よく奥さん同士、井戸端会議で、

「うちの旦那は……」

と話していますが、この「旦那」は、仏教の言葉です。


昔のインドでは、「布施の行」のことを「ダーナ」と言って、

それを音訳したものが「檀那」(だんな)。


今は「旦那」と書くのが一般的なようです。

やがてそれが「布施をする人」の意味になりました。

臓器提供者のことを「ドナー」と言いますが、「ダーナ」と語源は同じようです。


ということで、「旦那」は、「布施をする人」ということになりますね。


「布施」とは、恩を受けた人や困っている人に、

物やお金、時間や体力を施すこと。

平たくいえば「親切」です。


笑顔や挨拶も布施として教えられています。


主人のことを「旦那」と呼ぶようになったのは、

家庭に、仕事で稼いだお金を入れてくれるから?


今は共働きも多いし、場合によっては

奥さんの方が収入が多かったり……。

そうなると、奥さんが旦那??


でも、ここで大切なのは、呼び方よりも中身。

与える喜びを知っている本当の意味での「旦那」になりたいものです。


布施は、「相手に喜んでほしい、幸せになってほしいと願う心」でするものです。

仕方なく、いやいや施すのは「布施」とは言いません。

また、見返りを期待して施すのも「布施」とは言われません。


そうは言っても、人にお金や物を施す、というと、

自分の手元からお金や物がなくなるので、損するような気がします。

どう思えば良いのでしょう?


お釈迦さまは、布施をする相手を、田んぼと思いなさい、と教えておられます。


春、田んぼに苗を植える時、

「せっかく育てた苗を、植えてしまったら手元になくなって損だ」

なんて思う人はありませんよね。


秋にできるたくさんのお米は、全部、自分のものになるのですから、

損するどころか、何倍にもなって返ってきます。


同じように、施しをすれば、施しをした本人が、

施した何倍もの“幸せ”という結果を受けることになるのです。


仏教ではこれを「自利利他」(じりりた)と教えられています。

相手の幸せが、そのまま自分の幸せになるということです。


お金が欲しい、物が欲しい、

誉められたい、認められたい、

ああなりたい、こうなりたい……、

欲しい、欲しいと自分の欲を満たすことばかりを考えている人は、

たとえ姿は大人でも、心は餓鬼で、

苦しみ悩みが絶え間なくやってきます。


相手を幸せにするままが、自分の幸せになる自利利他の道を進む人は、

与える喜びを知った人でしょう。


「旦那」と呼ばれる人はたくさんいますが、

本当の意味で「旦那」と呼べる人は、

果たしてどれだけいるでしょうか?


お釈迦様は、

「幸せになりたければ、相手に与えることを考えなさい。

 もらうこと、取ることばかり考えていたら

 不幸になりますよ」

と教えられているのです。


他人を幸せにするままが、自分の幸せとなる。

他人も生かし、自分も生きる。

これが自利利他の道です。


◆ ひとりごと ◆


今日もまた、蒸し暑い一日でした。

皆さん、お身体は大丈夫でしょうか?

今年は、節電で夏の暑さを乗り切らないといけないから

さて、どうしようか、と思っています。

これまでどうしていただろうか?

と振り返ってみると、たいてい、

「暑さを忘れる」

ことで乗り切ってきたように思います。

暑くても、目の前のことに集中すると、

暑さを忘れていたりします。

暑くても、寝ることに集中すると、

寝てしまっています。

ただ、暑さを忘れても、体は冷却機能を働かせて

汗をかきますから、水分補給はまめにすることが大事です。

「そんなこと出来るか!」

と言われそうですが、1つのことに集中すると、

暑さは気になりません。

でも、集中するまでが、大変なんですが…(笑)



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