こんばんは
昨夜、神奈川県横浜市戸塚在住の叔母が亡くなった事は、当日記でも報告させていただきましたが、本日はその叔母にまつわる曲を…。
『ラブ ユー東京』by黒沢明とロス・プリモス
作詞、上原尚
作曲、中川博之[1966.04]
今日は、昨日に輪をかけて歌謡曲路線を突き詰めようかと…。
昨今では“演歌”とひとくくりされている“ムード歌謡”のスタンダード・ナンバーです。
当初は『涙とともに』のB面として発売されました。
1968年1月に創刊されたオリコンの、記念すべき創刊号1位を獲得、その週から9週連続第1位となりました。
なお、1980年にリーダーの黒沢明氏が病気で歌手活動が出来なくなり、リード・ヴォーカルの森聖二氏がリーダーを引き継ぎ“ロス・プリモス”と改称したそうです。
2009年に黒沢さんと森さんが相次いで死去、何度かのメンバー・チェンジを経て今に至るそうです。
自分が中学生の頃、初めて戸塚の叔母の家へ遊びに行き、叔母がよく口ずさんでいたのが、この曲でした。
この叔母は我が父のすぐ下の妹で、実はあまり仲がよく在りませんでした…。
自分が幼少の頃、真相は分かりませんが、父が叔母を平手打ちを交えながら物凄い勢いで叱っているのを見てしまいました…。
大人が涙を流して泣いている姿を、初めて見ました…。
以来、年末年始や盆休み、千葉県稲毛のさの本家(祖父母宅)に兄弟姉妹家族が集合するのが慣例でしたが、叔母の家族だけは毎回来ませんでした…。
それでも、我が家が神奈川県座間に越したのをきっかけに祖父母と暮らす様になると、叔母が父の不在中に我が家を訪ねて来る様になり、叔母家族とのつながりが出来、上記の様にお宅訪問と相成りました。
いつまでもあたし
めそめそしないわ
2番の冒頭でこう歌われているのですが、このフレーズで自分が幼少の頃に見た叔母の泣いている姿を思い出しました。
「兄には泣かされたけれど、息子で在るかづみ君達の前では笑顔でいようと思うのよね」
親戚の中では一番明るくて賑やかで、笑顔の素敵だった叔母、あの日の『ラブ ユー東京』にはそんな思いが込められていた気がすると、今になって思ったりします。
その後、祖父の死により父と叔母の間に更に深い亀裂が入り再び疎遠となり、17年前の父の兄(我が伯父)の通夜で会ったのが最後になりました…。
まだ60代半ば、事例の少ない難病にかかり、もう手遅れだったとの事です…。
陽気な叔母だったゆえに、人前に病に冒された自身の姿を見せたくなかったらしく、葬儀も家族だけで済ませていたとの事です。
とき子叔母さん(仮名)存命中はお世話になりました。ロクにお礼が出来なくて申し訳御座いませんでした…。
それから我が父・かづ彦の毎度の暴走では、叔母さんに多大なる御迷惑をお掛けしました…。
おじいちゃんとおばあちゃん(祖父の先妻、叔母の実母)とゆき彦伯父さんとは再会出来ましたか…?
いしだあゆみさんと倍賞千恵子さんと水前寺清子さんと江利チエミさん(故人)を足して4で割った様な叔母さんの笑顔を、一生忘れません!!
合掌…
~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~
話を不謹慎な方向へ持って行く様で申し訳御座いませんが、20年以上前にこの曲のパロディで『ラブ ユー貧乏』というのが御座いましたね。
ロス・プリモスの皆様が、大真面目に歌っていましたが…。
さて、ホークスがジャイアンツに勝利したり、スワローズ・高田繁監督が辞任した模様ですが、詳細は改めてお伝えいたします。
それではまた後程

昨夜、神奈川県横浜市戸塚在住の叔母が亡くなった事は、当日記でも報告させていただきましたが、本日はその叔母にまつわる曲を…。
『ラブ ユー東京』by黒沢明とロス・プリモス
作詞、上原尚
作曲、中川博之[1966.04]
今日は、昨日に輪をかけて歌謡曲路線を突き詰めようかと…。
昨今では“演歌”とひとくくりされている“ムード歌謡”のスタンダード・ナンバーです。
当初は『涙とともに』のB面として発売されました。
1968年1月に創刊されたオリコンの、記念すべき創刊号1位を獲得、その週から9週連続第1位となりました。
なお、1980年にリーダーの黒沢明氏が病気で歌手活動が出来なくなり、リード・ヴォーカルの森聖二氏がリーダーを引き継ぎ“ロス・プリモス”と改称したそうです。
2009年に黒沢さんと森さんが相次いで死去、何度かのメンバー・チェンジを経て今に至るそうです。
自分が中学生の頃、初めて戸塚の叔母の家へ遊びに行き、叔母がよく口ずさんでいたのが、この曲でした。
この叔母は我が父のすぐ下の妹で、実はあまり仲がよく在りませんでした…。
自分が幼少の頃、真相は分かりませんが、父が叔母を平手打ちを交えながら物凄い勢いで叱っているのを見てしまいました…。
大人が涙を流して泣いている姿を、初めて見ました…。
以来、年末年始や盆休み、千葉県稲毛のさの本家(祖父母宅)に兄弟姉妹家族が集合するのが慣例でしたが、叔母の家族だけは毎回来ませんでした…。
それでも、我が家が神奈川県座間に越したのをきっかけに祖父母と暮らす様になると、叔母が父の不在中に我が家を訪ねて来る様になり、叔母家族とのつながりが出来、上記の様にお宅訪問と相成りました。
いつまでもあたし
めそめそしないわ
2番の冒頭でこう歌われているのですが、このフレーズで自分が幼少の頃に見た叔母の泣いている姿を思い出しました。
「兄には泣かされたけれど、息子で在るかづみ君達の前では笑顔でいようと思うのよね」
親戚の中では一番明るくて賑やかで、笑顔の素敵だった叔母、あの日の『ラブ ユー東京』にはそんな思いが込められていた気がすると、今になって思ったりします。
その後、祖父の死により父と叔母の間に更に深い亀裂が入り再び疎遠となり、17年前の父の兄(我が伯父)の通夜で会ったのが最後になりました…。
まだ60代半ば、事例の少ない難病にかかり、もう手遅れだったとの事です…。
陽気な叔母だったゆえに、人前に病に冒された自身の姿を見せたくなかったらしく、葬儀も家族だけで済ませていたとの事です。
とき子叔母さん(仮名)存命中はお世話になりました。ロクにお礼が出来なくて申し訳御座いませんでした…。
それから我が父・かづ彦の毎度の暴走では、叔母さんに多大なる御迷惑をお掛けしました…。
おじいちゃんとおばあちゃん(祖父の先妻、叔母の実母)とゆき彦伯父さんとは再会出来ましたか…?
いしだあゆみさんと倍賞千恵子さんと水前寺清子さんと江利チエミさん(故人)を足して4で割った様な叔母さんの笑顔を、一生忘れません!!
合掌…
~楽曲紹介に於けるアーティスト名は、敬称略で…m(_ _)m~
話を不謹慎な方向へ持って行く様で申し訳御座いませんが、20年以上前にこの曲のパロディで『ラブ ユー貧乏』というのが御座いましたね。
ロス・プリモスの皆様が、大真面目に歌っていましたが…。
さて、ホークスがジャイアンツに勝利したり、スワローズ・高田繁監督が辞任した模様ですが、詳細は改めてお伝えいたします。
それではまた後程
