運命とは不思議なものです。
ほんの些細なことが、その後の人生を
大きく左右したりします。
楽しいこと、うれしいことなら大歓迎ですが、
思いもよらない苦しいことやつらいことは
出来ることなら避けたいものです。
お釈迦様は、私たちの運命の原因と結果の関係について
善い行為は善い運命を生み出す
悪い行為は悪い運命を引き起こす
自分のやった行為は、すべて自分に返ってくる
と教えられました。
善い結果が現れたときは、
「あのとき、がんばったから」
「苦労した甲斐があったなぁ」
と、それまでの自分の努力をふり返り、
喜ぶことができます。
ところが、悪い結果が起きたときは、
善い結果の時と同じようには受け入れられないものです。
「どうして自分がこんな目に…」
「自分が何をしたというんだ」
「こんなことになったのは、あいつのせいだ」
と、目が外を向きがちです。
しかし、善いのも、悪いのも、
すべては自分の蒔いたタネ。
例外はありません。
このことは昔から、いろいろなことわざで、
教えられています。
■禍福(かふく)門なし唯(ただ)人の招く所
幸福と不幸は、やってくる門があらかじめ決まっているわけではなく、
その人自身が招くものである。
■爾(なんじ)に出づる者は爾(なんじ)に反(かえ)る
自分の身から出た行為の報いは、よいことでも悪いことでも、
いずれは自分自身に返ってくるということ。
■仇(あだ)も情けも我が身より出る
人から憎まれたり愛されたりするのは、
みな自分の心がけや行いから出たもの。
■蒔かぬ種は生えぬ
原因のない所に結果はない。
何も働き掛けをしていないのに、良い報いを期待しても得られる道理がない。
■因果応報
良い行為をした人に対しては良い報いがあり、
悪い行為をした人に対しては悪い報いがある。
これだけ言われても、
それでもスッキリしないものが残る人もあるでしょう。
事実、良いことをしているつもりが、悪い結果が返ってきたり、
何かをした自覚もないのに、思いもよらない不幸な結果を受けたり。
反対に、たいした努力もしていないのに、恵まれている人がいて、
自分と大違いだ、と思ったり。
「世の中、おかしい!」
と言いたくなることが、実にたくさんあるからではないでしょうか。
「善いことをして、本当に良い結果がくるの?」
「悪いことをしたって、悪い結果が来ないこともあるんじゃないの?」
そんな思いがあるからかもしれません。
善い種を蒔いて、悪い結果が起きる、
悪いことをしても結果が現れないこともある、
そんなことは絶対にありません。
次回もつづけたいと思います。
◆ ひとりごと ◆
今、金の高値が続いている。
1グラム4000円を超えたとのニュースもありました。
これは10年前の3倍前後。
その魅力に引かれてかどうか、台湾のある観光地では、
砂金採取がブームになっているそうです。
川底の砂を専用の「皿」に載せて水の中で揺すります。
比重の重い金は沈み、砂は浮いて流れます。
これを繰り返すうち、最後に小さな山吹色の輝きが残るというのです。
この根気の要る作業が「沙汰」の語源といわれます。
沙は〈砂〉、汰は〈選び分ける〉の意味。
一つのことを理解するにも、正しく理解するのは大変なこと。
自分の都合の良いように聞いてしまいがちです。
純粋に受け取っていないことが多いことを反省させられます。
本を読んだり、インターネットで情報を得たりすることが多い今日ですが、
自分にとって都合の良い情報には飛びつき、
都合の悪いことは読み飛ばしてしまうことがよくあります。
「至言は耳にさからう」とも言われるように、
本質を適切に言い表した言葉は、聞くものには耳が痛いものです。
また、それを正しく理解し、受け入れることはもっと大変でしょう。
都合の良いことばかりを求めていると、
その思いが理解を誤らせて、反対の結果になります。
その点、学校の授業は有難いもので、
自分が正しく理解しているかどうか、
先生や友達と“沙汰”をする時間があるのですから。
本当にそれをわかろうと思ったら、
聞いたことを自分がどう理解したか、
語り合って、より深く理解した人から教えてもらうことが
大切だと知らされます。
時に、議論となるかも知れませんが、
その末に得た理解は、大きな宝となるでしょう。
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ほんの些細なことが、その後の人生を
