横浜真金町の大鷲神社の酉の市に行ってきた。
我が家の11月の恒例行事となって何年経つのだろう。
派手な熊手が掲げられた通りを人混みをかき分け通り過ぎるだけだが、毎年訪れている。
熊手が売れるたびにあちこちで、商売繁盛を祈念する威勢のいい掛け声が飛び交う。
明るい屋台が並ぶ通りを少し外れると、
「健全な青少年たち」があちこちにかたまってとぐろを巻いている。
男の子たちは大人ぶってタバコをふかし、女の子たちは嬌声を上げる。
毎度のことだが、なぜか今年はそんな光景に強烈な違和感を感じた。
目の前のことなのに、昔の映像を見ているような感覚があった。
エネルギーが行き場を見失っているような気がした。
伝統というものは共同体の結束にとっては確かに大切なものだが、往々にして外部を見失う。
大袈裟に言えば、そんなことを感じたのかもしれない。
柄にもなく、そんなことを思う。
祭りの前にエビフライを食い過ぎたからだろうか。
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