先日、LGBTQやジェンダー等について聞かれました。
自分の意見をブログでお伝えしたいと思います。
この話題は非常に繊細な部分を含んでいますので、表現の仕方次第で容易に誤解が生じます。
これから書くことはあくまでも私見であり、偏見等は全く持っていないことを申し添えます。
形式にこだわりすぎるために、人としての尊厳が脅かされているように思っています。
同性婚での婚姻届けは受理されない。どうしてですか?夫婦は異性でなければ認められないのですか?
夫婦の「夫」は男性、「婦」は女性と何故定義付けしなければいけないのですか?
「夫」に「人」を付けてみてください。「夫人」です。「夫人(おっとびと)」は男性ですか?
人が人を愛するというのは感情の問題であって、そこに性差が介入する余地は無いと思っています。
異性を愛することが当たり前だという風潮はもう時代遅れです。
大切なのは異性を愛することではなく、人を愛することです。
我が国には戸籍制度という非常に有意義な、そして、反面、非常に厄介な制度があります。
戸籍上夫婦であることにより、付与される権利もいろいろあります。しかし、同性婚が認められない以上、同性で事実上の夫婦になっている人には、不利益を被ることが多々あります。
戸籍という形式的なもので縛られているがために、異性夫婦と同性夫婦には大きな隔たりがあるのです。
トランスジェンダーという人たちが沢山います。
男性の方に伺います。あなたは、いつから自分を男性だと自認していますか?自分は女性だと思ったことはありませんか?
女性の方に伺います。あなたは、いつから自分を女性だと自認していますか?自分は男性だと思ったことはありませんか?
身体的性と性自認が一致している人には、一致していない人の苦しみや悲しみはなかなか理解することが難しいと思います。
以前、こんな話がありました。
男性が女性トイレに入ろうとしたところ、警備の人から「そちらは女性用ですので男性のご利用はできません」と注意されたそうです。その男性はトランスジェンダーで、何回も「私は女性です。どうして私を男性だと決めつけるのですか?」と聞いたところ、「どこから見ても男性にしか見えないじゃないですか。」と言われ、最後まで理解してもらえなかったそうです。
後日、その男性が女装して男性トイレに入ろうとしたところ、同じように、「そちらは男性用ですので女性のご利用はできません」と注意されたそうです。
そして、同じように、「私は男性です。どうして私を女性だと決めつけるのですか?」と聞いたところ、「どこから見ても女性にしか見えないじゃないですか。」と言われ、「どこから見ても言いますが、どこを見て言ってるのですか?」と言って、穿いていたスカートと下着を下ろして「これでも女性に見えますか?」と切り返したそうです。
見た目で判断することがいかにいい加減なことかを象徴するかのようなお話でした。
私は、体は○性ですが、心は○性です。ですから、私は自らを男性とも女性とも思っていません。
生まれついてからずっとそうなので、私は中性だと思っています。
同性婚が認められないので、高額な金額を使って性転換手術を施行し、戸籍上の性別を替えれば婚姻届けは受理される。それって、戸籍上の夫婦関係をお金で買ったようなものではありませんか?
異性婚の必要性として、種の保存、所謂子孫繁栄が理由付けられている、と聞いたことがあります。
しかし、性転換をして事実上の同性婚をしたら、それは達成されません。それがわかっていて婚姻届けを受理するのはおかしいと思いませんか?もう一つ言わせてもらえれば、夫婦別姓は認められない、というのもおかしくないですか?夫婦同姓である必要性がどこにあるのでしょう?何故夫婦は同姓でなければいけないのでしょう?
「性」も「姓」も単なる形式のために苦しんでいる人たちが沢山いるということをお役人の方々はそろそろ理解する努力をなさったらどうでしょう。
生物としての「人」に大切なのは、見かけだけの、形式だけのことではなく、「人を愛する」という気持ちを持つことなのではないでしょうかね。