三日月こんばんは。

 我が中学卒業の思い出話も、今日が最終回です…。

かづみの箱・平成23福岡発~ともに頑張ろう、東日本!!~-805.jpg

『重いつばさ』by岸田智史
作詞、川崎洋
作曲、岸田智史[1980.04.21]

 伊藤小織は、大道智子の後ろの席に座っていましたが、僕は常に小織と話す機会を持とうとしていました。
 小織と話せる瞬間は、僕の至福のひとときでした音符
 智子には、申し訳無いと思いつつ…。

 高校受験を無事にクリア、そして卒業、やっと自分の居場所を見つけ、楽しい思いをさせてもらった3年6組とも、いよいよ別れの時が来ました…汗
 とりわけ、こんな僕を好きになってくれた智子と、想いを寄せていた小織との別れが、特にツラかったのです…。

 女子の大半が、サイン帳なる物をクラス・メイトに回しており、僕も、
「お世話になりました」
「また会いましょう」
また、高津弘子をはじめとする一部の女子には、
「今度は栗原高校※で」
などと記入させてもらいましたが、小織が僕の所へサイン帳を回して来た時、思い切って告白する事にしました…。
 小織は、神妙な顔つきで、
「さの君、読んだよ…」
と告げ、僕は、
「有り難う。じゃぁね…パー
と返し、この想いに終止符を打ちました…。

 卒業式は、不思議と湿っぽく有りませんでしたが、大半のクラス・メイトが座間という小さい町に残り、いつでも会える状況に在った事、そして担任・上田英子先生の前向きな雰囲気作りの為なのか、ムード・メーカーの山内勝人が少々目を腫らしていた以外は、笑顔の卒業となりました。

 式も終わり、一旦帰宅した後、智子と会う事にしました。
 本当は智子の想いに応え、夜まで一緒にいたかったし、手もつないであげたかったけれど、小織への想いが吹っ切れない中、中途半端な気持ちで智子と接したくなかったので、一緒に並んで歩くもスキンシップはせず、1年間の思い出や卒業後の話に終始し、智子に頼まれ詰め襟学生服の第2ボタンを差し上げた後、約2時間で解散しました…。

 しかし、僕にとって貴重な楽しい体験をさせてもらったと、この後の長ぁ~いモテず期を考慮したら、智子には感謝しています…。

 父方の祖母・佐藤みちが卒業&高校入学祝に、5000円を包んでくださいました。
 そのお金を握り締め、東京の中野サンプラザへ岸田智史(現、敏志)氏のコンサートを鑑賞しました。
 前年、彼が主役で出演した『1年B組新八先生』の主題歌『重いつばさ』が大ヒット、

どうしようもない傷を
持ってしまったが
どうにか出来る明日が
明日があるさ

どうしようもない昨日を
背負ってしまったが
どうにか出来る明日が
明日があるさ

のフレーズで、僕の門出を盛り上げて欲しかったのですが、ヒットから間が無いにもかかわらず、まさかの選曲落ちでした…汗

「君には明日が無い。
 だから僕はこの曲を歌わないビックリマーク

と、言われている気がしました…汗(本当の智史さんは、こんな事を言うはずが無いのですが…)
 事実、この後ロクでも無い高校生活が待ち受けていました…汗


4月28日へ続く、予定…


※注釈
 僕の母校で、現在は別の学校と統合し、名前も変わりました…。


 本来なら『3年B組金八先生』の主役は、この方が演じる予定だったのですが、初出演ドラマ『愛と喝采と』&挿入歌『きみの朝』大ヒットにより多忙となり、立ち消えとなりました…。
 なお、第3話にてラジオ・パーソナリティー役として声だけの登場、また、新八先生として、最終回の3年B組卒業謝恩会にゲスト出演、武田“金八”鉄矢氏と&上條“服部先生”恒彦氏と、歌手として“揃い踏み”を果たしています。

 ちなみに、ドラマでのこの曲は、オープニング・テーマにて1コーラス目+2コーラス目Aメロを使用、前奏はスタジオ録音盤から大幅にカットされ、アレンジもかなり違います。
 上記の大サビを含めたフル・ヴァージョンは、智史さんのギター弾き語りにより、最終回にて藤本“見栄晴”正則氏を含む1年B組の生徒達との涙の大合唱とともに披露されました。

 余談ですが、2000年に東京・六本木のライヴ・スペース“スイート・ベイジル”にて、さとう“仙八”宗幸氏他とジョイント・ライヴを敢行、お互いに先生役を演じた思い出話を語り合っていましたが、バック・ミュージシャン(キーボード)の方が『重いつばさ』を演奏し始めた時、そのまま歌唱する事を期待したのですが、結局歌われませんでした…汗

~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~


それではまた後程パー