ぴょんたのひまわり日記・昭和50年ロンドン生まれの仏教講師です-お仏花


今回は、仏様にお供えするお花についての話です。

お花は、お仏壇の向かって左側にお供えします。

仏様にお供えするお花を「お仏花(ぶっか)」と言います。


このお仏花にはどんな意味があるのでしょうか。

お花を飾ると、自然と心が和んで、ほっとしますね。

花は私たちに喜び、幸せを与える働きがあるように、

お仏花は、阿弥陀仏という仏様の“慈悲”を表しています。


“慈悲”とは、どんな心でしょうか?

「慈」も「悲」も字の中に「心」がありますから、心のことです。


まず「慈」は「抜苦(ばっく:苦を抜いてやりたい)」の心です。

自分の子供が腹痛で泣いていたら、親は何とかして治してやりたいと思います。

震災で何もかも失って悲しみに暮れている方に、

何とか支援を、という心が起きてきます。

病気で苦しむ患者を助けたいと医師が努めるのも、

気の毒な人を放っておけない、どうにか苦悩を抜いてあげたい

という「慈」の心からです。


「悲」とは「与楽(よらく:楽しみ、喜びを与えたい)」の心です。

好きな物を与えて子供の喜ぶ顔が見たいという親心、

皆に感動と勇気を、というスポーツ選手の心も「悲」でしょう。


日常生活で、

「あの人は慈悲深い人だ」

「無慈悲な人だ」

と、慈悲という言葉を使います。

「あいつはどうにもならん」

と周り中から見放された人でも見捨てず、同情し、

救いの手を差し伸べる人があれば、慈悲深い人だと思うでしょう。

反対に、自分さえよければ他人はどうでもいいと、

困っている人を見ながら素通りする人があれば、無慈悲な人だと思います。


仏様の慈悲は、

「衆生(しゅじょう)苦悩 我(が)苦悩

 衆生(しゅじょう)安楽 我(が)安楽」

といわれます。

衆生(私たち)の苦しみ悩みが、仏様の苦しみであり、

衆生(私たち)の幸せを自分の喜びとされるのが仏の慈悲、大慈悲と言われます。


そのような仏様の慈悲の心を表わしているのが“お仏花”なんですね。

お仏花は四季折々の新鮮な花をお供えして、

バランスよく生けるようにしましょう。


◆ ひとりごと ◆


沖縄は、もう梅雨明けしたんですね。

あまりの早さにビックリです。

富山は、今日は28度。

湿度も高くて余計に暑く感じました。


今日は、こんな話を紹介しましょう。


江戸時代、白隠(はくいん)という禅僧がいた。

器量の良い酒屋の娘が、未婚なのに妊娠した。

噂は広まり、父親は娘を強く責めた。

娘は、生き仏といわれる白隠の子だと言えば、

穏便に収まるだろうと、

「実は、白隠さんのお種です」

と打ち明けた。ところが、それを聞いて父親は激怒。

土足で寺へ踏み込み、怒鳴り散らして、最後に養育費を催促した。

しかし、さすが白隠。

「ああ、そうであったか」

と言いながら若干の養育費を渡した。

白隠はたちまちニセ坊主扱い。

聞くに堪えない悪口にも、

「謗る者をして謗らしめよ、言う者をして言わしめよ。

 言うことは他のことである。受ける受けざるは我のことである」

と白隠は少しも心にとどめない。

思いもよらぬ反響に苦しんだ酒屋の娘は、ついに真相を親に白状。

二度びっくりの親は、早速、娘を連れて寺へ行き謝罪。

「ああ、そうであったか」

白隠は、その時もそう言ってうなずいただけだった。


『光に向かって123のこころのタネ』に紹介されている話です。


最後に、このように結ばれています。


誠実安穏に暮らしていても時として、

あらぬウワサや中傷に驚き、悩み苦しみ腹立つことがある。

しかし、やがて時の流れが洗い出す事実は、

名人の打つ太鼓のように遠く世に響くのである。


「過去にも、今にも、未来にも

 皆にて謗る人もなく

 皆にて褒むる人もなし」 (法句経)


お釈迦様の言葉です。

明日は、滑川市で仏教勉強会。

明後日は、高岡市での勉強会で話をします。



* 仏教から学べるたった一つのことがわかる勉強会の案内です。

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