大正時代の話です。
ある仏教の布教使が、寺で説法していた時のことでした。
大の仏教嫌いだった村の小学校長が話を聞きに来ていました。
「仏教は、すべての人間は悪人であると説くから気に入らん!
有名な僧侶が来るなら、一度行って、懲らしめてやろう!」
そう思って、参加していたわけです。
そうとは知らない布教使は、いつものように、
「仏さまの眼から、ごらんになれば、善人は一人もありません。皆、悪人なのですよ」
と話をしました。
話の後、控室を訪ねた校長は、早速、
「あなたは今、人間は皆悪人と説法されましたが、まことに困ります。
そんなことを認めたら、教師も皆悪人ということになり、教育が成り立たんではありませんか。
今後、かようなことは言わないようにしてもらいたい」
と、カンカンになって抗議しました。
すると布教使は、即座に校長の下座に下がり、土下座して謝りました。
「いやぁ、これは、あなたのような方がお参りとはつゆ知らず、とんでもないことを申し上げました。
何とぞご容赦ください」
あまりに意外な反応に、校長はビックリ。
なにしろ、この布教使は、大正の一休とまでいわれた人。
歯に、きぬ着せぬ物言いをする人が、ひと言の反論もせずに謝り果てているのですから、薄気味悪い。
「まあまあ、そんなにまでしてもらわなくても、あのような説教さえ、してもらわねばよいのです」
そう言って校長は、早々に退散しようとしました。
「じゃあ、私はこれで」
靴を履き、校長が玄関を去ろうとした時、
「先生、ちょっとお待ちください」。
布教使が声をかけた。
「何か?」
「先ほどあなたは、この世には善人もいれば悪人もいると言われましたな」
「はい、そう申しました」
「では校長先生、一つお尋ねしますが、あなたご自身は、その善人でいらっしゃいますか。それとも悪人でいらっしゃいますか?」
答えにくい質問です。今更、悪人とは言えません。
かといって、善人と答えるのもはばかられます。
校長が返答に窮していると、
「他人のことを聞いているのではありません。あなた自身のことです。
なぜ答えられないのですか?
なら質問を変えましょう。あなたは学校で、うそは善だと教えられていますか。悪だと教えておられますか」
「もちろん、うそは泥棒の始まり。悪いことだと教えています」
「では校長先生は、これまでにうそをつかれたことはありませんか?」
校長ならずとも、だれにも身に覚えのあることです。
「では、喧嘩はどうですか?善悪、いずれだと教えられますか」
「悪に決まっています」
「では、校長先生は今までに夫婦喧嘩をなされたことは一度もないのでしょうか?」
これまた日常茶飯事。
「生き物を殺すことは、いかがですか?子供たちに善だと教えますか。悪だと教えますか」
「言うまでもない。悪だと教えます」
「それならば、あなたは、一切生き物を殺しておられないのですか。また、肉や魚は食べられないのですか?」
「それは……」
力なく答える校長に、その布教使は、
「それならばあなたは、うそも喧嘩も殺生も、皆、悪だと知りつつ、毎日それを繰り返しているのではありませんか?」
日常、何とも思わずに重ねている悪を一つ一つ指摘されるうちに、さすがの校長も反省の心が起きてきました。
ついには玄関に座り込み、
「先ほどは座敷で失礼なことを申し上げてしまいました。
よくよく考えてみると、気づかぬところでどれだけの悪を造っているかしれません。ご無礼をお許しください」
と謝ったといいます。
一つのエピソードですが、いろいろ考えさせられます。
善いのも悪いのも自分が受けた結果は、すべて自分の蒔いたタネが引き起こしたもの。
悪い結果を受けたときは、
「そんな悪い種を蒔いた覚えはないけどなぁ……」
という思いが出てくるのですが、この布教使と校長先生の話を教えてもらって、
自覚なしに悪いタネをたくさん蒔いているのだなぁ、ということを思いました。
◆ つぶやき ◆
今朝は、けっこうな雪が積もっておりました。
昼には太陽が出て、路面の雪もかなり解けましたが、まだまだ今週は雪が続きます。
さて、昨晩、NHKスペシャルで、「なぜ人間になれたのか」という番組をやっていた。
その中で「人間は、他人の痛みを不快に思う仕組みがある」という説明がありました。
例えば被験者に、男性が女性にビンタされている映像を見せると、脳では「不快」を感じる部分が反応する。
ところが、この被験者に、あることを伝えた上で、同様の映像を見せると、まったく逆の反応を見せる、という。
その「あること」とは……?
「あの男は、彼女にひどいことをしたんだ」
こう伝えた上で、被験者に、男性が女性にビンタされる映像を見せると、「快感」を覚える反応を示した、という。
これは、人間が、集団で生きるために生まれた機能だという説明だった。
何万年も前の人類において、規律が存在し、ルールを守らない者を罰していた、というのは驚きました。
人間が集団で生きていくために生まれた脳の機能……。
なるほどなぁ、と思いました。
今の社会が成り立っているのも、そういう脳の機能があるからだな、と思います。
では、また☆
ある仏教の布教使が、寺で説法していた時のことでした。
大の仏教嫌いだった村の小学校長が話を聞きに来ていました。
「仏教は、すべての人間は悪人であると説くから気に入らん!