大きく左右したりします。
楽しいこと、うれしいことなら大歓迎ですが、
思いもよらない苦しいことやつらいことは
出来ることなら避けたいものです。
お釈迦様は、私たちの運命の原因と結果の関係について
善い行為は善い運命を生み出す
悪い行為は悪い運命を引き起こす
自分のやった行為は、すべて自分に返ってくる
と教えられました。
善い結果が現れたときは、
「あのとき、がんばったから」
「苦労した甲斐があったなぁ」
と、それまでの自分の努力をふり返り、
喜ぶことができます。
ところが、悪い結果が起きたときは、
善い結果の時と同じようには受け入れられないものです。
「どうして自分がこんな目に…」
「自分が何をしたというんだ」
「こんなことになったのは、あいつのせいだ」
と、目が外を向きがちです。
しかし、善いのも、悪いのも、
すべては自分の蒔いたタネ。
例外はありません。
このことは昔から、いろいろなことわざで、
教えられています。
■禍福(かふく)門なし唯(ただ)人の招く所
幸福と不幸は、やってくる門があらかじめ決まっているわけではなく、
その人自身が招くものである。
■爾(なんじ)に出づる者は爾(なんじ)に反(かえ)る
自分の身から出た行為の報いは、よいことでも悪いことでも、
いずれは自分自身に返ってくるということ。
■仇(あだ)も情けも我が身より出る
人から憎まれたり愛されたりするのは、
みな自分の心がけや行いから出たもの。
■蒔かぬ種は生えぬ
原因のない所に結果はない。
何も働き掛けをしていないのに、良い報いを期待しても得られる道理がない。
■因果応報
良い行為をした人に対しては良い報いがあり、
悪い行為をした人に対しては悪い報いがある。
これだけ言われても、
それでもスッキリしないものが残る人もあるでしょう。
事実、良いことをしているつもりが、悪い結果が返ってきたり、
何かをした自覚もないのに、思いもよらない不幸な結果を受けたり。
反対に、たいした努力もしていないのに、恵まれている人がいて、
自分と大違いだ、と思ったり。
「世の中、おかしい!」
と言いたくなることが、実にたくさんあるからではないでしょうか。
「善いことをして、本当に良い結果がくるの?」
「悪いことをしたって、悪い結果が来ないこともあるんじゃないの?」
そんな思いがあるからかもしれません。
善い種を蒔いて、悪い結果が起きる、
悪いことをしても結果が現れないこともある、
そんなことは絶対にありません。
次回もつづけたいと思います。
◆ ひとりごと ◆
今、金の高値が続いている。
1グラム4000円を超えたとのニュースもありました。
これは10年前の3倍前後。
その魅力に引かれてかどうか、台湾のある観光地では、
砂金採取がブームになっているそうです。
川底の砂を専用の「皿」に載せて水の中で揺すります。
比重の重い金は沈み、砂は浮いて流れます。
これを繰り返すうち、最後に小さな山吹色の輝きが残るというのです。
この根気の要る作業が「沙汰」の語源といわれます。
沙は〈砂〉、汰は〈選び分ける〉の意味。
一つのことを理解するにも、正しく理解するのは大変なこと。
自分の都合の良いように聞いてしまいがちです。
純粋に受け取っていないことが多いことを反省させられます。
本を読んだり、インターネットで情報を得たりすることが多い今日ですが、
自分にとって都合の良い情報には飛びつき、
都合の悪いことは読み飛ばしてしまうことがよくあります。
「至言は耳にさからう」とも言われるように、
本質を適切に言い表した言葉は、聞くものには耳が痛いものです。
また、それを正しく理解し、受け入れることはもっと大変でしょう。
都合の良いことばかりを求めていると、
その思いが理解を誤らせて、反対の結果になります。
その点、学校の授業は有難いもので、
自分が正しく理解しているかどうか、
先生や友達と“沙汰”をする時間があるのですから。
本当にそれをわかろうと思ったら、
聞いたことを自分がどう理解したか、
語り合って、より深く理解した人から教えてもらうことが
大切だと知らされます。
時に、議論となるかも知れませんが、
その末に得た理解は、大きな宝となるでしょう。
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