こんばんは
9年前のこの日は、自分の球友(スワローズ・ファン)の命日(交通事故)そしてさかのぼって高校1年生のこの日は失恋記念日と、自分にとっても側近の人間にとっても厄日です…。
球友の話は、昨年4月26日のトピック“しんちゃん~我れを親友と呼びし友へ…~”を読んでいただくとして、本日はその悲しい失恋話とソレにちなむ楽曲、及び後日談を書きつづって行きます…。
『少女A』by中森明菜
作詞、売野雅朗
作曲、芹澤廣明[1982.07.28]
この話は、当コーナー3月29~31日“中学卒業SP”の続編となります。
無事に高校へ入学した僕ですが、喜んでいられるのも、入学式まででした…
入学式から間も無く、部活動の説明会が有りましたが、自分の苦手な運動系の部ばかりで、文化系は美術部と茶道部しか無く、僕のやりたかった音楽系は、一つも作られませんでした…
僕が入学した高校は新設校、部は自分達で創設するものだと思っていたので、教師側に仕切られ少々肩透かしを喰らった気持ちでした…
軽音楽部を生徒独自で作る動きも出ましたが、1学年分の教師しかおらず、みんな各部の顧問を担当していた事も在り何と無く立ち消えし、僕は美術部の門を叩く事にしました。
担任の内藤郁子・英語教諭に入部希望の書類を提出する時、クラス・メイトの岩村美佳が、
「どこの部に入るのぉ~?」
と、満面の笑みを浮かべながら話し掛けて来ました。
今なら、Wエンジンのコントよろしく、美佳に悟られない様に、
「惚れてまうやろぉ~」
と口にしそうな程、僕の心は舞い上がってしまいました
美佳は、1980年代後半に活躍したアイドル・タレントの立花理佐女史によく似た、相模野レベルならトップ・クラスの美少女でした
彼女も美術部に入るのかと期待しましたが、バレーボール部だったのでズッコケました…(苦笑)
後日、何を間違えたか僕が学級委員の4人の中に選ばれ、しかも2人ずつ前後期に分ける時、郁子先生は前期担当に、何と美佳と僕を指名しました
胸の奥で小躍りした事は、言うまでも御座いません
ロング・ホームルームの進行をする時、学級委員の会合に出席する時、常に美佳の笑顔が隣に居ました
或る日の会合の事、僕が決定事項をノートにまとめている時、美佳が横からニコニコしながら僕の顔を覗き込んでいました。
女の子にジィーッと顔を見られる様な経験が薄い僕が、照れてメロメロになると、彼女はイタズラっ子の様な笑みを浮かべながら、僕の背中をピシャッと叩きました
何だか、Mでも無いのに気持ちの良い痛みを感じました…???
「俺に気が有るから、顔を覗き込んでみたり、あんなイタズラをしたりするのかな…?
まさか、まさかな…。
否、大道智子の件も有るから、あながち有り得ない話では…???」
などと、様々な想いを巡らせていたら、彼女を独り占めしたくなりました
4月28日、翌日に彼女とどこかへ遊びに行く約束を取り付け様かと思いましたが、美佳は、
「用事が有るの…」
と断った後、
「ねぇ、用件ってなぁに…?」
と責っ付かすと、心の準備がちゃんと出来ていない中、
「俺、お前が好きなんだ…」
と、取る物も取り敢えず手短に告白、彼女は狼狽しながら、
「私と、どういうお付き合いがしたいの…?」
と…。
僕は、しどろもどろ状態で、
「交換日記とか…」
と言うのが精一杯、彼女は鼻でクスッと笑った後で、
「ただのお友達でいましょ…(^_^;)」
と、一言だけ告げて去って行きました…。
振られた事だけはハッキリと解りましたが“鼻でクスッ”と“ただの友達”の意味が、いまひとつ理解出来ていませんでした…。
帰宅後、ラジオから当時ファンだった松田聖子女史の曲が流れて来ました。
聖子さんに励まされている妄想に陥り、涙が溢れて来ました…
散々泣き腫らした後、
「ただの友達…? 友達付き合いから地道に恋仲になれれば、ソレで良いじゃねぇか…?」