有名な僧侶が来るなら、一度行って、懲らしめてやろう!」
そう思って、参加していたわけです。
そうとは知らない布教使は、いつものように、
「仏さまの眼から、ごらんになれば、善人は一人もありません。皆、悪人なのですよ」
と話をしました。
話の後、控室を訪ねた校長は、早速、
「あなたは今、人間は皆悪人と説法されましたが、まことに困ります。
そんなことを認めたら、教師も皆悪人ということになり、教育が成り立たんではありませんか。
今後、かようなことは言わないようにしてもらいたい」
と、カンカンになって抗議しました。
すると布教使は、即座に校長の下座に下がり、土下座して謝りました。
「いやぁ、これは、あなたのような方がお参りとはつゆ知らず、とんでもないことを申し上げました。
何とぞご容赦ください」
あまりに意外な反応に、校長はビックリ。
なにしろ、この布教使は、大正の一休とまでいわれた人。
歯に、きぬ着せぬ物言いをする人が、ひと言の反論もせずに謝り果てているのですから、薄気味悪い。
「まあまあ、そんなにまでしてもらわなくても、あのような説教さえ、してもらわねばよいのです」
そう言って校長は、早々に退散しようとしました。
「じゃあ、私はこれで」
靴を履き、校長が玄関を去ろうとした時、
「先生、ちょっとお待ちください」。
布教使が声をかけた。
「何か?」
「先ほどあなたは、この世には善人もいれば悪人もいると言われましたな」
「はい、そう申しました」
「では校長先生、一つお尋ねしますが、あなたご自身は、その善人でいらっしゃいますか。それとも悪人でいらっしゃいますか?」
答えにくい質問です。今更、悪人とは言えません。
かといって、善人と答えるのもはばかられます。
校長が返答に窮していると、
「他人のことを聞いているのではありません。あなた自身のことです。
なぜ答えられないのですか?
なら質問を変えましょう。あなたは学校で、うそは善だと教えられていますか。悪だと教えておられますか」
「もちろん、うそは泥棒の始まり。悪いことだと教えています」
「では校長先生は、これまでにうそをつかれたことはありませんか?」
校長ならずとも、だれにも身に覚えのあることです。
「では、喧嘩はどうですか?善悪、いずれだと教えられますか」
「悪に決まっています」
「では、校長先生は今までに夫婦喧嘩をなされたことは一度もないのでしょうか?」
これまた日常茶飯事。
「生き物を殺すことは、いかがですか?子供たちに善だと教えますか。悪だと教えますか」
「言うまでもない。悪だと教えます」
「それならば、あなたは、一切生き物を殺しておられないのですか。また、肉や魚は食べられないのですか?」
「それは……」
力なく答える校長に、その布教使は、
「それならばあなたは、うそも喧嘩も殺生も、皆、悪だと知りつつ、毎日それを繰り返しているのではありませんか?」
日常、何とも思わずに重ねている悪を一つ一つ指摘されるうちに、さすがの校長も反省の心が起きてきました。
ついには玄関に座り込み、
「先ほどは座敷で失礼なことを申し上げてしまいました。
よくよく考えてみると、気づかぬところでどれだけの悪を造っているかしれません。ご無礼をお許しください」
と謝ったといいます。
一つのエピソードですが、いろいろ考えさせられます。
善いのも悪いのも自分が受けた結果は、すべて自分の蒔いたタネが引き起こしたもの。
悪い結果を受けたときは、
「そんな悪い種を蒔いた覚えはないけどなぁ……」
という思いが出てくるのですが、この布教使と校長先生の話を教えてもらって、
自覚なしに悪いタネをたくさん蒔いているのだなぁ、ということを思いました。
◆ つぶやき ◆
今朝は、けっこうな雪が積もっておりました。
昼には太陽が出て、路面の雪もかなり解けましたが、まだまだ今週は雪が続きます。
さて、昨晩、NHKスペシャルで、「なぜ人間になれたのか」という番組をやっていた。
その中で「人間は、他人の痛みを不快に思う仕組みがある」という説明がありました。
例えば被験者に、男性が女性にビンタされている映像を見せると、脳では「不快」を感じる部分が反応する。
ところが、この被験者に、あることを伝えた上で、同様の映像を見せると、まったく逆の反応を見せる、という。
その「あること」とは……?
「あの男は、彼女にひどいことをしたんだ」
こう伝えた上で、被験者に、男性が女性にビンタされる映像を見せると、「快感」を覚える反応を示した、という。
これは、人間が、集団で生きるために生まれた機能だという説明だった。
何万年も前の人類において、規律が存在し、ルールを守らない者を罰していた、というのは驚きました。
人間が集団で生きていくために生まれた脳の機能……。
なるほどなぁ、と思いました。
今の社会が成り立っているのも、そういう脳の機能があるからだな、と思います。
では、また☆