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何ヶ月に一度思い出すことがある。
似たようなことは前にも書いた。身も蓋もない話だ。
その内容がどんなものであれ、思考は「私!私!私がある!」と呟いているだけだ、という話だ。
自分で言うのも何だが、身も蓋もないなと思う。
だからと言って思考は無益であるというわけではない。
確かに!と思わず膝を打つような考え方も無限にあるだろうしこれからも次々と生まれてくるだろう。
それでも何ヶ月かに一度、フッと思い出すのだ。
自分はその件について(実際はどの件だろうと同じだが…)こう思うなどと考えてみたり、ときには口に出して言ってみたりするが、結局のところ「そう思う私!」と呟いているに過ぎないと。
「我思うゆえに我あり」というあまりにも有名な言葉があるが、別に高名な哲学者でなくともわれわれはすべて日々、「我思うゆえに我あり!」と呟いている。
それがどうした?と思う方々もいるだろう。
もちろん別にどうもしない。
ただ、そんなわれわれの「我」は何の実体もない(超微細なレベルでは何かしらのものがあるのかもしれない)ということを何ヶ月に一度おれは思い出すのだ。
瞑想をしている方々はおそらくこれに賛同してくれるだろうと思う。
逆に、一笑に付す人もいるだろう。
それで全然かまわない。これは議論するような問題じゃない。
証明せよと言われてもおれはただ、聞き流すだろう。
あるいは、「少なくとも自分はそう思っているのです」と答えるだろう。
今この時もそんな身も蓋もないことを思う私を観ているまなざしがある。
そのまなざしは誰の背後にもある。
そのまなざしは今この時もあなたの思考を静かに見つめている。