photo credit: DomiKetu via photopin cc
●まるで出席を取るみたいに、先生はみんなを殺し続けたんだ。
●クラス全員、皆殺し。
…刺激的と言えば刺激的なキャッチコピーを冠した映画「悪の教典」を観た。
キャッチコピーそのままにサイコキラーである教師によってさながらシューティングゲームのように次々と生徒たちが殺戮されていった。
もちろんそこに意味はない。被害者たちは何の意味もなく殺されていく。加害者である教師も彼らに対してどんな共感もない。
2012年11月10日、東宝系で公開のバイオレンス・ホラー映画。監督は三池崇史、主演は伊藤英明[2]。R15+指定。
全国309スクリーンで公開され、2012年11月10、11日の初日2日間で興収2億9,894万5,000円、動員21万5,059人になり、映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第2位となった[3]。
宣伝戦略が当たったのか何なのか「大ヒット作品」なのだろう。そう言えばテレビの芸能ニュースでAKBのメンバーの誰かがそのあまりも残酷なシーンに耐えかねて、試写会の途中で席を立ったとかいう話題があったが、それも観客動員に一役買ったのだろう。
まあ映画プロデューサーでも広告屋でもないおれには関係のない話だ。
なので、何の意味もなく人々が殺される話に20万人以上の観客を動員させる広告の力は凄いものだと感心した、という話を書こうとしているわけではない。
それでは何を書こうとしていたのか。脇道にそれて、ちょっと忘れてしまった。
…で、そう。先に書いたようにこの映画は無意味に人が殺されていくという内容で、犯人がサイコパスだというのは「便宜上」のもののような気がするということを言いたかったのだった。
冒頭のエピソードがなければ、この映画はもっとシュールなものになっただろうし、そもそもまったく別の映画となるだろう。まあそうなると、収益は大幅にダウンすると思うが、そんな映画ならおれは劇場に足を運ぶと思う。割引デーを狙って。
…いや、こういうことを書きたかったわけでもない。文章を書くということは難しいものだ。
…で、何て言うか、つまりこの映画の主人公はサイコパスの伊藤英明ではなく無意味に殺されていく生徒たちの心の闇そのものだということだ。
心の闇と書けば何となく分かったような気になるが、要するに伊藤英明扮するサイコキラーは、殺される者たちが抱え込んでいる「共感のなさ」「無関心」「自分というものの不確かさ」「孤立感」「不自由さ」といった負の感情が生んだモンスターだ。
そう見立てると、途端に、ある意味退屈極まりないB級スプラッタムービーがなかなか興味深い作品になるし、殺戮者である教師は、彼ら殺されていく生徒たちの負の感情を「一挙に解消」する「救済者」にも十分なり得る可能性を秘めていることが仄見える。
それゆえの、伊藤英明という頑丈そうな肉体を持つ男前の役者のキャスティングなのかと腑に落ちる。
監督である三池崇史は散弾によって、飛び散る鮮血によって現代社会に蔓延する「負の感情」を可視化する。あらゆる問題は可視化されて初めて解決の糸口を見出すことができる。
どうやらこの作品には続編があるようだが、この歪み切った「救済者」がどのようにしてシャバに出てきて、どのように「われわれ」を「救済」してくれるのか興味深いところだ。
続編が完成された暁にはおれは劇場に行くだろう。メンズデーを狙って。