と、ひとまずポジティヴに捉えてみましたが、このまま友達にすらなれない危機感も、心の片隅で感じていました…
案の定、予感はピタリと当たってしまいました…
朝の挨拶をすると、取り敢えず返答はしてくれますが、ロング・ホームルームや学級委員会合での態度は、明らかに淡泊になっていました…
春から夏へ移り行く或る日、学年行事で丹沢山脈・仏果山へ、移動教室(プチ修学旅行)を敢行しました。
僕は、初日夜の遊戯会に備え、宿泊施設の支配人からギターを借り、美佳の為に作った曲を披露する事にしましたが、押しの一手で振り向き直してもらおうとする采配は見事に裏目に出て、僕は美佳やクラスの女子からストーカー認定されてしまいました…
「気を付けなは~れやっm9」
移動教室後、生徒会選挙が行なわれ、或る教師の勧めで書記に立候補しました。
僕の所属する1年3組からは候補者1名、対抗者3名は全員4組から、4組内での票割れと、3組のメンバーが僕を支持してくれさえすれば、浮動票次第では当選も有るぞと期待しましたが、当選2名は全て4組から、何と僕への票は3組の人員に満たない数、最下位での落選でした…。
1組や2組の友人が、
「さのに入れてあげたんだぞ」
と励ましてくれても、その分僕に入れた3組のメンバーが少なくなる証左となる為、余計に落ち込ませるだけでした…
僕は郁子先生に学級委員辞任の申し出をしましたが受理されず、9月いっぱいまで針の筵の日々を送りました…
2年生に進級し、運悪く美佳と同じクラスになってしまい、彼女を忘れる事など、どだい無理な話となってしまいました…。
女子生徒の僕に対する軽蔑の眼差しに晒され、一部の男子生徒からのイジメに苦しめられ、
“こんな目に遭うのは、美佳ちゃんのせいだ…”
と、怨念を込める事で、美佳を忘れる作戦に出ました。
3年生に進級すると、やっと美佳と離ればなれになり、別の女子生徒に片想いし始めた事をきっかけに、美佳の事を忘れて行きました。
卒業式、講堂(体育館)の壇上で、校長から証書を受け取る美佳の姿が…。
「美佳ちゃん、綺麗になったね…」
僕の後ろで、美佳を知る或る女子生徒の声が聞こえ、壇上を見上げハッとしました…。
「本当だ、綺麗になったな…。
俺の手の届かない所へ行っちゃったんだな…。
きっと、俺が想いを寄せちゃイケない相手だったんだな…」
自分の存在がチッポケに思え、悲しくなりました…
大学浪人となり、受験勉強で苦しんでいた或る日、睡眠中に美佳と濃密な抱擁をしている夢を見て、目が覚めるや否や自己嫌悪に陥りました…。
「俺はそんないかがわしい気持ちを以て、彼女に想いを寄せた訳じゃないのに…」
と思ったその時、僕が告白した時の美佳の“鼻笑い”の謎が解けました。
「さの君、遅れてる
高校生にもなって“交換日記”だなんて…(嘲笑)」
後に僕は、大学受験を失敗する訳ですが(25日の当コーナー参照です)ソレだけ頭の悪かった自分ゆえ、美佳から出題された問題を解くのに、3年以上もかかったのでしょう…。
きっと、男として潜在的に、
“美佳ちゃんを抱きたい”
と思っていたから、こんな夢を見たのでしょう。
“コレはコレで、正しいのかも知れない…”
と、今となっては考えています…。
美佳からしたら、どっちみち迷惑かも知れませんが…。
似たようなこと
誰でもしているのよ
“女の子は純潔な存在”と頑なに思い続け、中森明菜女史の『少女A』の歌詞にまだ疑問を感じていた、我が知り初めし頃の恋話でした…。
何と岩村美佳ちゃん(仮名)と誕生日が同じ中森明菜女史の、2枚目のシングルにして出世作、明菜=不良少女的なイメージを作る、きっかけとなったナンバーでした。
余談ですが、当時美佳ちゃんはあまり胸が大きくなく、
わ~た~し~
カップ・Aェ~
って自虐の替え歌を、しばしば歌っていました(苦笑)
~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~
それではまた後程
