「自分を知る」ことは、実は大変です。

「自分のことは自分が一番よく知っているんじゃないの?」

と思うかもしれませんが、

知っているつもりのサッパリ分からないものが“私”です。

「世界で最大のことは、自己を知ることである」

という先哲の言葉もあります。


「知るとのみ 思いながらに 何よりも

 知られぬものは 己なりけり」

という歌もあります。


なぜ、自分というものは、それほど分からないのでしょうか。

それは、あまりにも近すぎるからです。


私たちの目は外に向いていますから、外のものはよく見えます。

他人の短所であれば、

「あの人はすぐ腹を立てる。

 気遣いもできないし、もっと周囲に気配りできれば……」

と3つや4つは、すぐにでも挙げることができます。

ところが自分の欠点を挙げてみよ、といわれると

どうかなぁ?と首をかしげてしまいます。

「オレは標準的な人間だからなぁ…。

 せいぜい、ちょっと忘れっぽいところ?

 まぁ、それも愛嬌だしなぁ…」

と思っています。

なくて七癖、欠点のない人間などいるはずありません。

しかし、自分のことになるともう見えないのです。


あるおばあさん、隣の家の障子に大きな穴が開いているのを見て

「隣の嫁は、怠け者だ。

 障子にあんなでっかい穴が開いているのに、

 修繕しようともしない」

それを見ていた孫が

「おばあちゃん、どこから見て言ってるの?」

問われておばあさん驚いた。

自分の家の、もっと大きな障子の穴から、のぞいていたという話。


「目、目を見ることあたわず、

 刀、刀を切ることあたわず」

どんな視力のいい人も、自分の目を見ることはできません。

切れ味鋭い刀でも、刀身自体を切ることはできないのです。


では、近すぎてわからない自己を如何にして知れば良いのでしょうか?

それは、鏡のご厄介になるよりほかに、道はありません。


もし、世の中に鏡がなかったら、私たちは、

一生涯、自分の顔がどんな人相であるかを

知らずに終わることでしょう。

私たちは、鏡や写真を見て自分の顔を知っているから、

他人からどんなにおだてられても、日本一の美男子とも思わなければ、

ミス日本とも自惚れませんが、もし鏡や写真がなかったら、

「もしかしてそうかも…」

と得意になっていたかもしれません。


鏡のおかげで、形ある自分の顔や肉体は映して見ることはできますが、

無形の真実の自分は、形ある鏡に映しようもありません。

果たして本当の自己は如何なる鏡に映すことができるのでしょうか。


実に、世間に、自分を映す鏡が3枚あると考えられます。

それについては、また今度のご縁にお話しましょう。


◆ ひとりごと ◆


最近、夏日が続いて、暑くなりました。

節電対策グッズが、いろいろ売れているみたいですね。

寒いのは苦手なんですが、

夏はけっこう好きな方で、汗だくガマン派です。


今朝、ふとリンドバーグの曲を聴いてみました。

「Raugh Diamond」という曲、知ってますか?


Rough Diamond

眠ってるけど 君の力でどんな色にも輝く

Rough Diamond

つまづきさえも 君の大事な一歩なんだよ 負けないで


高校時代によく聴きました。懐かしいです。

リンドバーグの曲は、進研ゼミのCMで、よく流れてましたね。


「Rough Diamond」ってどんな意味だっけ?と思って調べました。

磨いていないダイヤモンドということで、

荒削りだけど、すぐれた素質をもった人という意味もあります。


久々に聴いて、自分をいつも磨いていかないといけないな、と思いました。

停滞していたらダメだな、と思いました。


仏教の教えは深いです。

人生の大切なことが教えられています。

その“教え”を誰にでもわかるように伝えられることが

求められますから、日々、自己を磨いて向上できるように

研鑽していきたいと思います。


それと、もうすぐ手塚治虫の「ブッダ」が映画で公開されますね。

どのように描かれるのか、関心あります。


さて、明日は、富山県滑川市の市民交流プラザで午後から勉強会です。

がんばります!





* 仏教のこと、親鸞聖人のことがわかる勉強会です。

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