“どんな結果にも必ず原因がある”
これはいつの時代、どんな場所でも変わらない真理です。
地震も、
集団食中毒も、
八百長問題も、
どれも原因があってのことです。
金メダル獲得、
ノーベル賞受賞も、
もちろん原因あってのこと。
「結果には必ず原因がある」
当然のように思えることですが、
大切なことなので、確認をしておきたいと思います。
“どんな結果にも必ず原因がある”
これはいつでもどこでも成り立つ道理です。
私たちの幸福や不幸ということにも、
原因と結果の関係があります。
誰もが幸福を求めて生きています。
不幸は誰しも避けたいものです。
どうすれば幸福になれるのか?
なぜ不幸な運命は引き起こるのか?
すべての人の最大関心事といえるでしょう。
『ブッダの言葉』という本や、
手塚治虫の映画『ブッダ』など、
何かと注目のお釈迦様ですが、
そのお釈迦様は、私たちの運命の原因と結果の関係を、
善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
と教えられました。
善因善果とは、善い原因は善い結果を引き起こす
悪因悪果とは、悪い原因は悪い結果を引き起こす
ということです。
植物に例えて言えば、
大根の種を蒔けば、大根が出てくる。
スイカの種を蒔けば、スイカが出てくる、ということです。
大根の種を蒔いて、スイカが出てきたり、
スイカの種を蒔いて、大根が出てくることはありませんね。
蒔いたものと同じものしか生えてはきません。
大根の種を蒔きながら、何が出てくるかいなぁ?という農家の人はないし、
スイカが出てきたのを見て、「あの時、何のタネを蒔いたんだっけ?」と迷う人もないでしょう。
蒔いた種がわかれば、何が出てくるかわかります。
出てきたものを見れば、蒔いた種がわかります。
同じように、
善い種を蒔けば、善い結果が現れます。
悪い種を蒔けば、悪い結果が現れるのです。
善い種を蒔いて、悪い結果が起きたり、
悪い種を蒔いて、善い結果が現れることは絶対にありません。
一つの例外もないのです。
自因自果とは、
自分の蒔いた種は、自分が刈り取らねばならない、ということ。
他人の蒔いた種の結果が、私に現れる(他因自果)こともなければ、
私の蒔いた種の結果が、他の人に行く(自因他果)ということも
絶対にない、と教えられています。
「結果」とは“運命”のことですが、
その“運命”を生み出す“種”とは「行為」のことです。
私の運命のすべては、私のやった行為が生み出したもの。
私の未来の運命は、私の行為が生み出すもの。
もっと詳しいことは、次回に。
◆ ひとりごと ◆
各地が梅雨入りしてますね。
北陸もそろそろでしょうか。
今日は、こんな話を紹介しましょう。
若い夫婦がケンカして、涙ながらに妻が実家へ帰ると言い出した。
荷物をまとめる彼女に、
「ほれ、交通費だ」
と夫が投げ与えたカネを女房が数えて、
「これじゃ、片道分しかないじゃないの」
と言ったという話。
〝犬も食わない〟と言われるのが夫婦喧嘩。
何で「犬も食わない」のかなぁ?と思って調べてみました。
食えるものなら何でも食うはずの犬さえも食わない。
ひどく嫌われることのたとえ。
また、ばかばかしくて相手にする気になれないことのたとえ。
(デジタル大辞泉より)
どうせすぐ仲直りするんだから、仲裁に入るのは、
まことにもってバカバカしいということなのでしょう。
本心はどう思っているのか、考えせられます。
* mixi(森安のページです)
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これはいつの時代、どんな場所でも変わらない真理です。
地震も、
集団食中毒も、
八百長問題も、
どれも原因があってのことです。
金メダル獲得、
ノーベル賞受賞も、
もちろん原因あってのこと。
「結果には必ず原因がある」
当然のように思えることですが、
大切なことなので、確認をしておきたいと思います。
“どんな結果にも必ず原因がある”
これはいつでもどこでも成り立つ道理です。
私たちの幸福や不幸ということにも、
原因と結果の関係があります。
誰もが幸福を求めて生きています。
不幸は誰しも避けたいものです。
どうすれば幸福になれるのか?
なぜ不幸な運命は引き起こるのか?
すべての人の最大関心事といえるでしょう。
『ブッダの言葉』という本や、
手塚治虫の映画『ブッダ』など、
何かと注目のお釈迦様ですが、
そのお釈迦様は、私たちの運命の原因と結果の関係を、
善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
と教えられました。
善因善果とは、善い原因は善い結果を引き起こす
悪因悪果とは、悪い原因は悪い結果を引き起こす
ということです。
植物に例えて言えば、
大根の種を蒔けば、大根が出てくる。
スイカの種を蒔けば、スイカが出てくる、ということです。
大根の種を蒔いて、スイカが出てきたり、
スイカの種を蒔いて、大根が出てくることはありませんね。
蒔いたものと同じものしか生えてはきません。
大根の種を蒔きながら、何が出てくるかいなぁ?という農家の人はないし、
スイカが出てきたのを見て、「あの時、何のタネを蒔いたんだっけ?」と迷う人もないでしょう。
蒔いた種がわかれば、何が出てくるかわかります。
出てきたものを見れば、蒔いた種がわかります。
同じように、
善い種を蒔けば、善い結果が現れます。
悪い種を蒔けば、悪い結果が現れるのです。
善い種を蒔いて、悪い結果が起きたり、
悪い種を蒔いて、善い結果が現れることは絶対にありません。
一つの例外もないのです。
自因自果とは、
自分の蒔いた種は、自分が刈り取らねばならない、ということ。
他人の蒔いた種の結果が、私に現れる(他因自果)こともなければ、
私の蒔いた種の結果が、他の人に行く(自因他果)ということも
絶対にない、と教えられています。
「結果」とは“運命”のことですが、
その“運命”を生み出す“種”とは「行為」のことです。
私の運命のすべては、私のやった行為が生み出したもの。
私の未来の運命は、私の行為が生み出すもの。
もっと詳しいことは、次回に。
◆ ひとりごと ◆
各地が梅雨入りしてますね。
北陸もそろそろでしょうか。
今日は、こんな話を紹介しましょう。
若い夫婦がケンカして、涙ながらに妻が実家へ帰ると言い出した。
荷物をまとめる彼女に、
「ほれ、交通費だ」
と夫が投げ与えたカネを女房が数えて、
「これじゃ、片道分しかないじゃないの」
と言ったという話。
〝犬も食わない〟と言われるのが夫婦喧嘩。
何で「犬も食わない」のかなぁ?と思って調べてみました。
食えるものなら何でも食うはずの犬さえも食わない。
ひどく嫌われることのたとえ。
また、ばかばかしくて相手にする気になれないことのたとえ。
(デジタル大辞泉より)
どうせすぐ仲直りするんだから、仲裁に入るのは、
まことにもってバカバカしいということなのでしょう。
本心はどう思っているのか、考えせられます。
* 仏教のこと、親鸞聖人のことがわかる勉強会です。
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