
今回は、仏様にお供えするお花についての話です。
お花は、お仏壇の向かって左側にお供えします。
仏様にお供えするお花を「お仏花(ぶっか)」と言います。
このお仏花にはどんな意味があるのでしょうか。
お花を飾ると、自然と心が和んで、ほっとしますね。
花は私たちに喜び、幸せを与える働きがあるように、
お仏花は、阿弥陀仏という仏様の“慈悲”を表しています。
“慈悲”とは、どんな心でしょうか?
「慈」も「悲」も字の中に「心」がありますから、心のことです。
まず「慈」は「抜苦(ばっく:苦を抜いてやりたい)」の心です。
自分の子供が腹痛で泣いていたら、親は何とかして治してやりたいと思います。
震災で何もかも失って悲しみに暮れている方に、
何とか支援を、という心が起きてきます。
病気で苦しむ患者を助けたいと医師が努めるのも、
気の毒な人を放っておけない、どうにか苦悩を抜いてあげたい
という「慈」の心からです。
「悲」とは「与楽(よらく:楽しみ、喜びを与えたい)」の心です。
好きな物を与えて子供の喜ぶ顔が見たいという親心、
皆に感動と勇気を、というスポーツ選手の心も「悲」でしょう。
日常生活で、
「あの人は慈悲深い人だ」
「無慈悲な人だ」
と、慈悲という言葉を使います。
「あいつはどうにもならん」
と周り中から見放された人でも見捨てず、同情し、
救いの手を差し伸べる人があれば、慈悲深い人だと思うでしょう。
反対に、自分さえよければ他人はどうでもいいと、
困っている人を見ながら素通りする人があれば、無慈悲な人だと思います。
仏様の慈悲は、
「衆生(しゅじょう)苦悩 我(が)苦悩
衆生(しゅじょう)安楽 我(が)安楽」
といわれます。
衆生(私たち)の苦しみ悩みが、仏様の苦しみであり、
衆生(私たち)の幸せを自分の喜びとされるのが仏の慈悲、大慈悲と言われます。
そのような仏様の慈悲の心を表わしているのが“お仏花”なんですね。
お仏花は四季折々の新鮮な花をお供えして、
バランスよく生けるようにしましょう。
◆ ひとりごと ◆
沖縄は、もう梅雨明けしたんですね。
あまりの早さにビックリです。
富山は、今日は28度。
湿度も高くて余計に暑く感じました。
今日は、こんな話を紹介しましょう。
江戸時代、白隠(はくいん)という禅僧がいた。
器量の良い酒屋の娘が、未婚なのに妊娠した。
噂は広まり、父親は娘を強く責めた。
娘は、生き仏といわれる白隠の子だと言えば、
穏便に収まるだろうと、
「実は、白隠さんのお種です」
と打ち明けた。ところが、それを聞いて父親は激怒。
土足で寺へ踏み込み、怒鳴り散らして、最後に養育費を催促した。
しかし、さすが白隠。
「ああ、そうであったか」
と言いながら若干の養育費を渡した。
白隠はたちまちニセ坊主扱い。
聞くに堪えない悪口にも、
「謗る者をして謗らしめよ、言う者をして言わしめよ。
言うことは他のことである。受ける受けざるは我のことである」
と白隠は少しも心にとどめない。
思いもよらぬ反響に苦しんだ酒屋の娘は、ついに真相を親に白状。
二度びっくりの親は、早速、娘を連れて寺へ行き謝罪。
「ああ、そうであったか」
白隠は、その時もそう言ってうなずいただけだった。
『光に向かって123のこころのタネ』に紹介されている話です。
最後に、このように結ばれています。
誠実安穏に暮らしていても時として、
あらぬウワサや中傷に驚き、悩み苦しみ腹立つことがある。
しかし、やがて時の流れが洗い出す事実は、
名人の打つ太鼓のように遠く世に響くのである。
「過去にも、今にも、未来にも
皆にて謗る人もなく
皆にて褒むる人もなし」 (法句経)
お釈迦様の言葉です。
明日は、滑川市で仏教勉強会。
明後日は、高岡市での勉強会で話をします。
* 仏教から学べるたった一つのことがわかる勉強会の案内です。
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