ゴールデンウイークに入った
昨日、4月最終週の稽古、
普段は学業等々で出席できない道場生に、
新年度に入会した新しい道場生たちも加わり、
多くの仲間が参加する稽古となりました。
指導者は、場の空気を締めて引き上げ、
みなの気持ちを高めて、
心身ともに日常では容易に表すことができない
力を引き出す。
みなの内に籠り眠っている力、
奥底に潜在化しているものを解き放つ。
道場生は、指導者や場の空気に呼応し、
呼吸法にのせて自分を出し切る。
普段にはないもの、その大きな手応えを得る。
多世代が集う仲間どうしで
想いと刺激を受け合い、互いに高め合う。
これこそが、さまざまな面で、
よい循環を生み出す当会の伝統とも言える
稽古の特徴の一つです。
この稽古の最終の時間、
全員で正座をして列を整え、
修養訓の唱和と礼を行う時間に、
この4月に
新たに中学一年生となった道場生、
高校一年生となった道場生に、
正座をするみなの前に出て
挨拶をしてもらいました。
この際の表情と中身がとても良かった。
端的に言えば、
新中学一年生は心身の成長の手応えと
学習、運動の両面における
さらなる発展への目標を表し、
新高校一年生は大人への階段を上り始めた心境と
確かな成長への決意を表すもの。
いずれもが仲間たちへの
気持ちの込もった近況報告と挨拶でした。
みなで拍手をし、
いやあ、私もほんとうにうれしかった。
思い返せば、このような機会は長年、
恩師がたくさんつくってきてくれたこと。
当会の道場生は、
指導者から一方的に教わる立場だけではなく、
みなの前に立つ、話をする、指揮を執る、
しっかりと考える機会をたくさん持ってきました。
私も、そのような場での経験を重ねてきたことが、
いまにつながっている。
恩師(その右に森、1985年)
そして、いまでは仲間に
さまざまな機会をつくること、
みなの学びの場をつくるということを、
その稽古の瞬間、瞬間で考えながら、
恩師と同じように道場で、
時には自ら、時には指導者に促しながら、
そのような場をつくっていることを
再認識した4月の稽古。
恩師への感謝の気持ちとともに、
当会の意義を感じる時間ともなりました。
稽古とは、一方通行ではない、
単なる動きや技の伝達ではないということを
改めて考えさせられました。
長年の経験、指導のなかでも、
私にとってはあまりに日常であり過ぎて、
忘れがちになることもある。
個々人の強いところを伸ばし、
弱いところを底上げする。
そして、心身全体をグッと引き上げる。
この取り組みの連続なのだと
充分に理解することができます。
新年度に入りました。
年少者から年長者まで、
それぞれに成すことができるものがある。
みなの、
ますますの成長がたのしみです。
