突然だが僕は、色々なスポーツを観るのが好きだ。
サッカーや野球といったメジャーなものから、プロレスや格闘技といったどちらかと言えばマイナーなものまで、結構幅広く観る。
その中でマイナーな部類に入るであろうモータースポーツも結構好きだ。仮面ライダーとかが好きな僕は、オートバイのレースは、単純にカッコ良くて好きなのだ。
現在、そのオートバイレースの最高峰であるMotoGPは、日曜の深夜に放送される。
僕には楽しみにしている選手がいた。
MotoGPには、Moto2というカテゴリーが出来た(正確にいえば完全に移行するのは来年だが)。
最初、この新しいカテゴリーのルールがあまり好きではなく、あまり注目していなかった。
しかし、そのMoto2クラスの初戦、歴史上初めてのレース。そのレースで優勝したのは、日本人だった事で俄然、興味がでてきた。
彼の名前は『富沢祥也』。
「久しぶりに、世界チャンピオンを狙える選手がでてきた!」
僕だけではなく、ファンもマスコミもそう感じたはずだ。
9月5日。僕はMotoGPをTVで観ていた。富沢選手は初戦以降は、なかなか結果がでてなかったが、この日はトップ争いをしていて、一時期はトップを走っていた。
12周目。富沢選手はカーブでバランスを崩し転倒。後続のバイク2台にも接触してしまった。
モータースポーツは、クラッシュはつきものでもある。特にオートバイは4輪以上によくある。それが順位争をドラマチックにしている側面もあるとは思うので、レースでの転倒シーンはよくある光景として観ていた自分がいる。
しかし、その時の富沢選手の転倒の時、嫌な感じがした。以前にも感じた嫌な感じだ。2003年の鈴鹿グランプリの映像を観た時と同じような・・・
2003年4月6日、鈴鹿。
ファンやマスコミが『近い将来、世界チャンピオンが狙える選手』として富沢選手より先に注目されていた日本人ライダーがいた。
『加藤大治郎』
まさに天才ライダーで、いつ世界チャンピオンになってもおかしくない選手だった。
その年の開幕戦が2003年4月6日。場所は鈴鹿。その3週目、彼は突然バランスを崩し、壁に激突した。その激突の仕方が、嫌な感じがした。
病院に搬送され意識不明の状態が2週間ほど続いたが、4月20日未明、脳幹梗塞のため夭折する。26歳だった・・・
その日、悲しくて悔しくて、泣きながら友人と電話をしたのを覚えてる。
その時と同じような嫌な感じがした。
でもTVではサーキット内のメディカルセンターに運ばれたと言っていたので、よくある転倒だったんだなと思いなおし、TVを観ていた。
しかし、現地時間14時20分(日本時間21時20分)に死亡が確認されたというニュースを目にするのはすぐだった。
まだ19歳という若さだった・・・。
ショックだった。また友人と泣きながらメールをしていた。さらにショックだったのは、ニュースの扱いの小ささだった。
民主党の件や、押尾学のニュースがあったから、仕方がないとはいえ、やはり日本ではマイナーなんだなと思った。
この日記を読んでくれる方の多くが、彼の事を知らないか、このニュースで初めて知った人だと思う。オートバイレースになんて興味すらない人の方が多いと思います。
ただ、2003年に亡くなった『加藤大治郎』選手や、レース中ではなかったが2007年、事故で亡くなったその加藤選手より前に世界から注目されていた『阿部典史』選手。
そして今回の『富沢祥也』選手。世界の舞台で活躍した日本人がいたという事は、よかったら知っておいて欲しいと思い、日記を書いてみました。
そしてもしよかったら、10月3日。この日はMotoGPの日本グランプリが開催されます。
流石に生放送はないと思いますが、チェックしてみてください。
ゼッケンが48ということで、AKB48にも興味があり、中でも特に好みだという板野友美がその日本グランプリでは富沢のグリッドガールを務めることが決定し、喜んでいた19歳の彼の映像が忘れられない僕デシタ。
