レビュー/ 挑戦〈新たなる繁栄を切り開け! 〉 (大前研一通信 特別保存版 PartVII) | Hack or Fuck ?

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久しぶりの、そして第4回目となるレビュープラスさんからの案件レビューである。

▼大前研一氏の『挑戦〈新たなる繁栄を切り開け! 〉
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以前にもレビューしたことがある大前氏の著作だが、今回も同様に電子書籍である。

正直なところおれは大前氏の熱心な読者ではないが、過去に読んだ数冊の著作と基本的には変わらないトーンだという印象を受けた。

もちろんだからと言って、ダメなわけではない。

何かあるとあっちへフラフラ、こっちへヨロヨロするおれなどには持ち合わせがない一貫した信念が大前氏にはあるということをあらためて確認することができたということだ。

信念は理解によりもたらされる(一般的には。例外もある)。

理解するためには知識を蓄積するだけでは足りない。

そう。考えなくてはならない(一般的には。例外もある)。

考えるということはどういうことか。それはどうやって養われるのか。

言うまでもなく、教育である。

大前氏は混迷する世界の中で日本がそのプレゼンスをキープするためには、まずその「教育」を改革する必要があるという。それも「質的変化をうながす教育改革」である。

それでは、「質的変化」とはどのようなものか。

「ストリート・スマート」を輩出できるような教育である。

これこそが、「新たなる繁栄」を切り開くのだという。

ストリート・スマートとは何か。

もちろんたまに路上で見かける痩せ細った貧相な人のことではない。

何と言うか、昔からある言葉で言えば「在野の人」というのが近いのかもしれないが、そこには多少、「不遇の人」というイメージもなくはない。だからあえて外来語を用いたのだろうかなどとボンヤリと思う。

それはさておき、ストリート・スマートとは、「実社会で経験を積んでのし上がってきた人」をさすらしい。

人間関係の構築が得意で、失敗してもへこたれず、道なき道を独自の嗅覚で突破していく…


▲こんな存在だという。

(*これを読んで、すでに絶望した方々もいるかもしれないが、へこたれないで欲しい。)

一方、「アカデミー・スマート」というタイプもあって、これは成績優秀で決められたことを能率よくこなすのが得意な人々をさす。別に痩せたガリ勉ではない。(そういう人も含まれるかもしれないが…)

その典型が、前例がないと思考停止になってしまうエリート官僚などである。会ったことはないが。

会ったことはないが、混乱の時代に求められているのはそうしたアカデミック・スマートな人ではないのだという言葉は現在のこの国に生きていればかなり説得力があるはずだ。

いずれにせよ、今後求められるのは、現実の中で自ら考え、答えのない問いに自分なりの答えを見つけ出していくストリート・スマートであると氏は断言する。

そしてそうした人材を養成する教育にシフトしていくべきだという。すでに北欧は着手、実行に移したからこそ、低迷する経済からの脱却に成功したのだという。

それでは、ストリート・スマートを生み出す教育とはどのようなものか。

それを阻害するのはどのような要因があるのか。

氏が真っ先に挙げるのが、「偏差値」である。

この偏差値こそ日本人から「アンビション」を奪ってきたのだという。

遠い昔、担任から君の偏差値であの大学を受けるということは河の中にヤカンのお湯を注ぐことに等しいと言われたことを思い出す。奇跡的におれはその大学に合格したのだが、どこの大学かは聞かないで欲しい。特定秘密である。

そういうわけで、アンビションを奪われたわれわれが偏差値に血道を上げている間に北欧を始めとする欧州の諸外国は着々とアカデミック・スマートからストリート・スマートへの道を歩んでいると氏は様々な例を挙げているが、詳細は本書をお読みになってもらうことにしたい。

要するにこれまでのアカデミック・スマートの教育では日本はいずれ(すでに、かもしれない…)没落の憂き目に遭うことは間違いないのだということだ。

そういうわけで、氏は自身の経験と実績を基盤としたビジョンをわれわれの眼前に次々と提示する。

高校までの義務教育化。ボーディング・スクール。ファシリテーション型の教育の重要性。ボリューム国家からクオリティ国家への移行。そして氏がかねてより提唱している道州制の実施。

こうして列記しただけでもかなりハードルの高い案件である。

確かにこれらすべてが実施されたならこの国もかなりの変化を達成するのだろうと思われるが、同時にこれらすべてを今のアカデミック・スマートな官僚たちと地元利益誘導ばかりに熱心な政治家たちが実現できるかと言えば相当な難問である。

だからこそわれわれは「自衛」する必要がある。

「教育は学校に任せにはできない、家庭でしかできない」という覚悟が必要である。

つまり文科省のカリキュラムに頼らない教育である。

こうした考えは最終的にクオリティ国家を目指すのであれば自ずと生まれてくる課題であるが、当然「格差」もより明確な姿を現すだろう。

これまで横並び、世間並みを是としてきた日本人はすんなり受け入れ難いかもしれない。もちろんこうした考え方もこれまでの「教育」の結果なのではあるが。

しかしこのままではこの国は沈む一方である。だから教育改革が必要だ。しかし根強い抵抗があるだろう。しかしこのままではこの国は…といった「ある種のスパイラル」にあるのが現状なのかもしれない。

「ある種」というのはそれが負のスパイラルなのかそれとも正のそれなのかはおれには分からないからだ。

(この本のテーマに沿えば「負のスパイラル」なのだろうが…)

ただ、それが自らの選択なのかそれとも外部からの強制なのかは知る由もないが、
いずれにせよ日本は「クオリティ国家」へ舵を切ろうとしているのだろうという気はしている。

やがて到来するであろう「その時」のためにも本書を一読し、それぞれの現在の立ち位置を再考するのは、アリだと思う。

そろそろ紙数が尽きてきたので…というのはデジタルにおいてはあり得ないことだが、この辺りで締めたいと思う。

また、今回ここでは触れなかったが、第3章の原発・エネルギー問題と日本の政治問題に関する論考はかなり興味深いものだったということを付け加えておきたい。気が向けばまた紹介するかもしれないが、しないかもしれない。

気になる人は上記リンク先に飛び、購入を検討していただけたらと思う。

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