世間に、自分を映す鏡が3枚あると考えられる、その第1は「他人鏡」です。

他人鏡とは、いったいどんな鏡なのでしょうか。


これは、他人の評価によって自分を知る鏡のことです。

他の人が自分をどう評価しているか、私たちはそのことに日々、気をつかい、神経をすり減らしています。

親は自分をどう思っているだろうか?

友だちは、私のことをどう評価しているか?

先生は?

会社の上司は?

同僚は?

良い評価を聞けば、舞い上がるようなうれしい気持ちになるし、

悪い評価を聞けば、食欲がなくなります。

「どうしてそんなふうに思われてるんだろう?」

と考え出すと、夜も寝られない、という人もあるでしょう。


それほど、“私”を知る大きな信頼を、他人鏡に寄せているからではないでしょうか。


しかし、鏡で重要なのは、ありのままの姿を映すかどうかです。

実際と異なる姿を映す鏡では使い物になりません。


果たして、他人鏡は、ありのままの自己を映す鏡なのでしょうか?

検証してみましょう。


私たちが「この人は善い人」「あの人は悪い人」と判断する基準は何でしょうか?


「今日ほめて 明日悪くいう 人の口

 泣くも笑うも ウソの世の中」

と詠ったのは、とんちで有名な一休です。


人間の価値判断は、いい加減なものです。

自分に都合のよいときは善人で、都合が悪くなれば悪人になります。

「昨日の味方は、今日は敵」といわれるのも、

お互いの都合がコロコロ変わるから起きる裏切りでしょう。


大学時代、私にとって良い先生とは、単位を簡単にくれる先生でした。

単位をなかなかくれない先生は、世間からの評価が高くとも、

とても良い先生とは思えなかったものです。

そんな先生でも、提出したレポートを、

「なかなかいい出来栄えだったぞ」

と褒めてくれると、途端に、

「意外といい先生かも?」

と評価が変わってしまうのですから、ご都合主義もいいところです(笑)


日本の歴史上の人物で人気の高い豊臣秀吉も、

朝鮮に出兵したことで、韓国では嫌われ者。


都合によってコロコロ変わるのが他人鏡の特徴です。

他人に誉められても、自分の値打ちが上がったわけではなく、それは、相手にとって、自分が都合よかっただけ。

悪口言われても、それで自分の値打ちが下がるわけでもありません。


豚は誉められても豚、ライオンは謗られてもライオン。


「過去にも、今にも、未来にも、皆にて謗る人もなく、皆にて褒むる人もなし」

とお釈迦様は仰っています。


他人の評価に一喜一憂する必要はないのです。

他人鏡は、真実の自己を映しません。


では、次なる鏡は?

次回に続きます。


◆ ひとりごと ◆


5月21日(土)は、親鸞聖人がお生まれになった日でした。

その前後に勤められる御法筵が、親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)です。

いよいよ2週間後に迫りました。


さて本日、御法話がありました。

その中で『歎異抄』の有名な一節について話があり、

仏教では、私たちの人生を「火宅(かたく)」と表わされることを学びました。


火宅とは火のついた家のことです。

自分の家に火が燃え移ってきた状態を想像してみてください。

どんな心境でしょう?

たとえ食事時でも、「食べ終わってから火を消そう」とは思いません。

パジャマ姿でも、「着替え終わってから火の対処だ」と言う人はないでしょう。


「どうしよう!どうしよう!」

と不安で居ても立ってもいられないのではないでしょうか。


まさに私たちの人生は、いつどうなるかわからない不安なところだから、

「火宅」と仏教で言われます。


たった2文字に、人生が表わされていることに驚きます。


では、今日はもう遅い時間なので、この辺で失礼します。

おやすみなさい。




* 仏教のこと、親鸞聖人のことがわかる勉強会です。

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