9年前のこの日は、自分の球友(スワローズ・ファン)の命日(交通事故)そしてさかのぼって高校1年生のこの日は失恋記念日と、自分にとっても側近の人間にとっても厄日です…。
球友の話は、昨年4月26日のトピック“しんちゃん~我れを親友と呼びし友へ…~”を読んでいただくとして、本日はその悲しい失恋話とソレにちなむ楽曲、及び後日談を書きつづって行きます…。
『少女A』by中森明菜
作詞、売野雅朗
作曲、芹澤廣明[1982.07.28]
この話は、当コーナー3月29~31日“中学卒業SP”の続編となります。
無事に高校へ入学した僕ですが、喜んでいられるのも、入学式まででした…
入学式から間も無く、部活動の説明会が有りましたが、自分の苦手な運動系の部ばかりで、文化系は美術部と茶道部しか無く、僕のやりたかった音楽系は、一つも作られませんでした…
僕が入学した高校は新設校、部は自分達で創設するものだと思っていたので、教師側に仕切られ少々肩透かしを喰らった気持ちでした…
軽音楽部を生徒独自で作る動きも出ましたが、1学年分の教師しかおらず、みんな各部の顧問を担当していた事も在り何と無く立ち消えし、僕は美術部の門を叩く事にしました。
担任の内藤郁子・英語教諭に入部希望の書類を提出する時、クラス・メイトの岩村美佳が、
「どこの部に入るのぉ~?」
と、満面の笑みを浮かべながら話し掛けて来ました。
今なら、Wエンジンのコントよろしく、美佳に悟られない様に、
「惚れてまうやろぉ~」
と口にしそうな程、僕の心は舞い上がってしまいました
美佳は、1980年代後半に活躍したアイドル・タレントの立花理佐女史によく似た、相模野レベルならトップ・クラスの美少女でした
彼女も美術部に入るのかと期待しましたが、バレーボール部だったのでズッコケました…(苦笑)
後日、何を間違えたか僕が学級委員の4人の中に選ばれ、しかも2人ずつ前後期に分ける時、郁子先生は前期担当に、何と美佳と僕を指名しました
胸の奥で小躍りした事は、言うまでも御座いません
ロング・ホームルームの進行をする時、学級委員の会合に出席する時、常に美佳の笑顔が隣に居ました
或る日の会合の事、僕が決定事項をノートにまとめている時、美佳が横からニコニコしながら僕の顔を覗き込んでいました。
女の子にジィーッと顔を見られる様な経験が薄い僕が、照れてメロメロになると、彼女はイタズラっ子の様な笑みを浮かべながら、僕の背中をピシャッと叩きました
何だか、Mでも無いのに気持ちの良い痛みを感じました…???
「俺に気が有るから、顔を覗き込んでみたり、あんなイタズラをしたりするのかな…?
まさか、まさかな…。
否、大道智子の件も有るから、あながち有り得ない話では…???」
などと、様々な想いを巡らせていたら、彼女を独り占めしたくなりました
4月28日、翌日に彼女とどこかへ遊びに行く約束を取り付け様かと思いましたが、美佳は、
「用事が有るの…」
と断った後、
「ねぇ、用件ってなぁに…?」
と責っ付かすと、心の準備がちゃんと出来ていない中、
「俺、お前が好きなんだ…」
と、取る物も取り敢えず手短に告白、彼女は狼狽しながら、
「私と、どういうお付き合いがしたいの…?」
と…。
僕は、しどろもどろ状態で、
「交換日記とか…」
と言うのが精一杯、彼女は鼻でクスッと笑った後で、
「ただのお友達でいましょ…(^_^;)」
と、一言だけ告げて去って行きました…。
振られた事だけはハッキリと解りましたが“鼻でクスッ”と“ただの友達”の意味が、いまひとつ理解出来ていませんでした…。
帰宅後、ラジオから当時ファンだった松田聖子女史の曲が流れて来ました。
聖子さんに励まされている妄想に陥り、涙が溢れて来ました…
散々泣き腫らした後、
「ただの友達…? 友達付き合いから地道に恋仲になれれば、ソレで良いじゃねぇか…?」
