先ほどNHKであった番組です。
以前記事で「受験英語」に対する批判について物申した記事がありましたが、まさにそれと同じことを言っている番組で、「なるほど」というよりは「そうだそうだ!」という気持ちで見ていました。
番組によれば、日本人には英語に対する誤解が3つあるそうです。
誤解その1:ネイティブへの憧れ。(ネイティブ至上主義。)
ネイティブが話す英語だけが正しい。
ネイティブが話す英語以外は、何の意味もなさない。
というのが誤解だということでしょう。
実際、我々も発音記号を学んだり、リスニングといえば典型的なイギリス・アメリカ英語の綺麗な発音が多く、それを聞いて「カッコイイ」と思ったならば、その発音にあこれがれるのも無理はないでしょう。
でも、英語といえば、世界共通語です。
皆さん一般が思っている以上に、英語は全世界で話されているんですね。
なので、当然訛りや方言のような英語が出てくるはずですね。
ともすれば、番組の言葉を借りると
「日本の英語だってあっていいじゃないか。」
ってことでしょう。
「此一門にあらざる人は、皆人非人なるべし」の精神をどうぞ捨ててくださいってことなんですね。
誤解その2:日本人は文法はできても、会話など実用的な英語ができない。
これは一般的に言われている定説ですね。
でも、誤解だそうです。(自分もそう思います。)
正しくは「日本人は文法すらまともにできない。」ですね。
これは前に記事で言いましたよね。
一方我々は、文法がまともにできません。
ちょっと意識していないと、三単元の「s」すらつけわすれたり、過去形と現在完了形の区別ができない人がほとんどです。
そんな人たちがやれ「文法重視すぎ」だの「もっと実用的な英語」だの言っても、全く説得力がないと思うんですね。
以前書いた記事ですけど、これをNHK解説委員が代弁してくれていたような気がします。
あと、番組では「仮定法過去完了」の例文で
「I should have been there.」⇒「私もそこに行けばよかった」
という例文が紹介され、加藤浩二さんが
「仮定法過去完了なんて言葉覚えても意味ねぇじゃねぇか」ってツッコんでましたw
僕もその通りだと思うんですよ。
「仮定法過去」ってのは所詮「反実仮想を表す文の集合」を体系化したものに過ぎないし、その名前を覚えることだけに固執するのは本末転倒でしょう。
(歴史年号と事件名だけ得意気に覚えて、一番肝心な"どうしてその事件が起こったか"をないがしろにするのと同じことでしょう。)
実際僕も「仮定法過去完了」なんていう言葉に意識したことはこれっぽっちもないです。
「あっこういう文章が仮定法過去完了なんだ」って気付けば意識の底に沈んでましたからね。
(せいぜい役に立ったのは、友人に構文を説明してあげたりした時ぐらいですね。)
さて、次、
誤解その3:海外へ行けば自然と英語力も身につく
うちの母も「英語をカッコよく喋りたいから海外にでも移住しようかな」とか言ってましたね(笑)
やはり、明確な目標意識がないと、英語は上達しないようですね。
まぁ自分は一度も海外へ行ったことがないので、これに関しては真っ向からは否定できませんが、おそらくこれは誤解であるという仮説は、自分の経験の中から立てることはできます。
ただ、専門家の方は否定していましたが、僕は加藤浩二さんの意見にあった
「高校の段階で、大学受験を目指して文法中心の勉強をするクラスと、英語を楽しく学べて会話さえできればいいというクラスの二つに分ければいいんじゃないか」
という意見は「なるほど、いいかも」って正直思いました。
正直大学受験を志さない、または将来英語の論文などに目を通したりするつもりがない人間は、今の英語の授業は苦痛で仕方がないでしょう。
それなら、前者のクラスよりも英語が上達しなくても、楽しく英語を勉強できる「英会話クラス」を創設するのもありかな~とか思います。
まぁでも後者の英語クラスの上達が著しく遅れ、実際会話できる英語力なんて身につかないのは明らかだと思いますよ。
「楽しく会話の勉強」だけやって身につく英語はどこにもないと思いますからね。
でも、どうせ今の文法的授業をやっていたとしても彼らは英語を勉強する気がないのだから、身につかないのは同じだと思います。
どうせ同じ「身につかない」のなら、楽しく勉強すればいい。
それもありかな、と思いました。
(ただ、2クラス間でとんでもない格差が生じることは間違いないですね。それを是正していくのが一番の課題になるのではないでしょうか。)