中上健次という奇蹟 | Hack or Fuck ?

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photo credit: paul bica via photopin cc


企画展:中上健次の没後20年 「家族が知らなかった内容も」 長女紀さん、展示に見入る--新宮・佐藤春夫記念館 /和歌山


▲久しぶりに中上健次の名前を目にした。

あれからもう20年も経ったのかと、半ば茫然とすると同時に中上健次のあの幾重にも絡みつくような文体が懐かしく思い出されたので、本棚から『奇蹟』を取り出してみた。

函入りで薄いハトロン紙に包まれた今ではあまり見かけない丁寧な作りの本で、帯の惹句にはこう書かれてある。

“生の輝きの極みで若死にした極道中本タイチ。闘いの性と淫蕩の血の宿命にいどむ荒くれたちの愛と死、罪と罰を濃密に描く中上文学空前の物語宇宙同時代史!”

“金色の小鳥が乱舞し夏芙蓉の花が匂う霊異の地、紀州・新宮の路地。歌舞音曲にさわぐ淫蕩の血の穢れを承けた中本七代の裔タイチの高貴にして短い生涯を、産婆オリュウノオバ、アル中のトモノオジの目を通し、極道の血まみれの抗争の中に描く。「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」…血の哀しみをたたえた圧倒的な作品群を生み続ける時代の旗手中上健次の驚異の到達点”


中上健次ファンならこれを読んだだけで、もう胸が躍り一刻も早く頁を開きあの眩暈がするようなある種サイケデリックな世界に浸りたくなってくる筈だ。

だが、初心者には極めて難解に見えるだろう。中上健次の文章は最近の小説のようにスラスラとは読めない。物語は過去や現在を、現実と幻覚を自由に往来する。

おそらく、どこかのブロガーたちが推奨するフォトリーディングとやらの信奉者たちはその横溢する文章に目が眩み、早々と放り出してカネ儲けやビジネススキルを磨くことができるなどが謳い文句の薄っぺらい本を10分で読んで自分がワンランク上の人間になったかのような錯覚に陥り悦に浸ることを選ぶだろう。(いつの間にそうした輩が蔓延るようになったのだろう。)

それでも投げ出さずゆっくりと読み進めることができた者は幸いである。あなたの目は次第に開かれていくだろう。中上健次はあなたの中に眠っていた差別心、怒り、哀しみ、そして無関心といった様々な負の感情を浮かび上がらせる。あなたは自分の中にそんな感情が沈んでいたのかと気づくと共にそれら負の感情と初めて対峙するのだ。ある種の薬物による幻覚を見るかのように、あなたは中上健次を通して自己と向き合う。もちろんそれは中上健次に限ったことではない。読書とは本来そういうものだからだ。われわれは本という薬物を通して変性意識を体験するのだ。だが中でも中上健次の効き目は強力でしかも「優しい」。

無事読み終えることができたあなたはそのパワーに圧倒されながらも心のどこかに微かな痛みが残っているのに気づくだろう。それは虐げられた者たちの哀しみであり、痛みである。

哀しみは慈悲心の種子である。廃棄されるべきものではない。

種はやがてあなたの中で芽吹き始める。

奇蹟/中上 健次

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