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昨夜は各局でオリンピック招致特番が放送されていた。
近年、これほど注目されたオリンピック関連特番はなかったのではないか。
そしてこれほど薄気味悪い番組を観た記憶は個人的には、なかった。
1995年、世間を震撼させたオウム真理教の信者たちの姿がオーバーラップした。
おれは画面に映るアナウンサーその他のゲストたちの空洞を思わせる笑顔に空恐ろしいものを感じながらもテレビのスイッチを切ることもできずにいた。
安倍首相はプレゼンの場でこう語った。
フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。
HUFFPOSTより
これを観た多くの人々は呆然したのではないか。
野田前首相の原発事故収束宣言に匹敵する発言である。
そこで、おれは、「野田 収束宣言」と検索してみたところ、次のような記事がヒットした。▼
安倍首相、原発事故収束宣言を撤回 - MSN産経ニュース
つまり、首相は収束宣言を撤回しつつも事態は完全にコントロールしていると世界に向けて発言したということだ。
収束はしていないが、コントロールはできているとは一体どういう状況なのだろうか。
まるで、安全ピンを持っているから安全だと言ったダウンタウンのギャグのようだが、どうやら世界のIOC委員たちはそれでよしとしたようだ。
そういうわけで、2020年のオリンピックは東京で開催されることが決定した。
今から、7年後だ。
おれは、その長いとも短いとも言える歳月のことを思う。
その間にも世界中で多くの人々が生まれ、そして去っていくだろう。
多くの出来事が世界中で起こり、そして忘れ去られていくだろう。
「バルドゥ…」と思う。
バルドゥとはチベット仏教の用語である。
チベット仏教において、人生は四つの期間に分けられるという。
まず、誕生の瞬間(
やがて訪れる死の瞬間がある。(
そして、死から次の誕生までの期間がある。(
この四つの期間はそれぞれ「バルドゥ」なのだが、一般的には「中有」のことを指すことが多いようだ。(シバ バルドゥ)
ここでは、そのバルドゥとはシバ バルドゥ、つまり中有のこととする。
中有とは先に書いたように、人が死に転生するまでの期間のことだ。その期間は七週間なのだという。
四十九日だ。
この四十九日の間に魂の次の行き先が決まるのだとされている。
解脱するのか、あるいは六道のどの世界に転生するのかがこの期間で決まる。
そんなことを、おれは2020年のオリンピック開催地が東京に決定した報道で思い起こしたのだった。
もしかすると日本は、いよいよバルドゥに入ったのかもしれない。
そんな思いが背筋を駆け上がる。
7年後という明確だとも曖昧だとも、どちらとも言い切れない期間がそんな「空想」をもたらしたのだろうが、空想だとするには、やけにリアリティがあるようにも思える。
いずれにしろ、オリンピックは東京で開催されることが決まった。
今後7年に渡るであろう、バルドゥの扉が今日開いた。
我々の眼前に幾筋もの道とも言えない道が今、延びている。