と、ひとまずポジティヴに捉えてみましたが、このまま友達にすらなれない危機感も、心の片隅で感じていました…
案の定、予感はピタリと当たってしまいました…
朝の挨拶をすると、取り敢えず返答はしてくれますが、ロング・ホームルームや学級委員会合での態度は、明らかに淡泊になっていました…
春から夏へ移り行く或る日、学年行事で丹沢山脈・仏果山へ、移動教室(プチ修学旅行)を敢行しました。
僕は、初日夜の遊戯会に備え、宿泊施設の支配人からギターを借り、美佳の為に作った曲を披露する事にしましたが、押しの一手で振り向き直してもらおうとする采配は見事に裏目に出て、僕は美佳やクラスの女子からストーカー認定されてしまいました…
「気を付けなは~れやっm9」
移動教室後、生徒会選挙が行なわれ、或る教師の勧めで書記に立候補しました。
僕の所属する1年3組からは候補者1名、対抗者3名は全員4組から、4組内での票割れと、3組のメンバーが僕を支持してくれさえすれば、浮動票次第では当選も有るぞと期待しましたが、当選2名は全て4組から、何と僕への票は3組の人員に満たない数、最下位での落選でした…。
1組や2組の友人が、
「さのに入れてあげたんだぞ」
と励ましてくれても、その分僕に入れた3組のメンバーが少なくなる証左となる為、余計に落ち込ませるだけでした…
僕は郁子先生に学級委員辞任の申し出をしましたが受理されず、9月いっぱいまで針の筵の日々を送りました…
2年生に進級し、運悪く美佳と同じクラスになってしまい、彼女を忘れる事など、どだい無理な話となってしまいました…。
女子生徒の僕に対する軽蔑の眼差しに晒され、一部の男子生徒からのイジメに苦しめられ、
“こんな目に遭うのは、美佳ちゃんのせいだ…”
と、怨念を込める事で、美佳を忘れる作戦に出ました。
3年生に進級すると、やっと美佳と離ればなれになり、別の女子生徒に片想いし始めた事をきっかけに、美佳の事を忘れて行きました。
卒業式、講堂(体育館)の壇上で、校長から証書を受け取る美佳の姿が…。
「美佳ちゃん、綺麗になったね…」
僕の後ろで、美佳を知る或る女子生徒の声が聞こえ、壇上を見上げハッとしました…。
「本当だ、綺麗になったな…。
俺の手の届かない所へ行っちゃったんだな…。
きっと、俺が想いを寄せちゃイケない相手だったんだな…」
自分の存在がチッポケに思え、悲しくなりました…
大学浪人となり、受験勉強で苦しんでいた或る日、睡眠中に美佳と濃密な抱擁をしている夢を見て、目が覚めるや否や自己嫌悪に陥りました…。
「俺はそんないかがわしい気持ちを以て、彼女に想いを寄せた訳じゃないのに…」
と思ったその時、僕が告白した時の美佳の“鼻笑い”の謎が解けました。
「さの君、遅れてる
高校生にもなって“交換日記”だなんて…(嘲笑)」
後に僕は、大学受験を失敗する訳ですが(25日の当コーナー参照です)ソレだけ頭の悪かった自分ゆえ、美佳から出題された問題を解くのに、3年以上もかかったのでしょう…。
きっと、男として潜在的に、
“美佳ちゃんを抱きたい”
と思っていたから、こんな夢を見たのでしょう。
“コレはコレで、正しいのかも知れない…”
と、今となっては考えています…。
美佳からしたら、どっちみち迷惑かも知れませんが…。
似たようなこと
誰でもしているのよ
“女の子は純潔な存在”と頑なに思い続け、中森明菜女史の『少女A』の歌詞にまだ疑問を感じていた、我が知り初めし頃の恋話でした…。
何と岩村美佳ちゃん(仮名)と誕生日が同じ中森明菜女史の、2枚目のシングルにして出世作、明菜=不良少女的なイメージを作る、きっかけとなったナンバーでした。
余談ですが、当時美佳ちゃんはあまり胸が大きくなく、
わ~た~し~
カップ・Aェ~
って自虐の替え歌を、しばしば歌っていました(苦笑)
~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~
それではまた後程