こんばんは
僕の中学卒業スペシャル、本日は第2夜をお送り致します。
『旅立ち』by松山千春
作詞・作曲、松山千春[1977.01.25]
秋から冬へ差し掛かる頃、僕は生まれて初めて“ラヴ・レター”なる物をいただきました。
机の中に入っていたのですが、あまりにも唐突で、しかも無記名だった為、
「何コレ、誰か俺をからかってない…?」
と、嬉しさへの照れ隠しと、疑いの念を込めて叫びました。
しかし、帰宅するなりワクワクしながら明日の登校の準備を進めました
翌日の休み時間、寺原裕子が僕の元へやって来るなり、一通の封書を渡しました。
封を開けて、目の前が真っ暗になりました…
「アタシが心を込めて書いたのに、何でケチ付けるんですか!?
アンタなんか大っ嫌いです」
と…。
僕は烈火の如く怒り、
「コラ、書いた奴出て来い
本当は嬉しかったんだけどさぁ~、みんなが見てる手前、照れ隠しであんな事を言った心中を、なぜ察する事が出来ないんだ!?
男心が解らない女なんか、コチラから願い下げだ
糞食らえったら、氏んじまぇーっ」
と、裕子やクラスの男子数人の前で叫びました。
間も無く、クラス・メイトが“今までのは全て嘘なんだ…”と、正直に話してくれましたが、もう怒る気力も無くなり、許す事にしました。
年が改まり三学期、春から一緒に図書委員を務めていた大道智子が、なぜか僕に好意を寄せている事が発覚しました!?
不細工で背が低く、少々頭がイカれている僕なのに、一体なぜ…!?
前のクラスで受け入れられなかった異様にテンションが高いキャラクターが、彼女には“癒し系”“和み系”に思えたのでしょうか…???
席が隣同士で、いつの間にか仲が良くなっていました。
2月、いよいよ高校受験を迎える頃、中学を卒業して、即、働く事が決まっていた智子は、僕を元気付ける為に聖ヴァレンタイン・デイのチョコレートを贈る計画を検討していましたが、学年主任の教諭がチョコレートの持ち込みを禁止してしまいました…。
初めてチョコレートがもらえるチャンスだったのに…
度胸試しで受験した某私立高校を落ちた時、合格するとは思わなかったクセに、電話で母の声を聞き、学校で上田先生の癒し系笑顔を見るなり涙が止まらなくなり、先生から、
「まだ公立高校が有るじゃないの」
と、ハッパをかけられました。
クラス初の受験失敗者の汚名を背負い、一念発起して臨んだ公立高校受験でしたが、コチラは何とか合格、学校で先生やクラス・メイトから祝福を受けました
卒業式前“思い出旅行”と称して、学年でアイススケート・センターへ行く事になりましたが、滑れない自分は、とても憂鬱になりました…。
案の定、1&2年生時代のイジメっ子に、リンクで振り回されました…
僕は、主犯格の奴を捕まえようとしましたが転び、上田先生やクラス・メイトになだめられました…。
帰りのバスの中、智子が落ち込んでいる僕の方を向きながら、彼女が好きな松山千春氏の『旅立ち』を歌いました。
私の瞳が
濡れているのは
涙なんかじゃないわ
泣いたりしない
僕は、さだまさし氏の『つゆのあとさき』で返しました。
めぐり逢う時は花びらの中
ほかの誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も花びらの中
君は最後までやさしかった
梅雨のあとさきの
トパーズ色の風は
遠ざかる君のあとをかけぬける
しかし智子とは、正式なお付き合いをしていませんでした…。
当時の僕には、別にお気に入りの子が居ました…。
伊藤小織…小柄で、萩本欽一氏の野球チーム“茨城ゴールデン・ゴールズ”の片岡安祐美監督兼内野手似の、セーラー服と三つ折りにした白いソックスが似合う、可愛いらしい女の子でした…。
小織の事が気になり、中途半端な気持ちでは智子とお付き合い出来ないと悟り、保留にしていました…。
その事は、智子も承知していました…。
続く…
松山千春氏のデビュー・シングルでしたが、出身地の北海道ではまずまずのセールスを記録するも、全国的ヒットにはなりませんでした…。
彼は、地道なライヴとラジオ・パーソナリティ活動、何よりもSTV・竹田健二ディレクターの命を削るバック・アップにより、竹田さん急死後に『季節の中で』が大ヒットし、追って『旅立ち』もスタンダード・ナンバーとなりました。
~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~
それではまた後程
僕の中学卒業スペシャル、本日は第2夜をお送り致します。
『旅立ち』by松山千春
作詞・作曲、松山千春[1977.01.25]
秋から冬へ差し掛かる頃、僕は生まれて初めて“ラヴ・レター”なる物をいただきました。
机の中に入っていたのですが、あまりにも唐突で、しかも無記名だった為、
「何コレ、誰か俺をからかってない…?」
と、嬉しさへの照れ隠しと、疑いの念を込めて叫びました。
しかし、帰宅するなりワクワクしながら明日の登校の準備を進めました
翌日の休み時間、寺原裕子が僕の元へやって来るなり、一通の封書を渡しました。
封を開けて、目の前が真っ暗になりました…
「アタシが心を込めて書いたのに、何でケチ付けるんですか!?
