治療がお休みなので
記事ネタとして
「今日の世間話」をを追加いたしました。
私は、趣味で近所のアトリエ(宗教トカジャナイデスヨ)
に行っているのですが
そこで、主婦の方々と世間話をすることがあります。
昨日の世間話は
「このあいだテレビでやっていたんだけど、助けてと言えない30代がいるんだってね~!」
という切り出しからはじまりました。
NHKのクローズアップ現代という番組のようです。
「家族に迷惑をかけられない」とか
「自分で何とかする」といって
家族や友人との関係を絶って、孤独に陥る人が増えているんですって。
私はそのテレビを見ていなかったので、興味深く聞きました。
テレビでは、30代で孤独死(餓死?)をした男性のお話だったそうです。
その話をしはじめたお姉さんは、50代なのですが
30代で孤独死をしたという人のテレビのその人を見て
理解が出来ないと言っていました。
誰かに言えばいいのにねー!って。
そのお姉さんは、誰とでも仲良くなれる、ものすごく明るく楽しい人です。
餓死するくらいだったら、
私は他人の庭の木になっているミカンとか獲って食べちゃうかもなぁと思いました。
なんでも、を見ていた
お姉さんの話によりますと
30代は(特に男性)、否定されるのを怖がる完璧主義者が多いとか・・・
それで、自分の力でなんでもやろうとしてしまうのだとか・・・・
私もギリ30代だけど、
困ったら、声を上げれば結構、助けの手がさしのべられる事もある。
究極、他人でも気の合う人となら助け合って暮らしてもいい!と思うし
家族が少なくても、こういったコミュニティの場に溶け込んでしまえば
孤独な気持ちなんて感じないで日々を過ごせるし
愚痴を言ったり、相談にものってもらえる。
その逆もある。
治療の話はしていないけど
十分にこのコミュニティの場を利用して感謝しています。
ただ、男性に限らず、仕事も忙しくて、息抜きの場をもてないまま
だんだん心を閉ざしていってしまう人がいるんだな・・と感じます。
そこをなんとか出来ないものだろうか、、という思いもあります。
そんな話をしていたら、違う人が
「プライドの塊なのよ・・・そういう人は」
と言いました。
餓死した人はプライドが高くて、誰にも助けを求められなかったのだと。
そこで、話題は
プライドの無い人の方が生命力があるかもしれないよね・・という話に。
生き抜く為の様々な手段を選択する幅が広いのでは?と。
そして
プライドって一度砕かれてからじゃないと構築できないのよね!
という意見が。
そこから、教育の話に進展しました。
30代前半から下の世代は先生が怖い存在じゃないのでは?って。
私の時代は小学校では先生がめちゃくちゃ怖い存在で
ケツは叩かれるは、ひどいときはビンタはされるし、正座もさせられる。
先生は長い物差しブンブン振り回して、オラオラ~と駆け回っていたっけ。
そういえば、人前で先生にビンタされて、プライドが傷つけられたわ~私
ヤンキーも沢山いて、それも怖かったケド。
勿論
いじめもあったし、引きこもりになっちゃった人もいたけど。
でも楽しかったよなぁ。
特に小学校中学校時代。
そんな中で友達との団結力が自然と強まってた気がします。
かと言って、その友達と今も続いている訳ではありません。
結局、テレビを見ていなかった私ですが
孤独死してしまった30代の男性と
不妊治療をして行き詰っている自分とを少しだけ、重ねてみて
何をセンチメンタルになっているんじゃ~と喝入れました。
人との繋がりを持つ事は
生きるためには大事な事だけど
それは、訓練して上手に出来るようになるのではないかな?・・・と思いました。
社会状況や家庭環境などなどの要因があって、
人は同じようには育っていかないのですが
自然に他人との繋がりを持つ訓練が出きれば理想です。
孤独に陥ってしまった人が、無理やり思考を改善して
孤独を治そう!と思っても、急にはなかなか出来ないのではないでしょうか?
そもそもそういう発想が出ないくらいに落ち込んでいたりするのかな。
過去の孤独じゃなかった時の素晴らしさを思い出す事によって
他人との繋がりを持とうとするのでは?
その思い出が無い人は
これから訓練するしかないのですが
その訓練には他人の協力がいるから
人との繋がりを自然に出来る人が必要です。
だから、他人と交流を持つという事は社会の為になるという事ですね。
・・・・と、そんな事を考えた瞬間でした。