サッカーや野球といったメジャーなものから、プロレスや格闘技といったどちらかと言えばマイナーなものまで、結構幅広く観る。
その中でマイナーな部類に入るであろうモータースポーツも結構好きだ。仮面ライダーとかが好きな僕は、オートバイのレースは、単純にカッコ良くて好きなのだ。
現在、そのオートバイレースの最高峰であるMotoGPは、日曜の深夜に放送される。
僕には楽しみにしている選手がいた。
MotoGPには、Moto2というカテゴリーが出来た(正確にいえば完全に移行するのは来年だが)。
最初、この新しいカテゴリーのルールがあまり好きではなく、あまり注目していなかった。
しかし、そのMoto2クラスの初戦、歴史上初めてのレース。そのレースで優勝したのは、日本人だった事で俄然、興味がでてきた。
彼の名前は『富沢祥也』。
「久しぶりに、世界チャンピオンを狙える選手がでてきた!」
僕だけではなく、ファンもマスコミもそう感じたはずだ。
9月5日。僕はMotoGPをTVで観ていた。富沢選手は初戦以降は、なかなか結果がでてなかったが、この日はトップ争いをしていて、一時期はトップを走っていた。
12周目。富沢選手はカーブでバランスを崩し転倒。後続のバイク2台にも接触してしまった。
モータースポーツは、クラッシュはつきものでもある。特にオートバイは4輪以上によくある。それが順位争をドラマチックにしている側面もあるとは思うので、レースでの転倒シーンはよくある光景として観ていた自分がいる。
しかし、その時の富沢選手の転倒の時、嫌な感じがした。以前にも感じた嫌な感じだ。2003年の鈴鹿グランプリの映像を観た時と同じような・・・
2003年4月6日、鈴鹿。
ファンやマスコミが『近い将来、世界チャンピオンが狙える選手』として富沢選手より先に注目されていた日本人ライダーがいた。
『加藤大治郎』
まさに天才ライダーで、いつ世界チャンピオンになってもおかしくない選手だった。
その年の開幕戦が2003年4月6日。場所は鈴鹿。その3週目、彼は突然バランスを崩し、壁に激突した。その激突の仕方が、嫌な感じがした。
病院に搬送され意識不明の状態が2週間ほど続いたが、4月20日未明、脳幹梗塞のため夭折する。26歳だった・・・
その日、悲しくて悔しくて、泣きながら友人と電話をしたのを覚えてる。
その時と同じような嫌な感じがした。
でもTVではサーキット内のメディカルセンターに運ばれたと言っていたので、よくある転倒だったんだなと思いなおし、TVを観ていた。
しかし、現地時間14時20分(日本時間21時20分)に死亡が確認されたというニュースを目にするのはすぐだった。
まだ19歳という若さだった・・・。
ショックだった。また友人と泣きながらメールをしていた。さらにショックだったのは、ニュースの扱いの小ささだった。
民主党の件や、押尾学のニュースがあったから、仕方がないとはいえ、やはり日本ではマイナーなんだなと思った。
この日記を読んでくれる方の多くが、彼の事を知らないか、このニュースで初めて知った人だと思う。オートバイレースになんて興味すらない人の方が多いと思います。
ただ、2003年に亡くなった『加藤大治郎』選手や、レース中ではなかったが2007年、事故で亡くなったその加藤選手より前に世界から注目されていた『阿部典史』選手。
そして今回の『富沢祥也』選手。世界の舞台で活躍した日本人がいたという事は、よかったら知っておいて欲しいと思い、日記を書いてみました。
そしてもしよかったら、10月3日。この日はMotoGPの日本グランプリが開催されます。
流石に生放送はないと思いますが、チェックしてみてください。
ゼッケンが48ということで、AKB48にも興味があり、中でも特に好みだという板野友美がその日本グランプリでは富沢のグリッドガールを務めることが決定し、喜んでいた19歳の彼の映像が忘れられない僕デシタ。