祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
宇治についたおれたち家族(息子除く)を待ち受けていたのは果たして灰色のネットに覆われた平等院鳳凰堂だった…
((((;゚Д゚)))))))
軽い虚脱感を覚えながらおれはカミさんと娘の会話を聞くともなしに聞く。
「ねえ!ちゃんと下調べしなかったの!」
「そう言えば改修中とかいうのネットで見たかも…」
「何それ!そんなこと早く言ってよね!わざわざ宇治まで来たのに何も見えないじゃない!」
「そんなに怒ること?いいじゃん別に」
「キーッ!!あんたが来たいっていうから連れて来てあげたのにその言い草な何なの!」
「あたし的には宇治にくることに意味があるのよ。母さんにはわからないかもしんないけど」
「キーッ‼」
ハートウォーミングな母と娘の言葉のキャッチボールをBGMにおれは意味もなく「阿字池」に浮かぶ蓮の葉を撮影する。
そこで色んな楽器を持った仏様というか如来というか詳しくは知らないがとにかく有り難い方々の像を観たりしたのは覚えている。
「つまりこれはバンドなんだよ」
というおれの感想を娘は軽く聞き流す。すでに心は平清盛の時代にスリップしているのかもしれない。
おれは様々な楽器を携えた仏様が自分の臨終の際にお迎えに来てくれる様を想像する。
一体どのような音楽なのだろうか。雅楽っぽいのか、それともやはりインドっぽいのか、プログレ風なのか、まあおそらく聴くだけで変性意識状態になるのだろう。
そのうち聴くことになるだろうが、それは老後ならぬ死後の楽しみにとっておくことにしようと密かに思いつつおれたちは平等院を出て目の前にある喫茶店で涼をとった。
源氏物語ミュージアム
続いて訪れたのは、「源氏物語ミュージアム」という施設だ。
どういうコンセプトの元に作られたのかと言うまでもなく、源氏物語の世界を再現したようである。
入館して牛車からはみ出した十二単の端っこを見た途端、娘の目はキラキラと輝き始める。
個人的には何の興味もないのだが、親になるとそういう何の興味もない場面に立ち会うことの連続である。
それはそれで、神とかハイヤーセルフのお導きと受け取っておくことにしている。
どうしても行きたい場所がないように、どうしても行きたくない場所もあまりないおれとしてはなるべく家族のリクエストには応えることにしている。
と言うのは嘘で、東京ディズニーランドは行きたくない。
それはさておき、源氏物語ミュージアムには中国・韓国からの観光客が多かったようだ。ツアーパックの中に組み込まれているのかもしれない。
そう言えばミュージアム内のミニシアターで「宇治十帖」という源氏物語のエピソードのひとつが上映されていた。
人形劇形式の映画で、「匂宮と浮舟」だったと思う。
おれは「あのー、横になってもいいですか」と誰かに言いたかったが、娘は食い入るようにスクリーンを見つめていた。
そんなミュージアムを出た途端、激しいゲリラ雷雨が宇治の町に振り注いだ。
宇治川の向こうに走る幾筋もの白い稲妻に歓声を上げながらおれたちは夕暮れ迫る京都市内へと向かった。





