庫に何も食材がなかったので、とりあえず目に留まった永谷園の煮込みラーメンを自分で作って食べたのを覚えています。


ですが、朝から何も食べていなかったにも関わらず、あれだけ悲惨な状況を目にすると、食欲もだんだん失せてきましたね・・・。


そのときは死者数名ぐらいだったのですが、「地震で死者が出たんだ・・・」ということだけで凄くショックになり、それだけで「これは大惨事だ・・・」と決め付けていました。

その後にもっともっと悲惨な事態が晒されるとは知らずに・・・。



その頃は夜型人間でしたから、夕方ぐらいに一度眠りました。


もちろん気が気ではなかったので、中々寝付けませんでした。

2、3時間程度で目が覚めました。



夜の・・・大体9時~12時ぐらいでしたかね。どんな夢だったかは覚えていませんが、かなり悪夢にうなされた覚えがあります。

悪夢だけに嫌な予感がし、テレビをつけっぱなしにして寝ていたので、起きて眼鏡をかけなおしてテレビを見ると上の方に


死者1500人超 


の文字が・・・。



そのとき僕は思わず涙目になりました。悪夢が現実になったと。

僕の地域では余震すら起こらなかったのですが、でも、日本で何千人も死ぬという事故や災害などを人生で経験したことがなかったので・・・。

(阪神大震災のときは、生後数ヶ月でした。)


で、一番印象に残っているのが、そのとき急に気分が悪くなり、異常なくらい喉が渇いたことですね。


呼吸が苦しくなり、這って行くような感じで冷蔵庫から2ℓペットボトルの三ツ矢サイダーを持ってきて、飲んでも飲んでも喉の渇きが潤されなかったのを覚えています。

(数分に飲み干した気がします。)

いつもは一杯飲んだだけで十分でしたが、そのときは何杯飲んでも喉がずっと渇いていました。



自分が直接被害に遭ったわけでもないのに、今まで経験したことのない震災を目の当たりにして、心理的的に異常があったのかもしれません。


やがて夜が明けると、死者も1万人を超え、福島原子力発電所の事故の映像も流される中、

「これが本当に現実なのか」と疑う自分も居ました。


当時の枝野官房長官の「何らかの爆発的事象が確認されました。」という言葉、とりわけ「爆発的事象」という聞きなれない異質な熟語を今でも覚えています。


「爆発的事象」と言われても、現実味を感じていないので「何のこと?」という感じでしたね・・・。




かなりまとまりが悪くなりましたが、僕が経験した「3月11日」という日はこのような感じでした。

若干記憶が薄れている部分もありますが、大体は鮮明に覚えていたつもりです。


本当に恐ろしい出来事でした。二度とこのような大災害がないことを願うばかりですが、万が一に、起こってしまったとしても、二度とこれほどの犠牲者を出さないことを願っています。


あと10分ちょっとで震災が起こって1年が経過しますが、1年前の東日本大震災で被害に遭われ亡くなられた方には改めて哀悼の意を表すと共に、少しでも早い東北の復興を心よりお祈りして、この記事を締めくくりたいと思います。