アンタなんか大っ嫌いです」
と…。
僕は烈火の如く怒り、
「コラ、書いた奴出て来い
本当は嬉しかったんだけどさぁ~、みんなが見てる手前、照れ隠しであんな事を言った心中を、なぜ察する事が出来ないんだ!?
男心が解らない女なんか、コチラから願い下げだ
糞食らえったら、氏んじまぇーっ」
と、裕子やクラスの男子数人の前で叫びました。
間も無く、クラス・メイトが“今までのは全て嘘なんだ…”と、正直に話してくれましたが、もう怒る気力も無くなり、許す事にしました。
年が改まり三学期、春から一緒に図書委員を務めていた大道智子が、なぜか僕に好意を寄せている事が発覚しました!?
不細工で背が低く、少々頭がイカれている僕なのに、一体なぜ…!?
前のクラスで受け入れられなかった異様にテンションが高いキャラクターが、彼女には“癒し系”“和み系”に思えたのでしょうか…???
席が隣同士で、いつの間にか仲が良くなっていました。
2月、いよいよ高校受験を迎える頃、中学を卒業して、即、働く事が決まっていた智子は、僕を元気付ける為に聖ヴァレンタイン・デイのチョコレートを贈る計画を検討していましたが、学年主任の教諭がチョコレートの持ち込みを禁止してしまいました…。
初めてチョコレートがもらえるチャンスだったのに…
度胸試しで受験した某私立高校を落ちた時、合格するとは思わなかったクセに、電話で母の声を聞き、学校で上田先生の癒し系笑顔を見るなり涙が止まらなくなり、先生から、
「まだ公立高校が有るじゃないの」
と、ハッパをかけられました。
クラス初の受験失敗者の汚名を背負い、一念発起して臨んだ公立高校受験でしたが、コチラは何とか合格、学校で先生やクラス・メイトから祝福を受けました
卒業式前“思い出旅行”と称して、学年でアイススケート・センターへ行く事になりましたが、滑れない自分は、とても憂鬱になりました…。
案の定、1&2年生時代のイジメっ子に、リンクで振り回されました…
僕は、主犯格の奴を捕まえようとしましたが転び、上田先生やクラス・メイトになだめられました…。
帰りのバスの中、智子が落ち込んでいる僕の方を向きながら、彼女が好きな松山千春氏の『旅立ち』を歌いました。
私の瞳が
濡れているのは
涙なんかじゃないわ
泣いたりしない
僕は、さだまさし氏の『つゆのあとさき』で返しました。
めぐり逢う時は花びらの中
ほかの誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も花びらの中
君は最後までやさしかった
梅雨のあとさきの
トパーズ色の風は
遠ざかる君のあとをかけぬける
しかし智子とは、正式なお付き合いをしていませんでした…。
当時の僕には、別にお気に入りの子が居ました…。
伊藤小織…小柄で、萩本欽一氏の野球チーム“茨城ゴールデン・ゴールズ”の片岡安祐美監督兼内野手似の、セーラー服と三つ折りにした白いソックスが似合う、可愛いらしい女の子でした…。
小織の事が気になり、中途半端な気持ちでは智子とお付き合い出来ないと悟り、保留にしていました…。
その事は、智子も承知していました…。
続く…
松山千春氏のデビュー・シングルでしたが、出身地の北海道ではまずまずのセールスを記録するも、全国的ヒットにはなりませんでした…。
彼は、地道なライヴとラジオ・パーソナリティ活動、何よりもSTV・竹田健二ディレクターの命を削るバック・アップにより、竹田さん急死後に『季節の中で』が大ヒットし、追って『旅立ち』もスタンダード・ナンバーとなりました。
~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~
それではまた後程