「10万分の1」
これは、1986年当時、
スペースシャトルが打ち上げに失敗する確率を示した数字。
300年間、毎日、打ち上げても
1度しか失敗しないという確率だそうです。
その年の1月、打ち上げられたスペースシャトルが
「チャレンジャー」でした。
「50億分の1」
「隕石に当たるような確率」などと言われたこの数字は、
日本の原発が事故を起こす確率を示した数字。
1500万年の間に1度しか起きない事故が起きたことになります。
(数字は6/25の朝日新聞『天声人語』より)
「安全です」
「大丈夫です」
「滅多なことはないんです」
ということで、数値まで出して示しても、
失敗したり、事故を起こしたりしてますから、
この世に「絶対大丈夫」ということはないのだな、
ということがわかります。
親鸞聖人の言葉に、
「火宅無常の世界は、よろずのこと皆もって
そらごと・たわごと、まことあることなし」
とあります。
『歎異抄』の有名な言葉です。
“火宅”は、火のついた家のこと。
私たちの人生を言われたものです。
隣家が火事で、自分の家の軒先に燃え移ってきた場面、
その家の中にいる人の心境を想像してみてください。
「今、ご飯を食べてるところなんで、火を消すのは
ごちそうさまをしてからにしよっと」
とか、
「ちょっとトイレに行きたくなったから、
用を済ませてから…」
みたいなノンキなことは言っておれません。
「どうしよう!どうしよう!」
と居ても立ってもいられず、不安で仕方ないと思います。
そんな「火宅」のようなところが人生だと
仏教で教えられます。
どんな数字を見せられたって、
「絶対」はないから、結局、安心できないんです。
「確率がこんなに低いんですよ」
とデータを示されても、
そらごと・たわごと、まことあることない世の中のことです。
「それなら安心だ」
と思っていたら、とんでもないことでしょう。
あてになるものが何もない不安な世の中は、
時代が変わり、どれだけ社会が変化しても、
変わらないことを、仏教の言葉から、
しみじみ知らされます。
◆ ひとりごと ◆
今回の震災について、
イギリスの『ザ・タイムス』東京支局長の言葉が紹介されていました。
「なぜ忍耐強くいられるのかと尋ねたとき、
彼ら(日本人)は『仕方がない』と口々に言いました。
この言葉は普段聞くと、諦めのようなニュアンスがありますが、
しかし彼らは希望を持ってこの言葉を使っていたように思います」
「仕方がない」という言葉を希望を持って使うってどういうことか、
ちょっと考えてしまいます。
しかし、これは現実を受け入れて、
そこから努力を始めようとする気持ちの表れと受け取れます。
「あきらめる」という日本語も、
後ろ向きなようで実は前向きな言葉なんです。
「あきらめる」の語源は、
「諦観(諦らかに観る=アキラカニミル)」という仏教の言葉。
蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える。
この因果の道理を「アキラカニミル」という意味です。
原因なくして結果なし。
人生には悲しいこと、つらいことは絶えませんが、
その原因を明らかに見て反省、向上し、
何度でも立ち上がる。
仏教の人生観、諦観(アキラカニミル)とは、
そういうたくましいものなんです。
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これは、1986年当時、
スペースシャトルが打ち上げに失敗する確率を示した数字。
300年間、毎日、打ち上げても
1度しか失敗しないという確率だそうです。
その年の1月、打ち上げられたスペースシャトルが
「チャレンジャー」でした。
「50億分の1」
「隕石に当たるような確率」などと言われたこの数字は、
日本の原発が事故を起こす確率を示した数字。
1500万年の間に1度しか起きない事故が起きたことになります。
(数字は6/25の朝日新聞『天声人語』より)
「安全です」
「大丈夫です」
「滅多なことはないんです」
ということで、数値まで出して示しても、
失敗したり、事故を起こしたりしてますから、
この世に「絶対大丈夫」ということはないのだな、
ということがわかります。
親鸞聖人の言葉に、
「火宅無常の世界は、よろずのこと皆もって
そらごと・たわごと、まことあることなし」
とあります。
『歎異抄』の有名な言葉です。
“火宅”は、火のついた家のこと。
私たちの人生を言われたものです。
隣家が火事で、自分の家の軒先に燃え移ってきた場面、
その家の中にいる人の心境を想像してみてください。
「今、ご飯を食べてるところなんで、火を消すのは
ごちそうさまをしてからにしよっと」
とか、
「ちょっとトイレに行きたくなったから、
用を済ませてから…」
みたいなノンキなことは言っておれません。
「どうしよう!どうしよう!」
と居ても立ってもいられず、不安で仕方ないと思います。
そんな「火宅」のようなところが人生だと
仏教で教えられます。
どんな数字を見せられたって、
「絶対」はないから、結局、安心できないんです。
「確率がこんなに低いんですよ」
とデータを示されても、
そらごと・たわごと、まことあることない世の中のことです。
「それなら安心だ」
と思っていたら、とんでもないことでしょう。
あてになるものが何もない不安な世の中は、
時代が変わり、どれだけ社会が変化しても、
変わらないことを、仏教の言葉から、
しみじみ知らされます。
◆ ひとりごと ◆
今回の震災について、
イギリスの『ザ・タイムス』東京支局長の言葉が紹介されていました。
「なぜ忍耐強くいられるのかと尋ねたとき、
彼ら(日本人)は『仕方がない』と口々に言いました。
この言葉は普段聞くと、諦めのようなニュアンスがありますが、
しかし彼らは希望を持ってこの言葉を使っていたように思います」
「仕方がない」という言葉を希望を持って使うってどういうことか、
ちょっと考えてしまいます。
しかし、これは現実を受け入れて、
そこから努力を始めようとする気持ちの表れと受け取れます。
「あきらめる」という日本語も、
後ろ向きなようで実は前向きな言葉なんです。
「あきらめる」の語源は、
「諦観(諦らかに観る=アキラカニミル)」という仏教の言葉。
蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える。
この因果の道理を「アキラカニミル」という意味です。
原因なくして結果なし。
人生には悲しいこと、つらいことは絶えませんが、
その原因を明らかに見て反省、向上し、
何度でも立ち上がる。
仏教の人生観、諦観(アキラカニミル)とは、
そういうたくましいものなんです。
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